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2014年8月

2014年8月30日 (土)

「男はバリバリ仕事」という言葉に対する嫌悪感

私は「男はバリバリ仕事」という言葉、価値観が大嫌いである。
(特に「バリバリ」が気に入らない。)
女が言うのは特に不愉快だ。
男が「女はおしとやかに家事をしていろ」と言ったら、女はどう感じるだろうか?
「男はバリバリ仕事」という言葉からは
「男は消費なんてするな」
「男は子どもなんか構っている暇があったら仕事をしろ」
というイメージが想起される。特に女が言った場合には「男は私のATMになれ」と言って
いるようなものだ。
仮に私が、大手デベロッパーの社員として街づくりの仕事をするとしよう。
要求されるのは「女性が集まる街づくり」である。
自分のような中年男性が多くきたら失敗なのである。
そして、私が一生懸命稼いだ給料を使うのは、私自身ではなく、私の妻や娘なのだ。
これこそ、本当の奴隷ではないか?
私の知っている男性がよく「男は立ち食い」と言っていた。
多分、その男性にとっては、肯定的なイメージだったのだろう。
しかし、私は、その言葉に嫌悪を覚えた。
私は小奇麗なレストランでランチをしたいのだから。

女性にしか感情移入できなくなってしまったころ

笹沢佐保の小説に『悪魔の部屋』という作品がある。
あらすじは「新婚の人妻(世志子)が、ある目的を持った男にホテルに監禁され、レイプを
繰り返される。
最初、抵抗した世志子だったが、やがて肉体の快楽に目覚め、そして、心も自分をレイプ
した男を愛するようになる・・・」という感じで、いわば、ソフト官能小説といったところで
ある。
10代の頃、私は、この小説の女主人公に感情移入しては自慰を繰り返していた。
「レイプされて気持ちよくされ、やがて心からレイプ犯を愛するようになる」というのは、
私の子供のころの「誘拐されて、女になる手術を受けさせられる。最初は抵抗するが、
手術が進むにつれ、心から「私を早く女にして」と叫ぶようになる」という空想に似ている
のである。
実際、若い頃の私が自慰の時に抱く空想は「女としてレイプされる」というものが多かった。
(他に多かったのは「女として売春する」というもの)
自慰の最中は「女である自分」に陶酔しているからいいが、自慰が終わってからが
辛いのである。
「自分は男である」という現実が戻ってくる。
とても苦しくなり「何で男に生まれてしまったのだろう」「自分は生まれる時に、1/2の賭け
に負けてしまったんだ」という思いが交錯した。
「何とか女性になりたい」と考えたが、正真正銘の女性になることはできない。
何としても、自分が男であることを自分自身に納得させなければならない。
それに失敗したら死ぬしかない。
そう思った。
だから一生懸命「男であることにも価値はある」という証拠を探した。
「男は女と同じように美しい」
「男の肉体には女と同じくらい神秘がある」
「男にも女と同じ位やさしくされ、ちやほやされる価値がある」
「男も女と同じ位、消費者として重視される」
という証拠を一生懸命探した。
(私の場合、どうしても「女性と同じ」というのが重要なキーワードになってしまう)
しかし、探しても探しても「男にも価値はある」という証拠を見つけられず、
逆に「女には価値がある」という証拠ばかりが見つかってしまうのだった。
そして、私は、完全にノイローゼになってしまったのである。

2014年8月23日 (土)

「血を吸われる快楽」に対する羨望

私は、「血を吸われる快楽」に惹かれてしまう。
「血を吸われる快楽」と言っても何の事だか分からない読者が多いだろうから説明する。
小学6年生の頃、「ドラキュラ」の映画があった。
そして、私は、ドラキュラに血を吸われてしまう美女に猛烈な羨望を覚えたのだ。
血を吸われる美女は、嫌な行為のはずなのに、血を吸われる直前に恍惚の表情を
浮かべ、そして官能的な雰囲気の中でドラキュラは美女に噛みつき、美女はドラキュラの
女にされてしまうのである。
とても羨ましかった。私もあんな目にあってみたいと思った。
そして、私は、それを「血を吸われる快楽」と名付けたのだった。
ところが、思春期に入って、男女の役割が分かってきて、私は失望した。
「血を吸われる快楽」は女性のものなのである。
「見られる」「世間や男性から興味を持たれる」「チヤホヤされる」「セックスにおける受動的
な役割」
これらは全て「血を吸われる快楽」である。
しかし、男である私は、血を吸われる快楽を享受する同世代の女性たちを目の当たりに
しながら、ドラキュラの役割を果たさなければならないのだった。
そして、フェミニズム的視点で見ればドラキュラは加害者であり、美女は被害者である。
やりたくもないドラキュラの役割をさせられながら、加害者として糾弾されるのである。
私には耐えられなかった。
しかし、耐え切れず、「私も血を吸われるほうがいい」というと、「醜い男に血を吸われる
価値なんてあるはずないだろう」という嘲笑が待ち構えている事は容易に想像できた。
(前の記事に書いた小沢遼子による「男のシンクロナイズドスイミングなんて汚いわよ」と
いう発言はその一例である。)
一体、私はどうすればいいのだろうか?
苦しくて仕方がない。

2014年8月22日 (金)

「正常な男性」とフェミニズム

「フェミニズム」は「正常な男性」にとって、実は都合のいい理論である。
なぜなら、「男性が優位」という前提で論理を組み立ててくれるからで、「男性が優位」という
神話にしがみつく事によって自分の優位性を確認しようとする「正常な男性」にとっては
無くてはならない存在であるといえる。
「正常な男性」は、フェミニズムに理解を示し、理解を示すことによって、自分の優位を
確保しようとするのである。

「正常な男性」でありつづけなければならない理由

「正常な男性」でありつづけなければならない理由として、男性は美しくないので、
美しい事=優位となると、女性に対抗できなくなるということが挙げられる。
だから、「美しいものを鑑賞する=男性=優位」「美しいものとして鑑賞される=女性=劣位」
というタテマエを作り出し、それにしがみついているように思えてならない。
私も、そのタテマエによって何とか女性コンプレックスを克服しようとしたことがあった。
しかし、それは見事に失敗してしまったのだった。

「正常な男性」像に対する違和感

私は、現在「正常」とされている、男性の在り方に強い違和感を感じている。
例えば、私の小学6年生時代の最初のオナペットである美術全集には、女性を美しく、
男性を醜く描いた絵が載っていた。
それを見て、何の不満も感じず、女性の美しさを称賛できれば「正常な男性」らしいのだ。
私はといえば、男性が汚く描かれている事に強い不満を感じた。
それから、官能小説。
官能小説は、「女性が」セックスにおいて、どんな風に扱われ、どんな風になり、そして
どう感じるのかしか描かない。
男性がどうされて、どう感じるかは決して描かれないのだ。たまに男性が描かれても、
汚らしい下卑た征服者として描写されるのだった。
そして、それを「男性として」楽しめれば「正常な男性」であるらしい。
要するに、自分(男)の事などどうでもよく、他者(女)がどうなるかを楽しめれば「正常な
男性」ということだ。
しかし、私は「男性として」楽しむことが全くできない。
女性に感情移入して自慰をし、そして自慰の後、「女性として」感じていた陶酔感が
覚めると自分は男であるという現実が戻ってきて、ひどい不快感に襲われるのだ。
加えて、性的快感。
いかに「女性が」、「男性が体験しえないような性的な悦びをセックスにおいて体験するか」
を嬉々として語ることができれば「正常な男性」である。
しかし、私は「男性の体験できない性的悦び」が羨ましくて羨ましくて仕方がないのだ。
更には、巷にあふれる女性のイメージや写真。
それを見て、ひたすら欲情できれば「正常な男性」である。
私はといえば、女性であることには価値があるのに、男性であることには何の価値も
ないように思える。
似たようなところで、街で見かける美人。
美人を見て、ひたすら喜べれば「正常な男性」である。
しかし、私は、美人を見ると、「彼女たちにはとても価値があるのに、自分には何の
価値もない」と強いコンプレックスと羨望感を感じてしまうのだ。
「正常な男性」って「実はかなりヘン!!」
そう思いませんか?

2014年8月17日 (日)

女が野球選手になれないのは不当、男がシンクロナイズドスイミング選手になれないのは正当?

最近、高校野球の女子マネが、ちょっと話題になったようである。
(よくは知らないが、おにぎりを2万個作ったのがどうとかこうとか。)
それにつけて思い出すのが、20年ほど前の事のことだ。
当時、甲子園のベンチに女子マネージャーが入れないということが、問題視されたことが
あった。
それについて、テレビで小沢遼子が、実にむかつく言動を取ったのだった。
彼女は、「女子をマネージャーとしてベンチに入れるようにするのは勿論、選手としても
入れるようにするべきだ」
と言った。私は、強いストレスを感じた。「また一方的女性被害論が始まった」と思ったので
ある。
番組のコーナーは、殆ど彼女の言い分だけを一方的に垂れ流したが、やっと
男性コメンテーターが一言。「男性のシンクロナイズドスイミングってありませんよね?」
それに対して、小沢は言った。「男のシンクロナイズドスイミングなんて汚いわよ。」
その放言を最後に、番組はCMに入り、コーナーは終わった。
実に見事な番組構成である。(勿論、皮肉)
それにしても、小沢遼子は、何故、あのような暴言を吐いたのだろうか?
「そうですね。男性のシンクロナイズドスイミングもいいですね」と応じればいいではないか。
要するに、フェミは男性が憎いのである。
男性を貶めたくて仕方がないのだ。
(私という「男」がとても傷ついたことを知ったら、彼女はさぞ喜ぶことだろう。)
私は、絶対、小沢遼子を男女平等論者とは認めない。
同時に、彼女の言い分(女性が制限を受けるのは不当。男性が制限を受けるのは当然)に
同調すれば「立派な男」であるという世の中の風潮に怒りを感じずにはいられないので
ある。

「男である」ということは「醜い」という事なの?

小学校高学年の頃、私は、同級生の男の子たちが好きだった。
「女性になりたい」から、彼らが好きだった訳ではない。
寧ろ、彼らを魅力的に感じる時、私は、自分が男であることにプライドを感じた。
彼らを好きだったと言っても、性に目覚めてから自慰の時に思い浮かべるようになった
性的空想に彼らが出てくる事はなかったから、本当の意味での同性愛ではなかった
のだろう。
男子校の中学に入学してからも、あるクラスメイトが可愛く感じられて、「ファンクラブを
作ろう」と言って、その男の子に逆にうざがられたり、別のクラスメイトがあまりにも端正な
顔立ちだったため、「自分のことをハンサムだと思っていたけど彼にはかなわない」と
考えたりした。
(そう、小学校高学年の頃、私は自分自身のことをハンサムだと思っていたのだ。(爆))
しかし、やがて、「男であることは汚いことなのだ。男の体は醜いものなのだ」という圧力が
私にかかるようになる。
私が最後に男の子を好きになったのは、中2の冬である。グループでスキーに行った
のだが、そのグループの一つ年下の男の子の事がスキーから帰ってきてからも
忘れられず「ひょっとして、彼に恋してしまったのでは?」と悩んだ。
しかし、私はそれ以降、「男は醜い」という観念にどんどん引きずり込まれて行き、
立派な「男嫌い」になってしまったのだった。
そして、同時に男としてのプライドも失ってしまったのである。

2014年8月11日 (月)

消費社会における男性差別構造を考える

私がショッピングに興味を持ち始めたのは、十代半ば、高1の時だったと思う。
最初は、ショッピングそのものというよりは、ショッピング施設に対する興味だった。
当時、東京郊外に斬新なSC(ショッピングセンター)が出来始めていた。
今となっては流行らない、百貨店+専門店というのがSCの形態だったが、当時は、
とにかく「新しい」感じがしたのである。
そのSCに対する関心、そして、中2の終わりごろに引っ越しをしたのだが、引っ越した先の
街の駅前にデパートができるという計画が私にショッピング施設に対する関心を
引き起こした。
引っ越す前までは、デパートというのは、延々電車に乗って、ターミナル駅にあるそれまで
行くもの(=非日常)だと考えていた。
しかし、それが最寄り駅の駅前にできる(=非日常だったものが日常になる)というのだか
ら、興味を持たない訳がなかった。
ショッピング施設に対する興味は、やがて「華やかな売り場で買い物を楽しむ」という
ショッピングそのものに対する興味へと変わっていく。
しかし、やがて、私はとんでもない挫折を経験するのだ。
それは、浪人生になったばかりの時のこと。
私の「女性が羨ましくて仕方ない」という症状が悪化した。
そして、私の図書館・本屋通いが始まった。予備校の授業など無視して、図書館や
本屋に通った。
そこで知ったのは、ショッピングは女性の物である、という事実だった。
マーケティングの本を読むと女性のことしか書いていない。そして、マーケティングの本は、
ひたすら女性を賛美するのだった。
私は衝撃を受け、そして落胆した。しかし、同時にそれまで自分にストレスを与えていた
「敵」の正体が分かったような気がしたのも事実である。
(私が、中学高校時代に受けたストレスについては、まだ書いていないが)
後に出会った本で、当時はまだ知らなかったのだが、心理学者の渡辺恒夫の本に
『脱男性の時代』という本がある。
その本の一節、「『男性社会』の真の主人公が、もはや男性ではなく女性である、
という逆説的な事態が、このシンドロームに輪をかけていよう。
現代最強のイデオロギーとしての消費のイデオロギー(ボードリヤール)が、
仕えるべき
主人として選んだのは、男性ではなく女性だったのだ。
以後、男性社会は、従来の、女性を抑圧するという戦法を捨て、女性におもねり迎合する
という、新たなる戦法を採用することによって延命策をはかることとなった。
女性は新戦法の術中にはまり、男性社会と女性の間には一種の共犯関係が形成された。
そして--代わって男性社会の被抑圧者の訳を引き受けることとなったのは、男性自らの
方なのである。(中略)今や女性よりも男性の側に(女性に迎合することを商売として
富と名声を築きつつある一握りの人々は除くとして)、性役割固定文明への最後の一撃を
加えなければならない強い動機が、潜在的顕在的に生じつつあるのだ。」
というのと
同じ認識が私の中に生まれたのである。
(私の「女性に迎合することを商売として富と名声を築きつつある一握りの人々」に
対する憎しみは強い。)
しかし、80年代後半という日本が隆盛を極めた時代、私を地獄に落としたバブル期に
向かって、状況はどんどん悪化していった。
当時、サンケイ新聞に「近頃、都にはやるもの」という連載があった。その始まりの
決まり文句は「最近、女性に人気を呼んでいるのが・・・」というものであった。
その決まり文句は、最早「流行を女性が好む」のではなく「女性が好んだものが流行」
なのだということを暗示していた。
(これは現在でも言えることである。「女性が好んだものが流行である」という認識が
自社製品・サービスを流行にしたい各社が女性に媚び、女性に気に入られようとし、
挙句の果てに女性優遇をする原因となっているのだ。)
要するに、男性など、どうでもいいのだ。しかし、男性は文句を言ってはいけないのだった。
男性は、あくまでも、「上から目線」でいなければいけないらしかった。(実際には、
男性の方が下になってしまっているのだが。)
当時、既に「男女平等」という一見尤もそうなイデオロギーが世の中を支配していた。
しかし、その中身は「男性のものは女性に明け渡さなければいけないが、
女性のものは、男性に明け渡す必要はない」という全く不公平な内容なのだった。
その典型例がショッピングである。ショッピングは、それまで女性の物だったのだから、
男女平等の観点から言えば、男性に門戸を開かなければならない。
しかし、社会は女性に対して贔屓の引き倒しをするのだった。
その「贔屓の引き倒し理論」によれば「女性が社会進出するので、女性の消費は
今後もっと重要になる」ということになるのだ。
そして、女性専用デパートなるものが出来ることとなる。「プランタン銀座」である。
私は気が狂ってしまうのではないかというほど、苦しんだ。楽しみにしていた駅前に
できるデパートももはや苦痛と恐怖の対象だった。
なぜならば、女性専用デパートになってしまう可能性が出てきたからである。
(結局そうはならなかったが。しかし、女性向け売り場が売り場の大半を占めるというのは、
どこのショッピング施設とも同じである。)

それにしても、「贔屓の引き倒し理論」が、現在の安倍政権が進めようとしている
「ウーマノミクス」とそっくりであることに驚く。
ウーマノミクスとは「女性が働き手として期待され、消費もリードすることによって、
日本の新しい成長に結びつける」という内容なのだが
はっきり言って、古い商品の焼き直しである事は明らかである。
一体、何回目の焼き直しだとあきれてしまう。
(つまり、何回焼直しても、それなりに売れる商品だということだ)
要するに、渡辺恒夫のいう「女性に迎合することにより延命をはかる性役割固定文明」に
よる定番商品であり、既存の社会構造を壊すというよりは、維持する方向性のものだと
いうことを強調しておきたい。
一つこれまでと違うのは、政府という公平でいなければならない存在が、それまで民間の
理論だった「贔屓の引き倒し理論」を取り入れ、堂々と進めようとしている事である。
しかし、社会というのは、役割分担で成立しており、女性だけが「消費者」としての役割から
「生産者・消費者オールマイティ」となることは出来ない。
男性の「生産者」から「消費者」への進出をがなければ、いつもの通り、掛け声倒れで
終わるだけである。

関連記事:女の商品価値が「女性の時代」を可能にしている

性に目覚めたころ

小学6年生になったばかりの頃、私は、自分がおかしいことに気付いた。
女性の胸が気になって仕方ないのだ。それまで成人女性の胸が男性と違って膨らんで
いることに興味はなかった。
殆ど、その事を忘れてしまっていたと言ってもいい。
それなのに、急に女性の胸が気になって仕方なくなったのである。
そして、襲ってきたのは、強烈に自慰をしたいという、それまで感じたことがなかった
強い肉体的欲求であった。
私は、その欲求に耐えた。小学4年生の時に、性器がおかしくなってしまい、死の恐怖を
感じて以来、私は、罪悪感から自慰をしていなかったのだ。
性器を刺激するが、絶頂には持っていかないという状態にどれ位の期間耐えただろうか。情けないが、そんなに長い期間ではなかったと思う。
ある朝、父が出勤し、母がパートに出て、自分の登校時間まで居間で過ごしているとき、
私は、自慰を始めた。最初は、最後までいくつもりはなかったが、私はとうとう耐えられなく
なり、自分の肉体を絶頂にまで持って行ってしまった。
2年ぶりに味わう絶頂感、そして消えるモヤモヤ。
後悔はなかった。それどころか、登校しても、はやくもう1回やりたいという欲求に耐える
のが大変だった。
運悪く、その日は通常の日よりも、一時間授業が長い日だった。
家に帰るのが待ちきれず、トイレでも、性器を刺激してしまった事を思い出す。
やっと家に帰ると、私は、サニタリースペースで、自慰をした。思い浮かべたのは
クラスメイトの女の子のことだったから、ある意味正常だった。
初期の私のオナペットは、美術全集だった。美術全集といっても、そんなに大したもの
ではない。現在でもよくある、新聞社が週刊で発行する薄い冊子をバインダーに閉じると、
美術全集になるというやつである。
小学校5年の時だっただろうか、私は、家族との旅行先で美術館に入った。
そこには、大量のヌード絵が展示されており、私は恐怖を感じた。
大人たちが真剣な目でヌードに見入っているのが怖かった。
それが、性に目覚めた途端、「そういえば、美術館に女性の裸の絵があったっけ・・・
だったら、美術全集をみれば、女性の裸を見られるだろう・・・」と思い立ち、
結果、美術全集をオナペットにするという事になったのだった。
しかし、私はやがてストレスを感じるようになる。女性が絵の主役として、とても、美しく
官能的に描かれるのに対して、男性は脇役であり、ひどい表情(解説によれば、嫉妬に
狂っているのだという)かつ、とても汚い色で描かれるのだった。
やがて、私は精通を迎えた。自慰を再開してから、精通までの間にはしばらく間が
あったと思う。
私は、自分から白い液体が出始めたことをとても恐怖した。体の大切な液体が出てきて
しまったのではないかと考えた。
しかし、その一方で(まだセックスのことは知らなかったにもかかわらず)、ひょっとして、
これは精子なのではないかという考えも浮かんだ。
そして、私はセックスのことを知った。私は、当時、学校と塾という2つの生活空間を
持っていたが、それは塾でのことだった。
小学校は、超奥手の学校で、ついに卒業まで、性に関する表立った動きはなかった。
(いや、全くないということは無かったかもしれない。いくつかはあった。)
やがて、私は、女の子を羨望し始めた。彼女たちには価値があるのに、自分にはない、
そんな気がした。
当時、性について好奇心満々の私たちの間で流行った下品な歌がある。
「やーんばかーん、ふふーん、そこはお尻なの。やーんばかーん、ふふーん、そこは
あそこなの。」という本当に下品極まりない歌だった。
そして、その内容は、私にひどくストレスを与えた。曲自体が不愉快だったのではない。
その歌において、自分が挑発する側=女ではなく、挑発される側=男であるということが
不愉快だったのだ。
私は、女として、自分の肉体の魅力で相手を挑発する側でいたかったのだ。
私は、ひどく落胆した。自分には価値がないのだと感じた。
今となって思えば、小学校高学年のその頃は、私のエロス的価値が一番高かった頃
だと思う。今の私は、小学生高学年の男の子には、性的な需要が少なからずある事を
知っている。(但し、児童性愛という現代のタブーに触れるため、なかなか表立たない)
つまり、当時の私は、挑発する側になりえたということである。
しかし、私はそんなことはまるで知らなかった。
ただただ、挑発される側である自分を不愉快に感じていた。
やがて、私は、中学受験で私立の中高一貫校に合格し、小学校を卒業したのだった。

中学生の時、女性用定期券を発行されて嬉しかった思い出

中学1年か2年の時のことである。当時、私は、電車通学をしていた。
ある日、通学定期の発行を受けるために、私は駅の定期売り場に行った。
そこで、私は「女性用定期」を発行されてしまったのである。
(因みに、その時、私は学生服姿で、どう見ても男であるという格好をしており、
何故、手慣れているはずの駅員が、そんな間違いをしたのかよくわからない。)
具体的に書くと、私は、発行を受ける時、発行係の駅員が性別「女性」のボタンを
押したのを見ていた。しかし、私は、大して問題はないだろうと考えた。
何故なら、私の知る限り定期券に性別を示す欄は存在しなかったからだ。
性別を示す欄がないなら「女性」のボタンを押したところで発行される定期には
何の違いもないと考えたのである。
ところが、発行された定期を見て、それは間違いだったことを知った。
何故なら、定期券の年齢欄が赤い○で囲われていたからである。
女性用定期には、年齢欄に赤い○が付くということを私はその時知った。
フェミニストは、恐らく言うだろう。「男性が標準で、女性が有徴(標準外)である証拠だ」と。
「男性が気付かない(定期に性別があることを知らない)ところで、女性は、自分が標準では
ないことを思い知らされるのだ」と。
しかし、私にとって、そんなことはどうでもいいことだ。
私は、女性用定期を発行されてとてもうれしかった。別人の定期ではない。
間違いなく、自分の名前と、通学区間が書かれた女性用定期券なのである。
さすがに、発行された時には、発行係の駅員に言おうかと思ったが、結局止めた。
私の後ろにはたくさんの人が並んでいて、その人たちに悪いような気がしたのである。
今だったら、駅員に言うだろうが、中学生の判断としては、止めていたほうがいいように
思われたのだった。
それから、しばらく女性用定期で通学するという、楽しい日々が続いた。
S駅改札の駅員(当時のS駅は、有人改札だった)に見咎められるまでは。
あれから、30年以上経った今でも、「有徴の」女性用定期を持ちたいという気持ちがある。
恐らく、T電鉄の定期券からは、女性用定期券だけ年齢欄に○がつくという美風?は
とっくに無くなってしまっているだろうが。

私が「女性になりたい」と考え始めたのは・・・

私が女性を羨み始めたのは、いつの頃からだっただろうか。私は、高齢出産の父母の
一人っ子として育った。
幼児の時は、社宅(団地)で隣に住んでいる同い年の女の子のSちゃんと将来、絶対に
結婚するつもりでいたように思う。
そういう意味では、普通の男の子だったのだ。しかし、同時に、女の子に与えられるものを
羨んでいたような覚えもある。
具体的には、楽器、雛人形あたりだっただろうか。
はっきりと、女性を羨望した(というよりも、女性になりたいと思った)のは小学校1年生の
時だ。
私は、強烈な「女の子になりたい」という欲求を持った。自分でも、その欲求をどう処理した
らいいのかわからなかった。
おちんちんを憎み、おちんちんのないすっきりした女の子の股間を羨望した。
おちんちんを何とか取ろうと思って、色々やった。そして、覚えたのが自慰である。
自慰をして、絶頂に達すると「女の子になりたい」という強烈な欲求が一時的ではあるが
小さくなるのだった。
それから、私は、独特の空想を描きながら、自慰をするようになった。
空想の内容はこんな内容であった。
世の中を女だけにしようとたくらむ組織がある。私は、その組織に誘拐されて、女性に
される手術を受けさせられる。
最初は、男言葉で「やめろ」と抵抗するが、手術が50%を超えたところで、女性の要素の
ほうが強くなり、女言葉になり「男なんていや。はやく女にして」とお願いするようになる。
(ここの50%を超えて、自分の意識が変わってしまうところが、私にとっては最大にエロチック
なのだった)そして、100%女になり、おちんちんがなくなるところで、フィニッシュである。
しかし、快感を感じるところは、皮肉なことに無くなった筈のおちんちんなのだが。
どうして、自分はそこまで強烈に女の子になりたいと思ったのだろうか。
自分でもよく分からない。
一つ思い出すのは、当時、マンションに住んでいたのだが、一つ下の階の女性が
「女の子を産みました。名前はMと名付けました」と報告をしに来た時の母の反応である。
母はこう言った。「私も本当は女の子が欲しくて、女の子が生まれたらMという名前に
するつもりだったんですよ。」
それが、私の女性願望の原因かどうかはよく分からない。あまり関係ないのではないかと
いう気はするが、その時の母の反応は強く記憶に残ったし、今でも、私は、自分の女性名
(使う機会はないのだが)はMだと思っている。
自慰を覚えてしばらくしてから、モントリオールオリンピックがあった。
モントリオールオリンピックといえば、体操のコマネチである。
レオタード姿の彼女のすっきりした股間を見て、私もああなりたいと思いながら自慰に
ふけったことを思い出す。
小学校4年生の夏頃だっただろうか。私は、性器がおかしくなったと感じた。
陰嚢がだらんと伸びてしまうようになったのだ。
私は、自分は死ぬのだと思った。そして、原因は自慰だろうと考え、それから、自慰を
するのをやめた。
当時は、まだ大人的な性欲はなかったので、自慰をしなくても特になんともなかった。
そして、私は幸いにも死ななかった。
自慰を再開したのは、そのおよそ2年後、性に目覚めた小学6年生の時のことである。

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