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2014年8月30日 (土)

女性にしか感情移入できなくなってしまったころ

笹沢佐保の小説に『悪魔の部屋』という作品がある。
あらすじは「新婚の人妻(世志子)が、ある目的を持った男にホテルに監禁され、レイプを
繰り返される。
最初、抵抗した世志子だったが、やがて肉体の快楽に目覚め、そして、心も自分をレイプ
した男を愛するようになる・・・」という感じで、いわば、ソフト官能小説といったところで
ある。
10代の頃、私は、この小説の女主人公に感情移入しては自慰を繰り返していた。
「レイプされて気持ちよくされ、やがて心からレイプ犯を愛するようになる」というのは、
私の子供のころの「誘拐されて、女になる手術を受けさせられる。最初は抵抗するが、
手術が進むにつれ、心から「私を早く女にして」と叫ぶようになる」という空想に似ている
のである。
実際、若い頃の私が自慰の時に抱く空想は「女としてレイプされる」というものが多かった。
(他に多かったのは「女として売春する」というもの)
自慰の最中は「女である自分」に陶酔しているからいいが、自慰が終わってからが
辛いのである。
「自分は男である」という現実が戻ってくる。
とても苦しくなり「何で男に生まれてしまったのだろう」「自分は生まれる時に、1/2の賭け
に負けてしまったんだ」という思いが交錯した。
「何とか女性になりたい」と考えたが、正真正銘の女性になることはできない。
何としても、自分が男であることを自分自身に納得させなければならない。
それに失敗したら死ぬしかない。
そう思った。
だから一生懸命「男であることにも価値はある」という証拠を探した。
「男は女と同じように美しい」
「男の肉体には女と同じくらい神秘がある」
「男にも女と同じ位やさしくされ、ちやほやされる価値がある」
「男も女と同じ位、消費者として重視される」
という証拠を一生懸命探した。
(私の場合、どうしても「女性と同じ」というのが重要なキーワードになってしまう)
しかし、探しても探しても「男にも価値はある」という証拠を見つけられず、
逆に「女には価値がある」という証拠ばかりが見つかってしまうのだった。
そして、私は、完全にノイローゼになってしまったのである。

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