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2014年8月11日 (月)

消費社会における男性差別構造を考える

私がショッピングに興味を持ち始めたのは、十代半ば、高1の時だったと思う。
最初は、ショッピングそのものというよりは、ショッピング施設に対する興味だった。
当時、東京郊外に斬新なSC(ショッピングセンター)が出来始めていた。
今となっては流行らない、百貨店+専門店というのがSCの形態だったが、当時は、
とにかく「新しい」感じがしたのである。
そのSCに対する関心、そして、中2の終わりごろに引っ越しをしたのだが、引っ越した先の
街の駅前にデパートができるという計画が私にショッピング施設に対する関心を
引き起こした。
引っ越す前までは、デパートというのは、延々電車に乗って、ターミナル駅にあるそれまで
行くもの(=非日常)だと考えていた。
しかし、それが最寄り駅の駅前にできる(=非日常だったものが日常になる)というのだか
ら、興味を持たない訳がなかった。
ショッピング施設に対する興味は、やがて「華やかな売り場で買い物を楽しむ」という
ショッピングそのものに対する興味へと変わっていく。
しかし、やがて、私はとんでもない挫折を経験するのだ。
それは、浪人生になったばかりの時のこと。
私の「女性が羨ましくて仕方ない」という症状が悪化した。
そして、私の図書館・本屋通いが始まった。予備校の授業など無視して、図書館や
本屋に通った。
そこで知ったのは、ショッピングは女性の物である、という事実だった。
マーケティングの本を読むと女性のことしか書いていない。そして、マーケティングの本は、
ひたすら女性を賛美するのだった。
私は衝撃を受け、そして落胆した。しかし、同時にそれまで自分にストレスを与えていた
「敵」の正体が分かったような気がしたのも事実である。
(私が、中学高校時代に受けたストレスについては、まだ書いていないが)
後に出会った本で、当時はまだ知らなかったのだが、心理学者の渡辺恒夫の本に
『脱男性の時代』という本がある。
その本の一節、「『男性社会』の真の主人公が、もはや男性ではなく女性である、
という逆説的な事態が、このシンドロームに輪をかけていよう。
現代最強のイデオロギーとしての消費のイデオロギー(ボードリヤール)が、
仕えるべき
主人として選んだのは、男性ではなく女性だったのだ。
以後、男性社会は、従来の、女性を抑圧するという戦法を捨て、女性におもねり迎合する
という、新たなる戦法を採用することによって延命策をはかることとなった。
女性は新戦法の術中にはまり、男性社会と女性の間には一種の共犯関係が形成された。
そして--代わって男性社会の被抑圧者の訳を引き受けることとなったのは、男性自らの
方なのである。(中略)今や女性よりも男性の側に(女性に迎合することを商売として
富と名声を築きつつある一握りの人々は除くとして)、性役割固定文明への最後の一撃を
加えなければならない強い動機が、潜在的顕在的に生じつつあるのだ。」
というのと
同じ認識が私の中に生まれたのである。
(私の「女性に迎合することを商売として富と名声を築きつつある一握りの人々」に
対する憎しみは強い。)
しかし、80年代後半という日本が隆盛を極めた時代、私を地獄に落としたバブル期に
向かって、状況はどんどん悪化していった。
当時、サンケイ新聞に「近頃、都にはやるもの」という連載があった。その始まりの
決まり文句は「最近、女性に人気を呼んでいるのが・・・」というものであった。
その決まり文句は、最早「流行を女性が好む」のではなく「女性が好んだものが流行」
なのだということを暗示していた。
(これは現在でも言えることである。「女性が好んだものが流行である」という認識が
自社製品・サービスを流行にしたい各社が女性に媚び、女性に気に入られようとし、
挙句の果てに女性優遇をする原因となっているのだ。)
要するに、男性など、どうでもいいのだ。しかし、男性は文句を言ってはいけないのだった。
男性は、あくまでも、「上から目線」でいなければいけないらしかった。(実際には、
男性の方が下になってしまっているのだが。)
当時、既に「男女平等」という一見尤もそうなイデオロギーが世の中を支配していた。
しかし、その中身は「男性のものは女性に明け渡さなければいけないが、
女性のものは、男性に明け渡す必要はない」という全く不公平な内容なのだった。
その典型例がショッピングである。ショッピングは、それまで女性の物だったのだから、
男女平等の観点から言えば、男性に門戸を開かなければならない。
しかし、社会は女性に対して贔屓の引き倒しをするのだった。
その「贔屓の引き倒し理論」によれば「女性が社会進出するので、女性の消費は
今後もっと重要になる」ということになるのだ。
そして、女性専用デパートなるものが出来ることとなる。「プランタン銀座」である。
私は気が狂ってしまうのではないかというほど、苦しんだ。楽しみにしていた駅前に
できるデパートももはや苦痛と恐怖の対象だった。
なぜならば、女性専用デパートになってしまう可能性が出てきたからである。
(結局そうはならなかったが。しかし、女性向け売り場が売り場の大半を占めるというのは、
どこのショッピング施設とも同じである。)

それにしても、「贔屓の引き倒し理論」が、現在の安倍政権が進めようとしている
「ウーマノミクス」とそっくりであることに驚く。
ウーマノミクスとは「女性が働き手として期待され、消費もリードすることによって、
日本の新しい成長に結びつける」という内容なのだが
はっきり言って、古い商品の焼き直しである事は明らかである。
一体、何回目の焼き直しだとあきれてしまう。
(つまり、何回焼直しても、それなりに売れる商品だということだ)
要するに、渡辺恒夫のいう「女性に迎合することにより延命をはかる性役割固定文明」に
よる定番商品であり、既存の社会構造を壊すというよりは、維持する方向性のものだと
いうことを強調しておきたい。
一つこれまでと違うのは、政府という公平でいなければならない存在が、それまで民間の
理論だった「贔屓の引き倒し理論」を取り入れ、堂々と進めようとしている事である。
しかし、社会というのは、役割分担で成立しており、女性だけが「消費者」としての役割から
「生産者・消費者オールマイティ」となることは出来ない。
男性の「生産者」から「消費者」への進出をがなければ、いつもの通り、掛け声倒れで
終わるだけである。

関連記事:女の商品価値が「女性の時代」を可能にしている

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