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2014年8月23日 (土)

「血を吸われる快楽」に対する羨望

私は、「血を吸われる快楽」に惹かれてしまう。
「血を吸われる快楽」と言っても何の事だか分からない読者が多いだろうから説明する。
小学6年生の頃、「ドラキュラ」の映画があった。
そして、私は、ドラキュラに血を吸われてしまう美女に猛烈な羨望を覚えたのだ。
血を吸われる美女は、嫌な行為のはずなのに、血を吸われる直前に恍惚の表情を
浮かべ、そして官能的な雰囲気の中でドラキュラは美女に噛みつき、美女はドラキュラの
女にされてしまうのである。
とても羨ましかった。私もあんな目にあってみたいと思った。
そして、私は、それを「血を吸われる快楽」と名付けたのだった。
ところが、思春期に入って、男女の役割が分かってきて、私は失望した。
「血を吸われる快楽」は女性のものなのである。
「見られる」「世間や男性から興味を持たれる」「チヤホヤされる」「セックスにおける受動的
な役割」
これらは全て「血を吸われる快楽」である。
しかし、男である私は、血を吸われる快楽を享受する同世代の女性たちを目の当たりに
しながら、ドラキュラの役割を果たさなければならないのだった。
そして、フェミニズム的視点で見ればドラキュラは加害者であり、美女は被害者である。
やりたくもないドラキュラの役割をさせられながら、加害者として糾弾されるのである。
私には耐えられなかった。
しかし、耐え切れず、「私も血を吸われるほうがいい」というと、「醜い男に血を吸われる
価値なんてあるはずないだろう」という嘲笑が待ち構えている事は容易に想像できた。
(前の記事に書いた小沢遼子による「男のシンクロナイズドスイミングなんて汚いわよ」と
いう発言はその一例である。)
一体、私はどうすればいいのだろうか?
苦しくて仕方がない。

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