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2014年8月22日 (金)

「正常な男性」像に対する違和感

私は、現在「正常」とされている、男性の在り方に強い違和感を感じている。
例えば、私の小学6年生時代の最初のオナペットである美術全集には、女性を美しく、
男性を醜く描いた絵が載っていた。
それを見て、何の不満も感じず、女性の美しさを称賛できれば「正常な男性」らしいのだ。
私はといえば、男性が汚く描かれている事に強い不満を感じた。
それから、官能小説。
官能小説は、「女性が」セックスにおいて、どんな風に扱われ、どんな風になり、そして
どう感じるのかしか描かない。
男性がどうされて、どう感じるかは決して描かれないのだ。たまに男性が描かれても、
汚らしい下卑た征服者として描写されるのだった。
そして、それを「男性として」楽しめれば「正常な男性」であるらしい。
要するに、自分(男)の事などどうでもよく、他者(女)がどうなるかを楽しめれば「正常な
男性」ということだ。
しかし、私は「男性として」楽しむことが全くできない。
女性に感情移入して自慰をし、そして自慰の後、「女性として」感じていた陶酔感が
覚めると自分は男であるという現実が戻ってきて、ひどい不快感に襲われるのだ。
加えて、性的快感。
いかに「女性が」、「男性が体験しえないような性的な悦びをセックスにおいて体験するか」
を嬉々として語ることができれば「正常な男性」である。
しかし、私は「男性の体験できない性的悦び」が羨ましくて羨ましくて仕方がないのだ。
更には、巷にあふれる女性のイメージや写真。
それを見て、ひたすら欲情できれば「正常な男性」である。
私はといえば、女性であることには価値があるのに、男性であることには何の価値も
ないように思える。
似たようなところで、街で見かける美人。
美人を見て、ひたすら喜べれば「正常な男性」である。
しかし、私は、美人を見ると、「彼女たちにはとても価値があるのに、自分には何の
価値もない」と強いコンプレックスと羨望感を感じてしまうのだ。
「正常な男性」って「実はかなりヘン!!」
そう思いませんか?

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