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2014年8月17日 (日)

「男である」ということは「醜い」という事なの?

小学校高学年の頃、私は、同級生の男の子たちが好きだった。
「女性になりたい」から、彼らが好きだった訳ではない。
寧ろ、彼らを魅力的に感じる時、私は、自分が男であることにプライドを感じた。
彼らを好きだったと言っても、性に目覚めてから自慰の時に思い浮かべるようになった
性的空想に彼らが出てくる事はなかったから、本当の意味での同性愛ではなかった
のだろう。
男子校の中学に入学してからも、あるクラスメイトが可愛く感じられて、「ファンクラブを
作ろう」と言って、その男の子に逆にうざがられたり、別のクラスメイトがあまりにも端正な
顔立ちだったため、「自分のことをハンサムだと思っていたけど彼にはかなわない」と
考えたりした。
(そう、小学校高学年の頃、私は自分自身のことをハンサムだと思っていたのだ。(爆))
しかし、やがて、「男であることは汚いことなのだ。男の体は醜いものなのだ」という圧力が
私にかかるようになる。
私が最後に男の子を好きになったのは、中2の冬である。グループでスキーに行った
のだが、そのグループの一つ年下の男の子の事がスキーから帰ってきてからも
忘れられず「ひょっとして、彼に恋してしまったのでは?」と悩んだ。
しかし、私はそれ以降、「男は醜い」という観念にどんどん引きずり込まれて行き、
立派な「男嫌い」になってしまったのだった。
そして、同時に男としてのプライドも失ってしまったのである。

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