インテリ男性はフェミニズムを支持してナンボである(というアホらしい「常識」について)
比較的最近邦訳されたメンズリブ(正確には、マスキュリズム)書籍として
『男性権力の神話』(ワレン・ファレル著、久米泰介訳、作品社、2014)がある。
著者のワレン・ファレル博士は、非常なインテリなのだが、この本を紹介した
女性ライターの記事にこんなようなことが書いてあった。
「彼のようなインテリ男性でも男性開放を唱えるのである」。
女性ライターの記事にこんなようなことが書いてあった。
「彼のようなインテリ男性でも男性開放を唱えるのである」。
この記述の前提には、「男性開放などインテリ男性の唱えることではない」と
いう意識があるだろう。
いう意識があるだろう。
では、インテリ男性が支持するべきはなにか?
勿論、フェミニズムである。
逆に言って、フェミニズムを支持できない男性は、インテリとして認定されない恐れがある。
そこで、一生懸命、フェミニズムに媚を売る「自称」インテリ男性が続出することになる。
しかし、フェミニズムを支持したところで、彼らの目的はインテリ「男性」として認定を
受けることである事を忘れてはならないだろう。
受けることである事を忘れてはならないだろう。
彼らは、ひょっとしたら、こういうかも知れない。
「男たちは反省し、女性的価値を認めなければなりません」と。
「男たちは反省し、女性的価値を認めなければなりません」と。
しかし、彼らが本当は反省もしていなければ、女性的価値も認めていない。
例えば、本当に女性的価値を認めるならば、男性(の領域)に憧れる女性を
認めるのと同じように女性(の領域)に憧れる男性の存在も認めるはずなのである。
認めるのと同じように女性(の領域)に憧れる男性の存在も認めるはずなのである。
ところが、実際に女性(の領域)に憧れる男性を目の当たりにした時の彼らの
典型的反応は
典型的反応は
「そんな馬鹿な奴いるはずない」
というものなのである。
その反応の裏には「女(の所有する二流の領域)に憧れる男などいるはずがない」と
いう意識があるだろう。
いう意識があるだろう。
要するに、彼らは本当は女性的価値など認めていないということだ。
バカバカしいにも程があるとはこのことだろう。
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