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2015年8月 9日 (日)

女性に対するステレオタイプだけが問題にされて、男性に対するそれは放置される(フジ三太郎を例に)

かつて、朝日新聞に「フジ三太郎」という4コマ漫画が掲載されていた。
まだ若かった私にとって、この漫画の描く主人公?(フジ三太郎)や
その男性上司に代表される男性像は不愉快そのものだった。
若い女性に目がなく、女性の上司にはタジタジにされる主人公やその男性上司・・・

そのフジ三太郎が連載終了してかなり経った頃、朝日新聞にフジ三太郎に於ける
女性像についての「言い訳」記事が掲載された。
「フジ三太郎で描かれた女性像は一見ステレオタイプに見えたかもしれないが、
実はフジ三太郎は、進んだ女性像も描いていて・・・」云々という内容だったと思う。
私は、怒りを感じた。
フジ三太郎は、ステレオタイプな男性像をこれでもかとばかりに描いていたではないか。
女性像についてだけ言い訳するということは、言外に、「男性像には何の問題も
ありませんでした」と言っているも同然である。
例えば、主人公が若い女性を見てニヤけているコマがあるとして、若い女性の描き方
(あたかも若い女性が男の性欲の対象となって当然のように描いている)には問題が
あるが、男性像の描き方(男は若い女性を見ると、当然にいやらしい目つきで見る)には
何の問題もないという訳だ。

当時は、インターネットどころか、パソコン通信さえない時代である。
一般の民衆に自分の意見を多数に向けて発信する手段は殆どなかった。
私も、朝日新聞の一方的な男性観に異論を表明することが出来ず、ストレスが

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