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2016年1月18日 (月)

メイル・フェミニズム

1980年代終わり頃、私は、やっと私の考えに沿う本を見つけた。
『アメリカの男たちはいま』下村満子、朝日新聞社、1982
『脱男性の時代』渡辺恒夫、勁草書房、1986
である。
それまで、世界がよってたかって、自分を否定しようとしていると
感じていた私にとって、それは大きな驚き、そして喜びだった。
1991年には、アメリカの男性団体NCFMの本の抄訳版である
『正しいオトコのやり方』 下村満子訳、学陽書房、1991
が出版され、私は「やっと、いい方向の風が吹き始めた」と思った。

そして、90年代中頃から日本に登場してきたのが「男性学」「メンズリブ」と自称する
一連の本であった。
当初、私は、当然期待した。
しかしやがて、それは、失望へ、怒りへと変わっていった。
自称「男性学」「メンズリブ」の本を読んでも、ちっとも、心に響かない。
それどころか、不愉快な違和感が湧いてくるのである。
その不愉快さはフェミニズムの本を読んだ時のそれにそっくりだった。
そう、自称「男性学」「メンズリブ」とは、実は、フェミニズムの一派だったのである。
「男性よ、女性に対する加害者であることをやめよう、そうすれば男性は開放される」
というような内容で、男性を加害者、女性を被害者と位置づけている。
男性=加害者、女性=被害者と位置づけるのは、例え「メンズリブ」と自称していても、
フェミニズムの一種と考えるのが妥当である。
(この手のフェミニズムをメイル・フェミニズムという。)

その後、フェミニストと論争した時、そのうちの一人のフェミニストが私にこう言った。
「私は、伊藤公雄(メイル・フェミニズム本の著者)を読んでいるので、
あなたを理解できると思います」
はぁぁぁ?伊藤公雄を読んで私を理解できるわけ無いではないか。
恐らく、彼女は、さぞ楽しい気分で伊藤公雄の「メンズリブ本」を読めたことだろう。
当然である。
実際には、それは「フェミニズム本」なのだから。

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