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2016年3月

2016年3月28日 (月)

女性の肉体の神秘に対する羨望(書きかけ)

15年くらい前、フェミニストのグループとインターネット上で論争をしたことがある。
その時、フェミニストの一人が私に言った。
「あなたは、女を羨ましがっているみたいだけど、女には月経があるのよ。
あなたは、耐えられるの?」と。
彼女の着眼点は鋭い。
ただし、完全に方向が逆である。
私は月経を「耐える」というマイナスのものとは考えていなかったからだ。
私は、中学生くらいの頃からずっと女性の月経を羨んでいたのだ。

(この項書きかけ)

2016年3月11日 (金)

精神科で女医から「男性患者だから」という理由でドア開け診療を強要された

もう10数年前の話にある。
私は、当時、自由診療で精神科のクリニックにかかっていたのだが、
その精神科医とのラポール(信頼関係)が壊れてしまったので、
別の病院に行ってみようかと考え、某都立病院の精神科を受診した。
極めて重症の患者を扱う病院だが、私が取り敢えず思いつく公共の病院は
そこだけだった。

その日の初診担当は、女医だった。
私が、診察室に入り、診察室のドアを閉じようとしたこころ、女医は言ったのである。
「ドアを閉めないでください。私は、男性患者の時は、ドアを開けて診察することに
しているんです。」
唖然とした。そして、屈辱感と怒りがこみ上げてきた。
私は、男性差別に悩んでいるのだ。ところが、その悩みを解決するために訪れた病院で
男性差別にあってしまったのである。
私は、悩みを話さなかった。男性を差別する女医に、男性差別で悩んでいることを
話すことなど出来なかった。
また、ドアが開いている診察室で、自分の秘密を話すことも論外だった。
悩みを解決するべく訪れた病院で、悩みと怒りは更に深まる結果となった。

私は、どこかの苦情窓口(10年以上前のことなので、どこだったかは思い出せない)に
苦情の電話を入れた。しかし、応対した女性は言い放ったのである。
「女医が怪我をしたらどうするんですか!」と。
私は、他人に暴力など振るわない。
男性患者と女医というだけで、男性患者は暴力予備軍だというのだろうか?
もし、白人精神科医が、患者が黒人だからというだけでドア開け診療を要求したら、
人種差別として大問題になるだろう。

私は、更にインターネットの都のホームページから抗議をした。
そうしたら、その病院の院長から返事が来た。
「当院では、初診に限り、医者の安全をはかるためドア開け診療を認めている。
患者の性別を問わず、そうしているが、もし、医者に男性差別と誤解される
言動があったならば遺憾である。今後、そのような誤解を受けることが無いよう
職員を指導する」という内容だった。
通り一遍ではあるが、一応、きちんとした返事ではある。
しかし、今後も、実際には「男性患者だから」という理由であっても、別の理由をつけて
ドア開け診療をする可能性は残っている訳だ。

私を担当した女医には「そんなに、精神科にかかる男性患者が怖いなら、
精神科医などやめて別の科の医者になったらどうですか」と言いたいが、
世間の雰囲気的には、「女性の(精神科医になる)権利の侵害」と言われそうである。
「女性様の権利のためなら、男性はドア開け診療という人権侵害に耐えろ」というわけだ。
というよりも、そもそも、女性の前では男性に人権なんかないのである。

2016年3月 8日 (火)

「女性は神聖にして侵すべからず」

戦前の社会においては、国民の権利を害する国家的政策について、
「国民の権利を侵害するから反対」というような批判をすることは困難(または不可能)
だった。
政策を批判をする場合は、本当は国民の権利侵害を批判したい場合であっても、
「そのような政策は、お国のためにならない」という論調での批判しか
出来なかったのである。
そして、今日、女性に不当な特権を与え、男性の権利を侵害する国家的政策について、
「男性の権利への不当な侵害である」という批判をするマスメディアは殆ど無い。
女性優遇政策を批判をするとすれば「そのような政策は、本当には女性の為にならない」と
いう論調ばかりである。
戦前は「天皇(=国家)は神聖にして侵すべからず」だった。
だから「お国のため」と言われれば批判が困難だった。
現代社会においては、「女性のため」と言われると批判が困難である。
いわば、「女性は神聖にして侵すべからず」が現代社会の不文律なのである。

関連記事:
「女アゲの男が出世する」という「危険なゲーム」

成人男性が成人男性の論理で動くと「女性・こども」になる。

2016年3月 5日 (土)

映画:ナインハーフ

ナインハーフは、1980年代のアメリカ映画である。
若い男女が出会って別れるまでの9週間半(Nine and Half Weeks)を
描いている。
この映画について、新聞でこういうレビューを読んだことがある。
「女が男の思うがままにされてしまう、女性蔑視映画」と。
恐らく、そういう評価をすれば無難なのであろう。
間違っても、私のように「女になって、目隠しをされ、自分の美しい肉体を
氷でやさしく嬲られる体験をしたい」などと感じてはいけないのである。
(映画中にそういうシーンがある)

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