« 2016年7月 | トップページ | 2016年10月 »

2016年8月

2016年8月24日 (水)

雑誌記事:PENTHOUSE日本版1987年11月号 ワレン・ファレル博士

蔵書を整理していたら、バブル初期の男性誌(PENTHOUSE日本版1987年11月号)が
出てきた。
パラパラめくっていたら、ちょっとびっくりするような人の記事が。
ワレン・ファレル博士・・・
そう、マスキュリズムの大書『男性権力の神話』の著者である。
(『男性権力の神話』は、1993年頃の出版である)
博士は、当時、43歳。今の私よりも若い。
中身を読んでみると、まだそれほど、マスキュリズム的主張は前面に出ていない。
どちらかといえば、メイルフェミニスト的な主張に近い。
(博士は、もともと、NOW(アメリカのフェミニズム団体)の唯一の男性評議員であった)
だが、その後の、主張の萌芽と感じられることも書いてある。
「女性が美しさを磨くのは、男性の持っている経済力を手に入れようとするためで
女性が無力な証拠である。しかし、男性もまた無力であり、「(肉体的な)力」、
「経済力」、「主導権」を持たなければならないのである。
「経済力」や「積極性」を女性に要求し、恋人に対して「そうしてくれなければ
別れるよ」といえるような男性こそ、新しい男性である」
というような内容である。
興味のある方はご覧になってはいかがだろうか。
(因みに、1ページだけの記事である)

なお、その反対側のページは、コンドームの広告で、お腹の大きいマタニティ姿の
男性が3人写り、コピーは「男も妊娠すればいいんだ。」とある。
コンドームの広告であることからも分かるように、「男も妊娠すればいいんだ」は
一種の逆説・反語である。
だが、私は、大真面目にこう答える。
「はい、男(私)も妊娠したいです。」と。

2016年8月15日 (月)

コミック:「11人いる!」

「11人いる!」は、1970年代の日本のSFコミック。萩尾望都の作品である。
私が、思春期に差し掛かった小学校高学年の時、クラスの本棚にこの作品があって、
私は大きな影響を受けた。

遠い未来、人類は広く宇宙に進出している。
そして、宇宙大学という宇宙船パイロット養成の超難関大学があって、超高倍率の
筆記試験を通過した優秀な受験生達に課せられる最終試験は、本物の宇宙船で
10人一組で53日間を過ごすという実技試験なのである。
(53日過ぎる前に緊急ボタンを押すと大学が救助に来るが、試験は不合格となる)

しかし、最初から異常事態が発生する。
1チーム10人の筈なのに、11人いるのだ・・・
11人目は誰なのか?その目的は何なのか?
・・・というストーリーである。

主人公は、(一応?)タダという青年である。
そして、フロルという青年?も登場する。(こちらが本当の主人公かも知れない。
「11人いる!」が少女漫画であることを考えれば、少なくとも、読者の感情移入対象は
フロルの筈である。)
他の受験生たちは、最初フロルを見て女性だと見做す。
華奢な体つきや長い髪は女性にしか見えなかったからだ。
しかし、フロルはそれに猛反発する。
「オレは男だ・・・」
しかし、やがて、フロルは男女に分化する前の男でも女でもない存在であることが
判明する。
フロルの星の人達は、一定の年齢になるまで、男でも女でもない。
放っておけば、ホルモンの働きで自然に男か女に分化するが、
慣習として、長子は男性ホルモンが与えられ男性に、
後から生まれた子供たちには女性ホルモンが与えられ、女性になる事になっている。
フロルは、長子ではないので、女性ホルモンを与えられ、女になる運命だった。
しかし、フロルはそれに反発し、宇宙大学に合格したら、男にしてもらうという条件のもと、
受験にやってきたのだった。

11人目は誰なのか?と皆が疑心暗鬼になっている中、宇宙船を数々のトラブルが襲う。
その中で、タダとフロルの間に愛情が芽生える。
結局、彼らは、53日間を全うできず、緊急ボタンを押すことになる。
それは、フロルの「男になりたい」という願望が成就しない事を意味した。
タダはフロルに言う。
「ぼくと結婚しなよ」
それを受け入れるフロル・・・

ところが、宇宙大学からの救助がやってきて、彼らが実は合格していたことが判明する。
フロルは、男になれる訳である。
タダはフロルに言う。「よかったな。少し、残念だけど・・・」
それに対してフロルは言うのだ。
「オレさ、おまえがそういうなら女になってもいいや・・・」

私は、この「女になってもいいや」のシーンのフロルに本当に憧れた。
男になりたいと願い、その為に努力し、そしてその権利を手に入れたところで
自ら女を選ぶ・・・
羨ましかった。

だが、今考えると、この作品は、女性漫画家である萩尾望都が女性読者に向けた
「自分が女であることを肯定しよう」というメッセージのように思われるのである。
だとすれば、私は、このストーリーを正反対に書き換えなければならない。
「男になることを運命づけられながら、女になりたいと願い、そのために努力し、
そして女になる権利を手に入れた主人公が結局最後に自ら男になることを選ぶ」
そういうストーリーにしなければならないのである。
そういう「男性肯定」の為に、この作品を読んでから約35年経った今でも、
私は努力を続けているのである。

2016年8月 2日 (火)

「肌見せ」という女性の切り札に男性が対抗する方法

昔は女はエロチックであるがゆえに肉体を隠さなければいけなかった。
(ただし、隠れているが故のエロスと言うものも生じていたことだろう。)
そして、男が、欲望してはいけない女に欲望した場合は、欲望させてしまった女が
悪いものとされた。
ところが、現代は、女はエロチックであるがゆえに肉体をどんどん晒してもよく、
もし男が肌を晒す女に欲望してしまった場合には、欲望した男が悪いということに
なっているのである。
このような状況は、特に、女性を羨む私のようなタイプの男にとっては地獄である。

そこで、私の思いつく最良の対処法は、男が女体に欲望するのをやめることである。
例えば、私はかつて(そうとう昔)男性同性愛者のパソコンネットで「女の体ほど
ねっとりとして気持ち悪いものはない」という書き込みを見たことがある。
(ゲイが全員そういう感じ方をするわけではない)
もし、男性が彼のような感じ方を身につけてしまったらどうなるだろう?

フェミニズムは、男が女に欲望するという状況をあたかも女性にとって地獄で
あるかのように表現する。
だが、私に言わせれば、女性にとっての本当の地獄は男が女に欲望しなくなった時に
始めるだろう。
現代社会で女の体が持っている神通力は消え、いくら着飾っても、いくら肌をさらしても
「気持ち悪いもの晒すな」という嫌悪の目線しか返ってこなくなるのである。
「欲望した男が悪い」の法則も、女に欲望する男がいなくなれば無意味となる。

勿論、現実に男が女に欲望しなくなることは有り得ない。
しかし、カードの一つとして、提示し続ける事は出来る筈だ。
例えば、一地方が国家から不利益を押し付けられそうな時、国家に対し
「不利益を押し付けると独立するぞ」という選択肢を提示することは、
国家との交渉を有利にすすめる上で極めて有効である。
例え、客観的には独立が不可能な状況であってもである。
同じように、女性に対し「男性に不利益を押し付けるならば、お前たち女に欲望するの
やめちゃうよ?」というカードをちらつかせることは極めて有効なように思われる。
私は、ここ30年間位、そう考え続けているのだが、世の男性たちは、その戦略を取らない。
そもそも、そういうカードが存在することにすら気づかないらしいのだ。
そして、女性の「肌見せ」カードに喜々として翻弄され続けるのである。

« 2016年7月 | トップページ | 2016年10月 »