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2016年10月

2016年10月19日 (水)

「男性服で女っぷりを上げる」はアリなのに「女性服で男っぷりを上げる」はナシか?

かなり前の記事で、昔本屋で恥ずかしい思いをしながらCanCamなどの女性誌を買って
いたことを書いた。(2002年頃から買っていたと書いたが、2000年のCanCamが、数冊
出てきたので、その頃から買っていたようだ)
その後、アマゾンが雑誌を扱うようになり、本屋で恥ずかしい思いをする必要はなくなった。
そして、電子書籍の時代になって女性誌も電子版が出るようになり、本棚を
女性誌が圧迫することもなくなった。
(以前、光文社の女性誌は電子版が出ていないと書いたが、現在は電子版が
出るようになっている)。
そして、今では、携帯電話会社の提供するコンテンツサービスにより、月432円で
様々な雑誌(当然女性誌を含む)のダイジェスト版が読めるようになった。
定額・低額で沢山の女性誌に目を通せるような環境になっているのである。
(本来の読者である女性たちにとっては、電子版ではジャニーズタレントの写真に
マスクをかけられてしまうのが大問題であろうが、私はジャニーズタレントには
興味がないのでどうでもいい)。

そして改めて気づくのが、女性誌には頻繁に「カッコいい女」とか「ハンサムウーマン」と
言うフレーズが登場することである。
言うまでもなく「かっこいい」とか「ハンサム」と言うのは本来男性を形容する言葉である。
それらの形容詞を女性は我がものとしたのである。
そうかといって、女らしさを失ったわけでもなく「フェミニン」とか「レディ」というワードも
頻繁に登場する。
挙句の果てには「メンズ服で女っぷりを上げる」と言うようなコピーまで登場するのである。
男性に果たして、「女性服で男っぷりを上げる」という選択肢があるだろうか?
(厳密に言えば存在しないわけではない。いわゆるドラッグクイーンである。
ドラッグクイーンは女性服を着ることによって、逆に男性であることを強調している一例
であろう。ただし、ドラッグクイーンは、失礼ながら、色モノとして扱われているのが実情で
ある。「男性服で女っぷりを上げる」の方は逆説ではあるが色モノでは無い。)
あまりにも不公平だと感じるのは、おかしいのだろうか?

2016年10月 1日 (土)

男性に対しては保守の論理を適用するリベラル主義者

私は、このブログで、何度かリベラル批判をしてきた。
しかし、私は決してリベラル思想そのものを嫌っているわけではない。
問題は、一部のリベラル主義者が、そのリベラル主義を男性に対して適用しないことに
ある。
(その原因は、おそらく、彼らがリベラル主義者の役割は無条件に女性の権利を
擁護することだと考えていることにあるだろう。)

かつて、Twitterで女性専用車に乗った男性に対するヘイトスピーチ(ヘイトtweetと
いうべきか?)に対する抗議をしていたら、横から割り込んできたリベラル男がいた。
その人物からのtweet(リプライ)で印象に残ったのが「大多数の人が問題にしないような
女性専用車両にこだわるお前はビョーキ」というような内容のtweetである。
この理屈は思いっきり保守主義者の論理である。
リベラルにとって大事なのは人権の筈である。
そして、人権と多数決とは、対立関係とまでは言えないが、緊張関係にある。
往々にして人権侵害は、多数決の下に起こるからである。
ところが、そのリベラル主義者が「大多数の人が問題にしないのだから、
女性専用車両には何の問題もなく、問題にする方が病気だ」と宣うのである。
男性に対しては、保守主義者の論理を適用する訳だ。
やはり、「男性に人権はない」と言わざるを得ないだろう。

彼は、黒人に対する公共交通における差別に抗議したローザ・パークス女史が
もしまだ生きていて、Twitterをしていたら、「大多数の人が問題にしない黒人隔離を
問題にするお前は病気だ」というtweetを彼女に送るのだろうか?

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