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2016年11月

2016年11月18日 (金)

【短文】デパートの閉店ラッシュに思う

最近、デパートの閉店の話題をよく聞く。
さみしいと思う一方で「ざまーみろ」と感じてしまうのも事実である。
私がデパートに興味を持っていた若い頃、デパートは女性にばかり媚びていた。
しばらく前の記事で、私と同世代の女性がバブル期に於ける就職活動で女性だからと
いう理由で差別されたと語っている話を書いたが、彼女たちも、かつて憧れて
入社を望んだものの、女性であるが故に差別された企業が潰れると聞いたら
「さみしい」と思う一方で「ざまーみろ」と感じるのではないだろうか。

2016年11月15日 (火)

【お知らせ】短文記事の掲載を始めます。

今後、短文のブログ記事を掲載しようかと思います。
起承転結をつけて書いていると、手間暇が掛かり、いつまでたっても
完成・掲載が出来ないためです。

以前、比較的似たようなことを書きましたが、その時は、本来長文である
文章を完成した部分から掲載する(従って、最終的には長文になる)
という事でした。
今回は、短文で完結する記事を今後掲載していくということです。

2016年11月14日 (月)

東大があからさまな女子学生優遇を始める

東大が自宅外に下宿する女子学生(自宅から通った場合の通学時間が90分以上)に
月3万円を最長2年間給付する事を決めた。
また、教養課程のある駒場キャンパスの周囲に安全性、耐震性の優れたマンションを
100戸用意するのだと言う。
「安全性、耐震性の優れたマンション」というのが、女性専用なのかどうかは
分からないが、いずれにせよ、ひどい男性差別であると言わざるをえない。
東大の女子学生は「安全性、耐震性の優れたマンション」に3万円引きで
住めるというわけだ。
男子学生は、安全性・耐震性の低い下宿で構わないとでもいうのだろうか?
「保護者の安心」を名目にするが、保護者の「女は東大に行かなくてもいい」という
考え方は無くさなければならないが「女は安全な環境に」という考えは
保護するということだろうか?

最高学府の東大が、女子学生優遇を打ち出したことで、様々な大学が安心して
女子学生優遇を出来る環境が整ったと言えるだろう。
(元々、一部の私立大学は、入試の際、女子受験生に加点をしている。
別に最近始まった話ではなく、20年以上前の新聞投書欄(朝日新聞1993年11月12日付)で
高校の教員が書いている話である。
但し、当時は、高校教員向け説明会だけで説明し、一般への公表はしていなかった
らしいが、今回、東大があからさまな女性優遇を打ち出したことで、今後は
各大学がおおっぴらに女性優遇を始める可能性がある。
「赤信号、皆んなで渡れば怖くない」ということだ。)

こうやって、女子は女子として保護され、優遇されて男性の領域を侵犯する。
そして、男性は、保護もされなければ、女性の領域を侵犯することも許されない。
一部の人には、そういう状況が男女平等に見えてしまうらしいが、
私には全く理解できない。

(関係ないが、最近、男性同士の宿泊を拒否したラブホテルが旅館業法違反で
行政指導を受けたと言う。ここで、女性のみしか宿泊させないホテルが旅館業法に
違反しないのかという疑問が浮かぶ。勿論、違反であったとしても、行政は
目を瞑るだろうが。)

2016年11月 8日 (火)

女を利用する「保守」

リベラル批判ばかりしすぎたからと言うわけではないが、今度は保守主義について
批判したい。

日本の保守が「女は利用できる」ということに気づいたのは、1970年代のことでは
ないか?(私もまだ50年生きておらず、70年代は子供だったから推測でしかないが)
50年代、60年代、大学キャンパスにおける主役は、反体制を叫ぶ男子学生だった。
それが、70年代に入って、反体制運動は鳴りを潜め、ブランド物を身に付けた
女子学生が大学キャンパスの主役になってゆく。
ブランド物とは言うまでもなく、権威主義的、かつ保守的なものである。
ここに「男=保守、女=進歩」と言うマスメディアが描きがちな構図とは別の現実が
見えてくる。
一部の左翼の夢想とは裏腹に、女と保守は相性が良いのである。

そして、1970年代末ごろにイギリスにサッチャー保守政権が誕生する。
「鉄の女」サッチャーは、非情なまでの保守政策を推し進めることに成功した。
彼女は、男がやれば、「残酷な男」と非難されることも、女がやれば「勇敢な女」と
いう肯定的評価になるのを利用したように思う。
(ついでに言うと、イギリスとアルゼンチンの間にフォークランド紛争が起きたのは
サッチャー政権の時だった。
「女性=平和」とか「戦争の一番の犠牲者は女性」などと言う者は、フォークランド紛争を
起こしたのは男だったか女だったか、その結果、戦場で死んだのは男だったか女だったか、
よく考えてみるべきである。)

1980年代末期には、土井たか子社会党が、消費税導入が争点となった選挙で女性候補を
使ったマドンナ旋風を巻き起こして大勝した。既に「女は利用できる」ということに
気付いていた保守は、これを見て本格的に「女で攻めてやろう」と考えたのではないか?

保守はもちろん、本質的には「男は男らしく女は女らしく」という思想を持っている。
しかし、革新・リベラルとの間で様々な争点がある中、何か一つ譲歩するとしたら
「女性」で譲歩する。そしてそれによって、多大な利益を得るのである。
例えば、安倍政権は「女性が輝く」というフレーズを連呼することによって、
その本質的保守性をごまかすことができる。
そして、ゴリゴリの保守主義者を閣僚に任命しても、その閣僚が女性であることによって、
マスメディアの批判は及び腰となる。
こんなにおいしい話がどこにあるであろうか。

かくして、保守は保守の思惑で、リベラルはリベラルの思惑で、商業主義は商業主義の
思惑で女性オシを競い合う事になるのである。
そして、その陰で、蔑ろにされるのはもちろん「男性の権利」なのだ。

2016年11月 2日 (水)

「女性の権利」と「低所得者の権利」は同じか?

世の中で「女性の権利」という時の「あるある」が
「女子供扱いされない権利」と「女子供として保護される権利」の
混同である。
これらは、互いに相容れないはずなのだが、セットで「女性の権利」として
尊重することを求められる。
それを受け入れられない男性は寛容を装うリベラル派から「ホシュハンドー」と
呼ばれることだろう。

では、どうして互いに相容れない筈のものが、ワンセットになりうるのだろうか。
彼ら(リベラル派)にしてみれば、「女性の権利」と「低所得者の権利」は
似たようなものである。
低所得者であっても、中高所得者が持っている権利の享受を保証されるべきであり
(≒女子供扱いされない権利)
且つ、低所得者としての保護(例えば、生活保護のような)も与えるべき
(≒女子供として保護される権利)
という訳だ。

だが、私に言わせれば、女性は低所得者と同じではない。
私は、女性はとてもリッチ(豊か、金持ち)な存在だと感じているからだ。
寛容とは「上の者が下の者に示す余裕」である。
女性の方がリッチ(上)で、男性の方がプア(下)だと感じている私が、
どうして、女性に対する寛容を示すことが出来るだろうか?

関連記事:「女は周回遅れ」か?

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