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2017年3月 8日 (水)

官能小説としての眉村卓

中学1、2年生の頃、私は好んで眉村卓のジュブナイルSF小説を読んだ。
ストーリーが面白かったということもあったが、実は私にとっては、
眉村卓のジュブナイル小説は、エロ本だったのである。
眉村卓の小説は私のマゾヒズムを満たしてくれた。
例えば、こんな内容の小説があった。(多分『地獄の才能』だったと思う。30年以上前に
読んだきりなのを思い出しながら書くので、細かいところは違うかもしれない)

主人公の通う学校に天才的な頭脳を持った生徒たちが現れる。
実は彼らは地球侵略をもくろむ宇宙人たちに洗脳されていた。
宇宙人に洗脳されると、天才的な頭脳を待つようになるのである。
そして、主人公も罠にはめられ、洗脳されそうになる。
これこそ、私が待ち望んだシチュエーションである。
その洗脳シーンを中学生の私は陶酔しそうになりながら読んだ。
グロテスクな姿の宇宙人が、自信ありげに主人公に手を伸ばしてくる。
主人公は宇宙人の手を握りたい衝動にかられる。
(手を握れば洗脳が完了し、主人公は宇宙人のしもべとなる。
そして、主人公は天才的な頭脳を手に入れ、その能力の全てを使って
宇宙人の地球征服のために尽くすのである。)
「手を握ってしまえ!!」
私は心の中で叫んだ。
しかし、そこに救い手が現われてしまうのである。
そこがジュブナイル小説の限界と言えるだろう。

そして、その手の限界がないのが官能小説である。
しかし、官能小説を読むようになって、私は欲求不満に陥った。
私が「こんな目にあいたい」と思うようなエロチックな体験をするのは
女性ばかりなのだった。
男性がエロチックな体験をすることはない。
それどころか、そもそも男性は描かれない。
描かれるとしても、反吐が出そうな汚らしくて感受性のかけらもない存在として
描かれるのだ。
前述の眉村卓の小説で言えば、男性は地球征服を目論むグロテスクな宇宙人なので
ある。
一般の男性たちが、なぜこのような、自分たちは描くに値しない汚らしい存在で、
女性ばかりが美しく、かつエロチックな体験をする小説に興奮し、満足できるのか
理解できない。

(以下、余談)
眉村卓を好んだ中学生の頃、私が惹かれたのが、光瀬龍のジュブナイル小説(のタイトル)
であった。
「北北東を警戒せよ」
「暁はただ銀色」
「立ちどまれば・死」
中学生の私は思った。「なんて、かっこいいのだろう・・・」
完全に厨二病発症である。(笑い)
勿論、光瀬龍は中学生が好みそうなタイトルを狙ってつけたのである。

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