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2017年3月 9日 (木)

ナルシストから醜貌恐怖症への転落

私が自分の容姿に関心を抱くようになったのは小学校高学年になった頃である。
小学5年生になって、毎日が楽しくてワクワクしていた。
そしてそんな毎日の中でいつしか自分の容姿への興味が生まれて行った。

私は、鏡を見るようになった。
そして、鏡の中に「美しい自分」を発見したのだった。
いつのことかは思い出せないのだが(但し、間違いなく小学校高学年の頃の話だ)、
私は、鏡に映る自分に陶然としてしまったことがある。
喜びというよりは恐怖を感じた。「自分は他の人たちと違う」という恐怖感だった。
世の中には、美しい人たちの美しい土地が存在し、そして、自分もその一員だ、と感じた。

小学5年生の終わりに、女の子からバレンタインのチョコレートとラブレターを貰った。
春休みには、その女の子からデートをして欲しいという電話がかかって来た。
私は、女の子が男の子の美しさを賛美し、デートを申し出ることに何の疑問も
感じなかった。
まさか、男性が女性の美しさを賛美し、デートを申し出るのが大人の世界のジョーシキだと
は全く気づかなかった。

小学6年生になって、学校のクラブ活動で私は副部長に自ら立候補した。
他に2人立候補者がいて、それぞれが抱負を述べた後、クラブ部員全員で挙手による投票が行われた。
そして、殆どの人の手が私に上がったのを見た時、私のナルシシズムは頂点に達した。
皆に、自分の美しさを賞賛されているような、皆から欲しがられているような
気がしたのである
(今思うと、彼らがなぜ私に手を挙げたのか正確な理由は分からないのだが)

だが、私のナルシシズムはそこまでだった。
その頃から、セックスの情報が入ってくるようになって、男性が女性の美しさに欲望し、
彼女たちを欲しがらなければならないということが分かってきたのである。

中学に入ってから、私は鏡の前で、常に欲求不満を感じるようになっていた。
鏡の前に立った時、私の期待するような姿が映らなくなっていた。
そして、中三になった頃、私はついに鏡の中に「醜い自分」を発見してしまったのである。
変な体型、短い足。
しかし何よりも私が嫌だったのは、ズボンの前のモッコリだった。
まるで形が分かってしまうかのようなモッコリだった。
「自分のペニスは大きいのだろうか」私は悩み、ペニスを憎んだ。
(普通の男の子は「小さいのではないか」と悩むらしいが )
外出しようとしても、鏡の前で1時間2時間自分の醜い姿を眺めた挙句、結局出かけられ
ないことが多くなった。
唯一外出することが可能なのは、学校の制服を着るときだけだった。
誰でも知っている通り、制服には匿名化効果がある。
制服を着ているとき、私は個人ではなく、XX高校の生徒なのである。
しかも、制服は体型やズボンの前のモッコリが目立たない(ような気がした)のも良かった。
私は私服での外出が困難になっていった。
夏休み中も、どこか行きたい時は制服で外出した。
制服を着て、用もないのに誰もいない学校へ行き、それから本当に行きたい場所に
行っていた。直接本当に行きたい場所に行っても、誰にも分からないだろうが、
自分自身に言い訳が出来なかった。
だから、登校時制服着用義務がある学校へ行って、自分が制服を着ると
いう行為を正当化する必要があったのである。
学校を卒業したら、制服が着れなくなってしまう・・・
ズボンの前がもっこりした短足の自分を隠すことが出来なくなってしまう・・・
わたしはそれを恐怖した。

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