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2017年7月

2017年7月22日 (土)

子供の時に女の子に同情したことを後悔させる「男女共同参画」

はじめに、この記事は「男女共同参画批判」にカテゴライズしてあるが、
論理的な男女共同参画批判というよりは、感情的・感傷的な内容であることを
お断りしておく。

小学校6年生になった新学期に私のクラスに一人の転校生の男の子がやってきた。
彼は非常に素行が悪かった。
朱に交われば赤くなる。
彼と彼に影響された男の子たちによって、クラスのムードは急速に悪化していった。

彼がクラスに持ち込んだものの一つが「プロレスごっこ」という、当時の私にとっては
想像を絶する野蛮な遊びだった。
(私はプロレスというもの自体をその時初めて知った。)
「ごっこ」といっても、技をかけられるのは、いつも決まって小柄な男の子であり、
その男の子が嫌がっている事は明らかだった。

そして、そのワルの男の子がもう一つターゲットにしたのが女の子たちである。
クラスはいつしか、教室の真ん中に通路ができて、男の子と女の子が両方に
分離する状態になった。
彼は、「女の子たちの髪の毛を刈ってしまえ」と担任の先生に要求した。
私は、女の子たちに深く同情した。

しかし、今では、女の子たちに同情したことを後悔している。
その転校生に対する嫌悪は今でも変わらないが、女の子たちに関しては、
同情する必要はなかった。
フェミニズムが幅をきかせている大人の世界に入っていく一歩手前の
その時が、女性に報復する最後のチャンス(未来に被る仕打ちへの報復と
いうのも変ではあるが)だったのだ。
もちろん、同級生の女の子たちには何の恨みもない。
何の恨みもない女の子たちに対して、未来に男女共同参画によって被る仕打ちの
報復をするというのは理不尽かもしれない。
しかし、男女共同参画は、私が男性であるというだけで、私に対してずいぶん理不尽な
仕打ちをしたのである。(私が受けた理不尽な仕打ちについては、まだこのブログには
書いていないが。)
理不尽に対しては理不尽で対抗するのみである。

それにしても、女の子たちに深く同情していた私に、
その同情を後悔させてしまう「男女共同参画」って、一体なんだろう?

2017年7月17日 (月)

男女平等あるある(その1)

「男女平等へ向けて前進せよ」とフェミが言う。
だから、一生懸命アクセルを踏むんだけど、何故か前へ進まない。
よく見たら、フェミがブレーキを踏んでいた。

2017年7月14日 (金)

自分の肉体から消えてゆくエロス

子供の頃、自分の体はエロだった。エロティックな体験は自分の体に起きていた。
小学生の時、何人かのクラスメイトに体を押さえつけられ、くすぐられたことがあった。
くすぐったくて、真剣に「やめて」と頼むと結局はやめてくれるのだが、
そのあとで、「あのままくすぐり続けられていたら、自分はどうなってしまっていただろう」と
思うとゾクゾクした。
或いは、お風呂場でシャワーを浴びていて、ある時、おへその辺りにシャワーをかけたら、
くすぐったいようなものすごく変な感覚を感じた。
それ以来、私は時々、おへその辺りにシャワーをかけるようになった。
これらは、今考えると、エロチックな体験だったように思う。

しかし、思春期に入って、自分の体のエロは消えていった。
エロチックな体は女の体なのだった。
エロチックな出来事は女体にしか起こらないのだった。
エロチックな体験をするのは女だけであり、男はと言えば、エロチックな女の体、
女の体験するエロチックな体験にひたすら欲望しなければならないのだった。
私に言わせれば、エロチックな体(女性の肉体)こそ一流の肉体であり、エロチックな体を
持たず、一流の肉体(女性の体)に欲望し続けなければならない男性は、三流の存在で
ある。
しかし、世間的には、女性が蔑視されていて被害者、男性は加害者であるということに
なっているのである。
(その世間的な見方と、私の見方をくっつき合わせると「男性は三流の肉体しか持たない
加害者」という最低のイメージが出来上がる)。
私はそれが不愉快で仕方がない。

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