« 子供の時に女の子に同情したことを後悔させる「男女共同参画」 | トップページ

2017年8月 5日 (土)

男性の人権について -2-

今回は、男性の人権について、道路の信号機を例に考えてみたい。

先を急いでいるのに、信号機が赤であるがために、止まらざるを得ないと
いうことは、誰もが日常的に体験していることだろう。
つまり、道路の信号機は、私たちの権利(人権)を制限する存在である。

信号機について保守主義者は、こう考える。
「信号機(人権の制限)とは国家という、国民より上位の存在が国民に対して
課す義務である」と。
それに対して、リベラル主義者はこう考える。
「信号機とは、人と人(或いは車)同志の衝突を防ぐ、権利調整手段である」と。
人や車の往来が多い交差点に信号機を設けずに放っておいたら、
人と人(或いは車)とがぶつかってしまい、ぶつかった者双方に不幸な結果となる。
そこで、信号機を設置し、権利の調整をして、人(人権)同士の衝突を防止すると
いう訳だ。
(このような人間同士の権利調整の結果、生じる信号機(人権の制限)を
「人権の内在的制約」と言う。)

では、人(人権)と人(人権)とが衝突することがありえない場所に
国家が「国益のため」と称して信号機(人権制限)を設置したらどうなるだろう。
(このような信号機(人権制限)を「人権の外在的制約」という)
保守主義者はこう考える。
「お国の定めた義務だから、国民は従わなければならない。」
リベラル主義者はこう考える。
「人と人(人権と人権)が衝突する可能性のない場所に信号機(国民の権利制限)を
設置する事は、国家による国民に対する不当な人権侵害である。」

現在の日本国憲法は、リベラルな憲法であり、原則として、人(人権)と人(人権)が
ぶつかる可能性がある場所のみに信号機(人権の制限)を設けることが出来ると
解されている。

もう一つ重要なのは「信号表示の平等性」である。
信号の表示(赤とか青とか黄色とか)は、誰に対しても平等でなければならない。
「偉い人が来たときには青を表示するが、卑しい者が来たときには赤を表示する」とか、
「女性が来たときには青を表示するが、男性が来たときには赤を表示する」と
いうような不平等は許されないのである。
これを「法の下の平等」といい、以下に示す憲法14条で宣言されている。
>第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、
>社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

「性別により差別されない」と書いてあり、「女性であることにより差別されない」
とは書いてないことに注目するべきである。
つまり「女性であることにより差別」してはいけないが、「男性であることにより差別」
してもいけないわけだ。

ただし、特に左翼的傾向の強い人は、こう考えることがある。
「社会的弱者に対しては、信号を優先的に青表示するべきだし、それは法の下の平等
には反さない」
例えば、交差点においては、人間(弱者)が優先、車(強者)は劣後となっていているが、
それは、「法の下の平等」には反さないのと同様という訳だ。
そして、女性を社会的弱者とみなすと「女性に対しては、信号を優先的に青表示しても
「法の下の平等」には反さない」というフェミニズムにとって都合の良い結論と
なるのである。

その結果、電車において「男性に対しては赤信号、女性に対しては青信号」の車両
(女性専用車両)が出てくる訳だ。

私としては「社会的弱者に対して、信号を優先的に青表示する」ということに絶対的に
反対と言う訳ではない。(場合と程度によると考えている)
ただし「女性に対して優先的に青信号を表示する」ことに対しては絶対反対である。
なぜなら、私にとって、女性は弱者ではないからである。
私にとって、女性は、私の欲しかったものを全部奪っていった強者なのである。

« 子供の時に女の子に同情したことを後悔させる「男女共同参画」 | トップページ

男性差別」カテゴリの記事