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2017年9月

2017年9月19日 (火)

もう少しで小さい時からの宝物をオンナに奪われそうになった話

あなたには、子供の頃から慣れ親しんだ大好きな場所、「ここは自分の場所だ」と
感じる場所はないだろうか?
もし、その場所が「女性専用」(あるいは「男性専用」)に指定され、「女性専用」とか
「男性専用」というポスターが掲示されて「自分が男だから」(あるいは女だから)と
いう理由で入れなくなってしまったら、あなたは、どう感じるだろうか?

私は、危うくそういう目に遭いかけた。
幸い、実際には、そうはならなかったが、それは、別に、私の人権が配慮されたから
ではない。
ただの偶然である。

私は、幼稚園から中学にかけて、東京郊外の私鉄のM線の沿線に住んでいた。
私には、当時から好きな電車があった(番号が好きだった)。
大人になった今、電車の番号に萌えるということは、もはやない。
しかし、当時は、電車の番号にそれぞれの番号独特の雰囲気を感じていた。
そして、私が好きだった番号が7621(仮番号で、実際の番号とは違います)だった。
それは、私の宝物だった。電車の絵を描くときは、7621の絵が多かった。

その後、私も他所の沿線に引っ越し、長い月日が経ち、私もいい年をした大人になって
いたが、やはり、7621が好きだったし、7621を自分の電車だと感じていた。
いよいよ、7621が引退間近となったとき、私は暇さえあればM線に乗りに行き、
7621の写真を撮り、実際に乗車して別れを惜しんだ。
そして、7621は引退し廃車になって行った。

その僅か数ヶ月後、M線の優等列車に女性専用車両の導入が発表された。
しかも、ラッシュ時だけではない終日女性専用車両だった(但し、土休日は除く)。
そして、その女性専用車両の編成中の位置は、7621の連結されていた位置だったのである。
もし、7621の引退が数ヶ月遅れていれば、私は、7621に醜い「女性専用車両」のステッカーが
貼られ、例え、車内が空いている昼間などの時間帯であっても、自分が乗車する
こともままならないまま、7621の引退を見守らなければならないことになっていた。
(正確には、各駅停車として走っている時なら乗れるわけだが、7621は、優等列車と
して走っている時が多かったし、私も優等列車として走っている7621に
乗りたいのである)

もし、そういう事態になっていたら、私の心はズタズタになっていただろう。
7621の引退は残念だったが、女性専用車両導入前に引退してくれたことで
最悪の事態は免れたわけだ。
(「女性専用車両」ステッカーが貼られた7621の姿を想像するとゾッとする、と書いたら、
私は女性憎悪者ということになるのだろうか?)

勿論、7621は、私の所有物ではない(鉄道会社の所有物である)。
しかし、女性の独占物であってもならない筈だ。
何故なら、公共交通機関だからである。

それにしても、「個人の幸せを国益のために犠性にすることがあってはなりません」的な言説を
叶くサヨクの一部の人達が、私を含む多数の男性の幸せを奪う
女性専用車両には大賛成するというのは全く寒い光景である。
国益ではダメだが、女性の利益の為なら、個人の幸せを奪っても、全然、構わないと
いうことだろうか。

2017年9月 6日 (水)

緊急アップロード:元SEALDs 諏訪原健氏「女性専用車両は男性差別という社会風土の弊害」を読んで

昨日、新しい記事を掲載したばかりなのだが、今朝、とても気になる記事を見つけたので、
私の意見を述べてみたい。
元SEALDs 諏訪原健「女性専用車両は男性差別という社会風土の弊害」
詳しくは、記事を読んでいただきたいが、要するに女性専用車両擁護論である。

>しかもわざわざ女性専用車両に乗り込むことで、抗議する男性までいるというから
>驚きだ。
特定秘密保護法という国民の人権を侵害する法律に抗議しデモ活動をしていた人が、
女性専用車両という国民の人権を侵害する制度に抗議して女性専用車両に乗る人に
「驚き」とは驚きである。
女性専用車両には「痴漢対策」という尤もらしい理屈がついているが、特定秘密保護法
にだって、いかにも尤もらしい理屈はついているだろう。
尤もらしい理屈をつけて、国民の人権を侵害する法律や制度を導入し、既成事実化して
から、どんどん適用範囲を拡大していく。特定秘密保護法も、女性専用車両も同じである。

>駅の構内で、「痴漢は犯罪」と書かれたポスターを目にする度に、「そんな当たり前の
>ことを啓発しなければならないのか……」と感じていた。しかしそれほどまでに、
>きちんと「犯罪」として受け止められていないというのが、残念ながらこの社会の
>現状なのだ。
例えば、本屋に行くと「万引きは犯罪です」と言うポスターが貼ってあるが、日本人の
万引きに対する犯罪意識はそんなに低いのであろうか?そんなことはないであろう。
殆どの人は、万引きが犯罪であることを認識しているはずだ。「万引きは犯罪です」と
いうポスターは、飽くまでも、一部の万引き常習犯に対する警告であろう。
「痴漢は犯罪です」というポスターもそれと同じである。

>まず思うことは、日本社会では「痴漢」が深刻な社会問題として認識されていないと
>いうことだ。「痴漢」と検索してみて驚いたのだが、上位にくるのはアダルト関連の
>サイトばかり。
「そんなにひどい状況なのか?」とGoogleで「痴漢」を検索してみたが、検索結果
上位20位までで、アダルト関連と認められるものは、4件だった。
彼にとっては、上位20件で4件で「アダルト関連のサイトばかり」と映るのだろうか?
加えて言うならば、これらのアダルトサイトは、恐らくSEO(サーチエンジンで上位に
表示されるようにする裏技)を使って検索上位を得ているであろう。

>女性専用車両という取り組みは、このような社会状況の中で、性暴力に対処していく
>ための応急処置として生み出されたものだ。決して女性だけの利益を拡大しようと
>する思惑の上に成り立っているものではない。

上の引用文章の理屈、なんか、特定秘密保護法を推進している人達の言い草と似ている
ような気がするのだが。
例えば、彼は、大阪のJR電車の日中の各駅停車(終日女性専用車両が導入されている)に
乗ったことがあるだろうか。
電車全体が、ガラガラであり、女性専用車両は、更にガラガラである。
痴漢など発生しないようなガラガラの電車に「女性専用車両」が導入されているのである。
これらは、明らかに「性暴力を防ぐための応急処置」とは言えない。
「女性専用車のための女性専用車」である。(女性専用車が自己目的化している)
しかも、女性専用車両は、多くの駅で階段に近い便利な場所にあり、男性は便利な
車両に乗れないという不条理を味わっているのである。それに文句を言ったら、
女性に対する性犯罪に無理解ということになるのだろうか?

また、東京では、女性専用車両だけ広告が他の車両と違っている場合が多い。
鉄道会社が「女性専用車広告枠」を設定して、広告主に割高な料金で提供しているので
ある。これは、明らかに女性専用車両を商用利用しているのであり、
「性暴力を防ぐための応急処置」では説明がつかないのである。

>女性専用車両によって、自分たちが抑圧されていると考える男性がいるとしたら、
>その人たちがとるべき行動は、女性専用車両や女性自体に難癖をつけることでは
>ないはずだ。
>まずは痴漢の加害者に怒りの矛先を向けるべきだ。その上で、女性専用車両を
>設けなければならないほどに、女性が性的な対象として消費され、性暴力が
>許容されてしまっているというこの社会の現状と戦わなければいけない。

特定秘密保護法によって、自分たちが抑圧されていると考える人達がいるとしたら、
その人たちがとるべき行動は、特定秘密保護法やそれを推進する人たちに
難癖をつけることではないはずだ。
特定秘密保護法を制定しなければならないほどに、国家の防衛機密を盗もうと
する人たちがいるというこの社会の現状と戦わなければいけない。
(なお、この文章は皮肉です。私自身は、特定秘密保護法に反対であることを
付け加えておきます)

>そうやって考えていくと、自分が痴漢をしたことがなくても、女性専用車両を利用した
>ことがなくても、私たちは女性専用車両をめぐる問題の「当事者」なのだ。
>このことも頭に入れながら、おかしいことにはおかしいと言わなくてはいけないと思う。

私は、痴漢をしたことはないが、女性専用車両に乗ろうとして
駅員から暴力を受けたという意味で、まさに「当事者」である。
「おかしいことにはおかしいと言わなくてはいけない」という観点から、
声を大にして言う。
「女性専用車両はおかしい」と。

最後に、
この手の記事を書くと、「男には痴漢される女性の気持ちがわからないのだ」という
感情論が却ってくることがあるのだが、私は、痴漢の被害にあったことのある、
一痴漢犯罪被害者であるということを書き添えておきたい。
(朝の混雑電車内で、局部をしつこく触られたことがある)

2017年9月 5日 (火)

「男の生きづらさ」という言葉を使って男性を侮辱するエセ男性学(2016年7月17日付朝日新聞星野智幸氏の書評を題材に)

前回、日本のエセ男性学のいう「男の生きづらさ」とは、「被害者の生きづらさ」では
なく、「加害者の生きづらさ」であるということを批判した。
読者の中には、例え、加害者扱いであるにせよ「男の生きづらさ」を問題にしている
のだから男性にとっていいことではないか?と考える人がいるかもしれない。
今回は、その点について考えたい。
題材は、朝日新聞2016年7月17日付に掲載された書評である。
小説家の星野智幸氏による多賀太著『男子問題の時代?』の書評で、
題名は、いきなり「男たちの「生きづらさ」を考える」である。
(「男たちの生きづらさ」という文言に思わず苦笑)
(お断りしておくが、私自身は多賀太氏の著作は読んでいない。
この文章は、飽くまでも、星野智幸氏の書評に対するものである。)
以下、星野氏の書評を引用する。

>「女性専用車は男性差別です」とプラカードを掲げて、女性専用車両に乗り込んで
>くる男性がまれにいる。なぜ、そんな不快なことをするのだろうか。
>それで自分の生きづらさが変わるわけでもあるまいに。
>基本的に、この手の暴力行為は、現在の男たちが抱える生きづらさへの恨みや
>不満から、生まれている。

「男たちが抱える生きづらさ」という言葉を使いながら、男性が抗議の意志を示して
女性専用車両に乗ることを「不快なこと」「暴力行為」と断定している。
多くの人がすぐに気づくことだろうが、男性が女性専用車両に乗る行為は暴力行為では
ない。

私は、女性専用車両が始まった頃、抗議の意思を示すために、警備していた駅員に
「私は男性だが女性専用車両に乗ります」と断った上で、女性専用車両に乗ろうとして、
数人の駅員によって、無理矢理強制排除された経験がある。
(私は、当時、大学院予備校と大学院で「人権」について学んだ直後だったから、
駅員たちは私を乗せるだろうと考えていた。何故なら「男性である」というのは自らは
選べない属性であり、自ら選択出来ない属性によって、電車という公共交通機関の
車両に乗せないとしたら、それは人権侵害になるからだ。)
駅員の強制排除によって私は怪我をした。
ズボンのベルトも切れてしまった。
それ以上に、精神的なショックが大きく、私は、あれから十数年経った今でも、
その時のショックを引きずりながら生きているのである。
(電車に貼られた「女性専用車両」のステッカーを見るとあの時の怒りと悲しみが
フラッシュバックする。)
私が女性専用車両に乗ろうとした行為は暴力行為ではない。
私を強制排除し、怪我をさせ、大きな精神的ショックを与えた駅員たちの行為が
暴力行為である。
星野氏の言説は、私を含む女性専用車両に抗議乗車する男性に対する侮辱である。
一経験者としていうが、男性が敢えて女性専用車両に乗るというのは、
大変に勇気のいる行動なのである。
本当の男性学なら、むしろその勇気を賞賛するべきではないか。

ローザ・パークスというアメリカの公民権運動を語る上で欠かせない女性がいる(故人)。
彼女は、アメリカの黒人女性で1950年代にアメリカの公共バスに於ける白人優先に
抗議し、白人に席を譲ることを拒否して逮捕された。
彼女が白人に席を譲らなかったことは暴力行為ではない。
彼女を逮捕した警官達の行為が暴力行為である。
もし、黒人学と自称する人たちが彼女の行為を「不快な暴力行為」と決めつけたら、
多くの人はこう考えるだろう。
「黒人学を詐称する白人優越主義なんじゃないの?」と。
同じ批判を受けなければならないのが、日本の男性学である。

上に掲げた引用文以降で星野氏が開陳している考え方は、以下のようなものだ。
男性が女性を抑圧して、現在の社会を造った。
(つまり、抑圧者が男性で、被抑圧者が女性)
しかし、男はしょうもない生き物なので、ひどい世の中しか作ることができず、
一部の男性が旨味を独占し、男でありながら、旨味を享受できない男達が出てきた。
男が女性専用車両に抗議乗車するという行為は、男でありながら、男の旨みに預かれ
ない男が被差別者である女性に対して行う、言わば八つ当たりである・・・

ひどい決めつけである。
例えば、私は男でありながら男社会の旨味に預かれず、その八つ当たりの為に、
女性専用車両に乗車しようとしたのであろうか?
断固として違う。
私は、特に思春期以降、自分の欲しいものを全て女性に奪われるという経験を
してきた。
残った数少ないものが、電車である。
バブル期の趣味男性に対するオタク扱い(私の場合は鉄道オタク扱い)に
耐え難い思いをしながらも、私は電車を愛してきた。
(一方、そのバブル期に、私と同世代の女性達は、「蝶よ花よ」と持て囃されていた)
その電車の中に女性の特権的スペースができることに私は耐えられなかった
のである。

そして、もう一つ指摘したい。
星野氏の言説にそっくりのイデオロギーを私は知っている。
ラジカル・フェミニズムである。
「男が女性を抑圧し、ひどい社会を創った。そして、男でありながら、男社会の旨味に
預かれない男が、被差別者である女性に八つ当りをしている」というのは、
そっくりそのままラジカル・フェミニズムの論理である。
星野氏の記事は、日本で男性学と称している人達の正体がラジカル・フェミニズムで
あることの一つの証左である。
だから、いくら「男の生きづらさ」というフレーズを連呼していたとしても、彼らの言説が
男性の利益に働くことは決してない。

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