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2018年2月

2018年2月25日 (日)

2004年10月4日、私の心と体は京王電鉄による人権侵害によってズタズタにされた

2004年10月4日。
首都圏各線に女性専用車両が「赤信号みんなで渡れば怖くない」とばかりに
一斉導入される2005年5月より約半年前のことだ。
(当時の私は、まさか半年後にそんなひどいことが起こるとは気づいていなかった。)

その日、私は、夜遅い時間帯に、新宿から京王線に乗ろうとしていた。
そして、新宿駅に着いてから、突発的に、当時、京王線で深夜の一部列車に
導入されていた女性専用車両に乗ることを思いついたのである。

女性専用車両については、導入当初(2000年末頃の忘年会シーズンだっただろうか)から
当然、不愉快に思っていた。
ただ、当時の私の認識は、大変甘く、酔っ払いの多い年末シーズンが終わってから
「もうこんな馬鹿げた男性差別的な事はやめて下さい」というメールでも鉄道会社に
送れば、やめるだろうと思っていた。
(もちろん、実際には、私一人のメールでどうなるものでもないだろうが、余りにも
ナンセンスな性差別なので、鉄道会社もそのナンセンスさに気付き、すぐにやめる
だろうと思った)
しかし、案に反して、女性専用車両はその後も続いた。
しかし、私は、私自身が利用する機会が殆どない深夜の時間帯だけだったこともあり、
目を背けて、見ないようにしていた。
しかし、その日は、たまたま帰りが夜遅くなり、丁度女性専用車両の運転時間帯に
なっていたのである。
これは、専用車反対の意思表示をするチャンスだと思った。
私は、2001年に大学院予備校の憲法の講義で人権について学んでおり、2004年春には
法学修士号も取得していた。その時に得た「人権」についての知識から、例え
女性専用車であっても「どうしても乗る」という男性がいれば駅員は当然乗せるだろう
と考えたのである。
(電車という公共交通機関の特定の車両に「性別」という自ら選択できない属性に
よって乗せないとしたら、それは人権侵害であり、鉄道会社は、そんなことは
しないだろうと考えた)

私は女性専用車が連結されている最後部に行ってみた。
女性専用車両は立ち客が数人いる程度で空いていた。
それでも、やはり女性専用車両に男一人で乗る気まずさを紛らわすために
「最寄り駅までMDウォークマンで、ラプソディインブルーでも聞きながら過ごそうか」と
考えながら、女性専用車両のそばにいた駅員に「私は男性ですが、女性専用車両に
乗ります」と声をかけて電車に乗ろうとした。
(わざわざ駅員に声をかけたのは、正当なことをやるのだから、こそこそやるべきでは
ないと考えたこと、女性専用車両であることに気づかないで間違って乗るわけでは
ないことを周知しておいた方がよいだろうと考えたからである)
ところが、そこで全く予想だにしていなかったことが起こった。
たちまちの間に数人の駅員たちがやってきて、私を力づくで車両から
引きづりおろしたのである。
それは生半可なものではなかった。
私は怪我をした。
(かすり傷程度ではあったが、乗客に怪我をさせたという事実は重大である。)
そして、ベルトの金具をかませて長さの調整する部分が衝撃で外れてしまった。
そんな簡単に外れない金具が外れてしまったということで、私にどれだけ
大きな力がかかったか分かるだろう。
まさにそれは「暴力」だった。

しかし、私が一番傷ついたのは体ではなく心だった。
私は、駅員たちによって、駅員室に連れていかれた。
私は、そこで責任者と称する人物(駅長とは言っていなかった)に抗議をした。
しかし、その人物は「文句は上に言ってくれませんかねえ」というのみであった。
「上」とは京王電鉄本社のことであろう。つまり、私を暴力的に女性専用車両から
排除したのは、京王電鉄本社の意思であって、現場が独断で暴走した訳ではないと
いうことだ。

その時は、比較的すぐに解放された。
しかし、私は、もう一度、女性専用車両発着ホームに向かった。
私に対してなされた不当な人権侵害を記録しておかなければと思ったからだ。
1回目の時は、録音していなかった。
こんな不当な目に遭うとは想像していなかったからだ。
私は、その日、録音可能なMDウォークマンを持っていたから、そのMDウォークマンを
録音モードにし、再び、駅員に声をかけて、女性専用車両への乗車を試みた。
今度は最初から覚悟していたが、やはり、数人の駅員によって暴力的に排除された。
そして、覚悟していたとはいえ、私の心と体はさらなるダメージを負った。
(さらなるダメージを負うことがあっても記録を残す必要があると思った)
私はまたしても、駅員室に連れていかれ、今度は更に交番にまで連れて行かれる羽目と
なった。

交番で、私は、警官からいかにもお巡りさん的な意見を聞かされることとなった。

・「酒に酔っているだろう」→酒に酔ったから女性専用車両に乗るという乱行に
及んだのだということにしたいのだろう。
確かに、私は、その時珍しく、普段は飲まない酒を飲んでいたが、
判断力は今考えても正常だったし、記憶もちゃんと残っている。

・「お前には痴漢にあう女性の気持ちが分からない」→「私は、痴漢にあったことが
あるのですが」と答えたら、変な笑いを浮かべていた。性犯罪の被害にあったことを
警官に告白して笑われるとは心外である。
そもそも、「女性の気持ち」云々は、専用車を正当化する理由にならないが
失礼だが、下っ端の警官に説明したところで理解出来ないだろう。

・「深夜の一部の時間帯だけじゃないか」→その半年後、各線でラッシュ時に
導入され、更には終日女性専用車両まで現れたことについてどう考えるか、
そのお巡りさんに聞いてみたいものだ。

私は、任意の事情聴取であることを確認し、交番を離れた。
もう終電は行ってしまった後だった。
私は、例えようもなく惨めな気持ちで、深夜バスで帰宅することとなった。
私は、その日完全に壊れてしまった。
それまで、私は私なりに京王電鉄を応援していたが、その日からは、
ただ憎しみしか感じなくなってしまった。
私の50年間の人生で最悪の屈辱の日が2004年10月4日である。

しかも、それでおしまいではなかった。
その半年後、京王線を含む首都圏各線に女性専用車両が本格的に導入され、
私はさらなる地獄へと嵌っていったのである。
それについては、また機会を改めて書きたいと思う。→書きました。

2018年2月16日 (金)

映画館レディースデーの話しの続き、そして「無視される男性差別」の話し

最近、やや、このブログの更新のペースが落ちているが、特に、私の執筆意欲が
落ちている訳ではない。
長くなってしまって、なかなか書き上げられない記事や、完成させるためには、
いろいろ資料を調べなければいけない記事があって、なかなかアップロード出来る
状態にならないのである。

そんな訳で、前回、北原みのりの妄言に関する記事の最後の方に書いた「映画館の
レディースデー」について、もうちょっと書いてみたい。
(今回の記事は、北原みのりは関係ない)。

題材は、朝日新聞2017年4月29日付の記事、「Be)between レディースデーに賛成?
反対?」である。

まず、この記事の問題点は、男性差別を「逆差別」と呼んでいることである。
男性差別は、れっきとした差別であり、「逆差別」ではない。
男性差別を「逆差別」と呼ぶことは「性差別されているのは、女性である」という
前提があり、もうこの時点で、公平ではない、一種の色眼鏡がかかってしまっていると
言える。
(この記事に限らず、マスメディアでは男性差別を「逆差別」と呼ぶケースが
散見される。非常に問題だと言えるだろう。)

さて、映画館のレディースデーに関しては、こんな意見が紹介されている。
「離婚後、母子家庭で家計は厳しかったですが、千円で見られるレディースデーの
映画館に行くことは、私にとって世界を広げてくれる大切な時間でした」
(だから、映画館のレディースデーは正当である」という論旨)
しかし、これは、問題のすり替えである。
貧富の差の問題を男女の差の問題にすり替えてしまっているのだ。
これでは、経済的に豊かな女性が安く映画を見られる反面、貧困状態であっても
男性は高い料金を払ってしか映画を見ることができないではないか。
(上記の女性のような貧しい母子家庭に育っても、男の子であったならば、
レディースデーの恩恵を受ける事はできないのである)

そもそも、私は「女性の方が経済的に困窮状態におかれている」というのは、
単なる神話でしかないと思っている。
女性の方が経済的に困窮しているならば、なぜ、高級レストランに女性客が
多いのか?
なぜ、高級ブランド品の重要顧客は女性なのか?

例えば、同様の神話として「暴力の犠牲者は女性が多い」というものがある。
アメリカのマスキュリズムの本は、具体的な数字をあげながら、実は暴力の犠牲者は
女性より男性の方が多いことを明らかにする。
しかし、男性への暴力は着目されず、一方、女性に対する暴力は「女性差別」として
糾弾されるのである。
困ったことに、特に左翼の人々は、男性差別を指摘しても、女性差別抗議に対する
「バックラッシュ」としか認識できない。
(勿論、保守的な男性による「バックラッシュ」は実際に存在するであろう。
しかし、フェミニズムに対する反発の全てが「バックラッシュ」ではない)

「実際には「男性に対する暴力」の方が多いのに、世間は「女性に対する暴力」だけを
問題にする」
そこには、女性差別よりもより深いレベルの「もう一つの性差別」が存在していると
いうことに彼らは気付くことができないのである。

映画のレディースデーから話が始まって、最後は、かなり話がずれてしまったが、
このままアップロードすることにする。

2018年2月12日 (月)

北原みのりの妄言に不愉快になった話し

Googleで検索していたら、GoogleBooksで以下のような文章が引っ掛かったので、
今月、まだこのブログに何も書いていないこともあり、ちょっと論評してみる
ことにします。
香山リカ、北原みのりの『フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか』(イースト・
プレス、2017)という対談本からの引用です。
まぁ、この面子からも、ロクな内容でないことは、読む前から想像がつく
ことではありますが。

>北原 以前、電車の中で起きている事件について書こうとしていて、
>「女性専用車両に反対する会」の取材に行って驚きました。
>あらゆる思想の持ち主が集まっていて、代表の人はスウェーデン育ちのリベラルな
>男の人で、男女平等の考えは理解している。
>だから逆に女性専用車両は男性差別だという考えに行き着いた人です。
>また障害を持っていた男性もいて、彼は女性専用車両にあえて乗り込んで
>怒る女性を撮影してはそれをネットで公開するようなことをしていました。
>それこそ在特会の人もいたし、赤旗の読者もいたし、セクシュアルマイノリティの人も
>いたし、妹がレイプに遭わないように妹には防犯ブザーを渡しています、
>みたいなことをおっしゃっていた男性もいた。
>女だったら絶対につながらないグループだと思うけれど、「反女」「アンチ女の権利」
>で、男は一丸になれるんですね。
>でも、なぜそこまで女性の権利が憎くて、男性差別だと訴えているのかは、
>よくわからない。本人も実はわかってないんじゃないかと思うんですよね。

上の引用文で、北原みのりが女性専用車両に反対する会さんについて、
「『アンチ女の権利』で男は一丸になれる」とか「女性の権利が憎い」とか
発言していますが、そもそも、公共交通機関内に専用車両を作るような権利を
女性は持っていないことを知るべきでしょう。

>たとえば「差別された具体的なことを教えてください」と質問した時に、「アファー
>マティブ・アクションです」っ て堂々と言われたんですけど、いつから日本に
>そんなの始まったんですか? 実際にはアファーマティブで不利益を被ってないのに、
>妄想の中で差別されているんですよね。で、もう一つ教えてって聞いたら
>「映画のレディースデイとか、女性だけの食べ放題とか」。

自分たちが優遇されていることに関しては「大したことではない」という
ご都合意識が伺えます。
アファーマティブ・アクションをどう定義するかにもよりますが、
大学教員、公務員への女性優先採用なら、とっくに始まっていることを
ご存じないのでしょうか。

映画のレディースディにしても、私は映画館で映画を見ません。
高すぎるからです。
1000円だったら、面白そうな映画だったら見るかもしれません。
しかし、1800円では、見る気になれないわけです。
つまり、私は「男性である、女性ではない」という理由により、映画という
文化から遠ざけられているわけなのですが、彼女たちにとっては、
大したことでは無いようです(男女逆だったら、大騒ぎでしょうが)。
結果的に、私が、映画館で1600円支払って映画を見たのは、もう10年以上前
(「ダ・ヴィンチ・コード」)ではないでしょうか。
(新作封切映画でない映画を安い値段で見たことなら、その後、何回かあります)

つくづく、不愉快になった文章でした。

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