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2018年3月 5日 (月)

女性専用車両に賛成する自称リベラルは、リベラルではなく「逆保守」である。

最近、女性専用車両を巡ってネットがかまびすしい。
女性専用車両反対派が、千代田線の女性専用車両に乗って、電車が遅延したのが
発端のようだ。
(TV番組でも扱われたらしいが、私はテレビはあまり見ない人間なので、見ていない)

しかし、ネットで女性専用車両に賛同し、反対派を非難する一部の自称リベラルの
言動には、リベラルとしては非常に問題のある部分が多いように思う。

私の考えでは、リベラル思想とは、人間を個人として尊重し、かつ一人一人の権利を
尊重する思想の筈である。
人間を属性で判断せず、かつ、人権の制限を当たり前の前提としないのが
リベラル思想である。
(逆に、人間をその属性によって決めつけたり、人権の制限はあって当たり前と
考えるのが保守である。)

ところが、ネットでリベラルを自称する人たちの一部が、人間を男女という属性で
判断し、男性の人権を制限する女性専用車両に賛同する言説を吐いているのを見て、
本当に心寒い。
曰く「女性専用車両反対派は女性専用車両ではなく痴漢を憎め」だそうだが、
これは、リベラルの理屈ではない。
むしろ、保守主義者的な発想である。
痴漢を憎むのは当然だが、悪いのは痴漢であって、男性ではない。
痴漢が男だからと言って、痴漢とは何の関係もない全男性の人権を侵害する
女性専用車両に賛成するのはエセリベラルである。

例えば、イスラム過激派によるテロが起きた時、イスラム教徒全員を排除しようと
考えるのが保守主義者であり、「悪いのはテロリストであって、イスラム教徒では
ない」と、イスラム教徒の排除に反対するのがリベラルである。
女性専用車両に賛成している自称リベラルは、上の例に当て嵌めて考えれば、
リベラルではなく、保守である。

もう一つ、例を考えてみよう。
例えば、朝の混雑した電車内で混雑を悪用した外国人によるスリ犯罪が
多発しているとしよう。
日本人の不安に応えるため「日本人専用車両」をつくることはリベラル的見地から
考えて妥当であろうか?
もし「日本人専用車両」に反発する外国人がいたら、外国人は「日本人専用車両では
なく、すり犯を憎むべき」という理屈は、リベラル的見地から考えて妥当だろうか?
しかも、いつの間にか、スリなんてできない程空いている日中の電車にまで
「日本人専用車両」が設けられても、「日本人専用車両を憎まず、スリを憎め」と
いうのだろうか?
(関西では、日中のガラガラの電車にまで女性専用車両が導入されている路線がある。)

女性専用車両というのは、男性の人権を侵害(穏やかな表現を使っても制限)する存在で
ある。
人権の制限する存在を所与自明の存在とみなし、それに反対する人々に
「人権の制限ではなく、○○を恨め」というその論理は、
自衛隊(軍隊とは人間の権利生命を侵害する存在である)の存在を自明とし、
反対する人々に「恨むなら、北朝鮮や中国を恨め」という保守の論理と一緒ではないか。

私は「女性専用車両ではなく、痴漢を憎め」的論理を展開する自称リベラルを
リベラルとは認めない。
私は、彼らを「逆保守」と名付けたい。
保守に反対すればリベラルになるのかといえば、そうではない。
保守に反対したところで、その論理の組み立て方が保守と一緒ならば、
リベラルではなく、 逆保守でしかないのだ。

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