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2018年5月23日 (水)

女性専用車両に賛成する自称リベラルは、リベラルではなく「逆保守」である -2-

自称リベラル主義者の女性専用車擁護論を読むとよく「たった1両」の女性専用車両で
差別差別と大騒ぎするな、的な言説が見られる。
私に言わせれば、これまたリベラルの言説としては、極めて奇妙なものである。
元来、リベラル思想とは、個人の「自由」「権利」(人権)を追求する思想である。
常に「自由」を志向していなければならないのがリベラル思想なのだ。

それに対して、色々理由をつけて「権利」を制限しようとするのが「保守」である。
そして、その際の常套句が「やむを得ないんです。それに、たった〇〇だけの
制限じゃありませんか」である。
勿論、「たった〇〇だけの制限じゃありませんか」と言って人権の制限の導入に
成功し、既成事実化したら、後はどんどん制限を拡大していくわけだが。
(現に女性専用車両も、関西では日中のガラガラの電車にまで拡大している)

自称リベラルの「たった1両だけじゃないか」理論は、少し前に書いた、
私が京王線の女性専用車両から暴力的に排除された挙げ句、連れて行かれた
交番の警官の「深夜の一部の列車だけじゃないか」理論とそっくりである。
私は、本来的に「お巡りさん的思考(理論)」と「リベラル的思考(理論)」は、
対極にあると考えているが、自称リベラルの展開する理屈が「お巡りさん理論」
そっくりであることに愕然とするのである。

「たった1両」であっても人権の制限は人権の制限である。
(例えば、「たった1両」であれば、「白人専用車両」があっても差別ではないのだろうか?)
特に自ら選べない「性別」による人権の制限はリベラルにとっては、
あってはならないことの筈である。
「たった1両」であっても、選べない属性(性別、人種など)による人権の制限を肯定する
自称リベラルは、エセである。
「たった1両」理論を振りかざす自称リベラルは、自らが、実は「逆保守」でしか
ないことを自覚するべきであろう。

関連記事:女性専用車両に賛成する自称リベラルは、リベラルではなく「逆保守」である。

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