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2018年6月 2日 (土)

音楽:聖飢魔II「蝋人形の館」

私は長年に渡り、折に触れて、独特の息苦しい気分(胸を絞め付けられるような)を
感じる経験を繰り返してきた。
その独特の息苦しさは、私が、女性に羨望感を感じている時に現れる。
息苦しさを伴う羨望感を感じる理由が自分でもはっきり判ることもあるが、
判らないことも多い。
例えば、女性が「素敵ね」とか「綺麗ね」というような、男性より、より直裁な
感情表現を使っているのを聞いた時、私は息苦しさを感じることが多いが、
それは女性には許される、より豊かでダイレクトな感情表現が男である自分には
許されないことからきているのである。
理由が自分でも判らない時であっても、その息苦しさを感じる時、
私は女性を羨んでいるのだ、ということは長年の経験で分かっている。

ここでいきなり、話は変わる。
私が高校生の頃、デーモン小暮率いる聖飢魔IIというバンドがデビューした。
(なお、デーモン小暮は、芸名、もとい、地上における仮の名前が、デーモン閣下に
なったり、デーモン小暮閣下になったりするので、いま、何という名前なのか
知らないが、以下、デーモン小暮で統一する)
その聖飢魔IIを有名にした曲が「蝋人形の館」である。
デーモン小暮が「お前も蝋人形にしてやろうか」と叫び、少女が誘拐されて
蝋人形にされてしまうという内容の曲である。

ある時、テレビで観客のいるライブで、聖飢魔IIがこの曲を演奏していたが、
デーモン小暮が観客(殆ど女性だと思われる)に向かって曰く
「(蝋人形にされるのは)いやいや」ではつまらないから、「蝋人形にしてして」と
叫んでくれ」
そして曲に合わせて「蝋人形にしてして」と叫ぶ女性の観客たち。
私は、それを見ていて、最初に述べた息苦しさを感じた。
女性は「嫌なのに、蝋人形にされてしまう」というシナリオを楽しむことができる。
それどころか「蝋人形にして!」という逆要求まで許されてしまうのだ。
(付け加えるならば、その後、バブル期に日本に輸入された「セクハラ」という概念により、
今では「セクハラ!」と叫べば、少女蝋人形愛好男の社会的生命すら抹殺できるように
なった)
しかし、男である私には「嫌なのに蝋人形にされてしまう」というシナリオは与えられず
「蝋人形にして」という逆要求を叫ぶことも許されないのだ。

後年、相撲解説などで、デーモン小暮の人柄(もとい、悪魔柄)を知り、
今では「男であっても、「蝋人形にしてして」と叫んでもいいぞよ」と
言ってくれそうな気もしているが、あの時感じた息苦しさは30年以上経った今でも
忘れていない。

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