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2018年6月

2018年6月23日 (土)

北原みのりという男性憎悪デマゴーグ

タイトルにかなり強い表現を使ったが、私の率直な感想である。

週刊朝日の北原みのりの連載(2018.6.29号)を見ていて、極めて不愉快になった。
先般、新幹線のぞみ車内で起きた殺人事件についての記事なのだが、
北原みのり当人も「(動機などの)詳細はわからない」としながら、
「ただ一つ明確なのは、あの日の夜ののぞみには、上下線ともに新横浜で大量の
女性が乗り込んだことだ。」と、あたかも犯行と女性が大量に乗り込んだことに
関係があるかのような事を書くのである。
(当日、新横浜で東方神起のコンサートがあったらしい)
私なんぞは、「上下線とも」という部分に「下りはともかく、上り列車、
特に指定席車(犯人が乗っていたのは指定席車)にそんなに大量の女性客が新横浜から
乗っただろうか?」と疑問を抱くのだが、そんなツッコミをしていると
北原みのりと同レベルになってしまうので、やめておこう。

「無差別殺人にも差別はある」のだそうで、その「無差別殺人の差別の被害者が女だ」と
言いたいご様子なのだが、無差別殺人の被害者が女性ばかりだという客観的データは
全く示されていない。(注)
その一方で、重要な客観的事実であるにも拘わらず、全く触れていないことがある。
「この事件で実際に殺された被害者は男性だ」という事実を北原みのりは
全く書いていないのである。
「新横浜から乗ってきたのが屈強な男たちだったら?」(犯人は犯行を起こさなかった
のではないかという趣旨)と書いているが、犯人は、犯行を制止しようとした男性
(屈強ではなかったかもしれないが)に馬乗りになって、滅多刺しにしたと
報道されているではないか。
しかし、そのことを全く書かず、この事件があたかも「平成日本の女性差別の縮図」
みたいな論調なのである。
もし、この事件について何も知らず、北原みのりがどんな人かも知らず、
この記事を読んだ人がいたなら、恐らく「大量の女性が殺された殺人事件なのだろう」と
思ってしまうだろう。
しかし、客観的事実は「殺されたのは男性」。
男性が殺害された殺人事件から「女性差別大国ニッポン」を導き出すとは
なんて独創的なんだ!
北原みのりって、ほんと、ただ男性に対するヘイトを煽るだけのデマゴーグ
なんじゃないの?
と感じずにはいられない記事だった。
(デマゴーグとは「デマ(デマゴギー)」をばらまく人という意味です)

週刊朝日という、歴史と権威のある週刊誌に、このような偏見に満ちた記事が
掲載されることにより、世の中の人たちが「差別されているのは女性で、
女性に同情することが、善意のある人間の取るべき行動なのだ。
それに異議を唱えるものは、差別主義者なのだ」と思い込んでいくことがとても怖い。

AERA dot.に掲載された当該記事へのリンク


(注)
「無差別殺人」に限ったデータではなく、殺人全体に関する客観的データなら存在する。
やや古いが、犯罪白書平成15年版によれば、殺人の被害者は、男性が女性の1.8倍で
ある。(下図参照)
ニュース等を見ていると、一番殺人被害に遭っているのは若い女性である
かのような錯覚をしてしまうだろうが、犯罪白書に掲載されているグラフをみると、
むしろ、若い女性(10代、20代)の殺人被害者は少数に属することが判るだろう。
(因みに一番殺されているのは50代の男性である。被害に遭いやすい属性に属している
のは若い女性ではなく、むしろ、私(50代、男)なのである)

勿論、例えば、暴力団同士の抗争で殺されるのと、無差別殺人で殺されるのでは、
かなり意味合いが異なるのも事実である。
北原みのりとしては、下図から無差別殺人だけを取り出すと、男女差が逆転し、
圧倒的に女性が多いのだ、ということを証明しなければならないだろう。
その証明がなされなければ、彼女の「無差別の差別の犠牲者は女性」という言説は、
ただの妄想である。

H10h1415

(注の注)
何故、平成15年版を使うのかといえば、近年の犯罪白書では、被害者の属性
(性別、年代)や受けた犯罪の種類(被害者が死亡した場合でも、犯罪名が殺人とは
限らない)がわかりにくくなっているからである。
平成29年版に掲載されている表から計算すれば、犯罪によって死亡した
被害者人数は、平成28年次で男性が女性の1.6倍であることは分かるが、
犯罪の種別や年代別はわからない。
「一般に被害者になりやすいと考えられている若い女性の殺人被害者は、実際には
少数に属する」ということが「はっきりと一目で」図で理解できるのは、
平成15年版など、昔のものなので、平成15年版を使用した。

2018年6月13日 (水)

もし、世の中の男性が全員ゲイになったなら

私のちょっとした知り合いに、20代の若い女性がいる。
彼女が、他の人と任天堂3DSで対戦ゲームをしているのを見ていたときのこと。
彼女(ゲームをしながら) 「ちょっと待って、そこダメ、ちょっとちょっとヤメて」
その声に私はエロを感じた。(私だけがそう感じた訳ではなく、周りにいた他の人も、
「◯◯さん、エロい感じになってますよ」と言っていた)
ただ対戦ゲームをしているだけで、女性はエロチックな雰囲気を出すことが出来るのだ。

また、それとは別の知り合いの女性の話だが、ジーンズを履いていたその女性が
前かがみにしゃがみ込んだ時のこと。
お尻がジーンズの隙間から見えてしまっていた。
私は、慌てて目を逸らしたが、同時に猛烈な羨望感と敗北感と腹立ちを感じていた。
(かなり以前書いたが、私が体を露出させた女性から目を背ける時、感じるのは
猛烈な敗北感である。)
彼女が自分から勝手に座り込んで、お尻を露出させたのである。
それなのに、何故、私の方が罪悪感を感じた挙句、目を逸らさなければならない
のだろうか。
因みに、男の私が同様のことをしても(対戦ゲームをしながら
「そこダメ、ヤメてソコ」と言っても、或いは、ジーンズからお尻を露出させても)、
他人にエロチックな印象を与えることなど出来ず、
それどころか、嫌悪感を与えてしまうだろう。
そう思うと、本当に悲しくなるのである。

だから、私は、30年も前から「出来るものならゲイになりたい」と願って来た
(但し、最近は、あまり感じなくなっているが)。
単に私に留まらず、世の中の男性全てが女体嫌悪型のゲイになればいいと思う。
約30年前、ゲイのパソコン通信ネットに入っていた時、参加者の一人(当然ゲイ)が
「ネトネトした女の肌ほど気持ち悪いものはない」という書き込んでいるのを見た話を
今年もそろそろ、若い女性が肌を露出させて歩く季節になってきたが、世の中の男性が
全て、そういう感性(ネトネトした女の肌ほど気持ち悪いものはない)を持つようになれば、
肌を露出させた女性は「うわー、何あれ?気持わるーい」という視線で見られるように
なるだろう。
そうなった時、彼女たちは初めて気づく筈だ。
肌を露出させた自分たちが、男性たちの視線を浴びるということは、
フェミニストがいうような「性的に搾取される」というマイナスのことではなく、
それどころか大変な特権であったということに。

2018年6月 2日 (土)

音楽:聖飢魔II「蝋人形の館」

私は長年に渡り、折に触れて、独特の息苦しい気分(胸を絞め付けられるような)を
感じる経験を繰り返してきた。
その独特の息苦しさは、私が、女性に羨望感を感じている時に現れる。
息苦しさを伴う羨望感を感じる理由が自分でもはっきり判ることもあるが、
判らないことも多い。
例えば、女性が「素敵ね」とか「綺麗ね」というような、男性より、より直裁な
感情表現を使っているのを聞いた時、私は息苦しさを感じることが多いが、
それは女性には許される、より豊かでダイレクトな感情表現が男である自分には
許されないことからきているのである。
理由が自分でも判らない時であっても、その息苦しさを感じる時、
私は女性を羨んでいるのだ、ということは長年の経験で分かっている。

ここでいきなり、話は変わる。
私が高校生の頃、デーモン小暮率いる聖飢魔IIというバンドがデビューした。
(なお、デーモン小暮は、芸名、もとい、地上における仮の名前が、デーモン閣下に
なったり、デーモン小暮閣下になったりするので、いま、何という名前なのか
知らないが、以下、デーモン小暮で統一する)
その聖飢魔IIを有名にした曲が「蝋人形の館」である。
デーモン小暮が「お前も蝋人形にしてやろうか」と叫び、少女が誘拐されて
蝋人形にされてしまうという内容の曲である。

ある時、テレビで観客のいるライブで、聖飢魔IIがこの曲を演奏していたが、
デーモン小暮が観客(殆ど女性だと思われる)に向かって曰く
「(蝋人形にされるのは)いやいや」ではつまらないから、「蝋人形にしてして」と
叫んでくれ」
そして曲に合わせて「蝋人形にしてして」と叫ぶ女性の観客たち。
私は、それを見ていて、最初に述べた息苦しさを感じた。
女性は「嫌なのに、蝋人形にされてしまう」というシナリオを楽しむことができる。
それどころか「蝋人形にして!」という逆要求まで許されてしまうのだ。
(付け加えるならば、その後、バブル期に日本に輸入された「セクハラ」という概念により、
今では「セクハラ!」と叫べば、少女蝋人形愛好男の社会的生命すら抹殺できるように
なった)
しかし、男である私には「嫌なのに蝋人形にされてしまう」というシナリオは与えられず
「蝋人形にして」という逆要求を叫ぶことも許されないのだ。

後年、相撲解説などで、デーモン小暮の人柄(もとい、悪魔柄)を知り、
今では「男であっても、「蝋人形にしてして」と叫んでもいいぞよ」と
言ってくれそうな気もしているが、あの時感じた息苦しさは30年以上経った今でも
忘れていない。

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