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2018年7月19日 (木)

「口裂け女」と「3大テノール」

私が小学校高学年の時、「口裂け女」という都市伝説が流行した。
(若い人は知らないかも知れない。Wikipediaに載っているので詳しく
知りたい場合はそちらを見てください)
内容は、
暗い道を歩いていると、マスクをした女が近づいてきて「私、綺麗?」と尋ねる。
「綺麗です」と答えると「これでも綺麗?」とマスクをとる。
マスクを取ると、口が大きく裂けている・・・
という内容であった。
私は、この話に本当に怯えてしまった。
母親に話すと「本当ならば、PTAから親に連絡があるわよ」と笑っていたが、
それでも怖かった。

時は下って、バブル時代。
バブルの頃は、「若い女性、女の子」を語るのが、時代を語ることだった。
(例えば、山根一眞『変体少女文字の研究―文字の向うに少女が見える』など)
当時、人気商品を語る際に「女性に人気」というフレーズは必要不可欠だった。
そして、その中で、私は自分が好きなものや、自分が体験したことが、
どんどん「女のモノ、女の体験」として語られていった。
私は、その度に、何か大事なものを奪われていくような苦痛を感じた。
(但し、私はいわゆる「変態少女文字」は書いたことがないので、誤解のないように。)
その中の一つに、「口裂け女」もあった。
何かの本(マーケティング雑誌だったかも知れない)で「口裂け女」は
女の子が過去に体験した都市伝説として語られた。
そして、女の子(女性)にとって、口裂け女がどのような意味を持っていたか、
何故、彼女たちに、口裂け女がフォークロアとして流行したのか、が書かれていた。
そこには、「口裂け女」に恐怖した男の子たち(口裂け女を怖がっていた男の子は
私だけではない)に関する記述はなかった。
それを書いた人物は、口裂け女伝説が男の子にも流行したことを知らなかったので
あろうか?
いや、書き手は、そもそも男の子には関心がないのである。
口裂け女が男の子にも流行ろうが、流行るまいがどうでもいいのである。
女の子や若い女性だけが関心を持つに値する存在なのだ。
そのようにして、バブルの頃、私は、興味を持たれるに値しない「男」である自分、
無価値な自分を痛感して過ごしたのだった。

その一方で、マスメディアを見れば「女性が蔑視されている、女性が無視されている」
という論調のオンパレードで、気が狂いそうだった。
(ちょっと関係ないかも知れないが、彼らのダブルスタンダードぶりは、例えば、
朝日新聞社のやっていることを見ればわかる。
「女性の性を商品化するな」とか「美女コンテストは女性差別だ」いうフェミニズム的
姿勢に同調するかのような論調を取りながら、その一方で、週刊朝日の女子大生表紙
シリーズは平然と続けるのである。)

以前、紹介したが「好きなものに男女の差はないはずなのに、日本社会で
「女性に人気」というフレーズが乱発されるのは不思議」という趣旨の外国人による
寄稿が朝日新聞に載ったのは、1995年のことである。
私が「女性に人気」ノイローゼになってから10年近くが経過していたから、
「何を今更」感があったが、掲載されないよりはマシだった。

その頃、私が買ったCDが「三大テノール」(ドミンゴ、カレーラス、パバロッティ)の
リサイタルのCDだった。「女性は女性であるというだけで注目されるのに、男性は
全く注目されない」という苦しみの中、3大テノールは、「男性である」のに、
(或いは「男性であるから」)注目されるという稀有な例に見えたのである。

翻って、今は、「女性に人気」というフレーズをあまり見かけない。
「女性に人気」というフレーズそのものが減ったのか、それとも、私自身が、そういう
フレーズを乗せる媒体(新聞雑誌やテレビ)を見なくなったのが原因なのか。
おそらく「女性に人気」というフレーズ自体が、減っているとは思う。
但し、「女性に人気」であることが不要になったのかといえばそんなことはなく、
むしろ、語るまでもない当たり前の前提となった、と解釈したほうが良さそうである。

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