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2018年10月

2018年10月26日 (金)

男性差別:JR九州「ハロー!自由時間クラブ」

私の趣味が旅行であること、その旅行において男性差別的なものに出会って
とても嫌な思いをすることが増えたことは以前書いた。
近々九州旅行を考えているのだが、今日、JR九州のサイトを調べていて、
また不愉快なものの不意打ちに遭ってしまった。
JR九州の切符予約サイトを開いたら、JR九州の「ハロー!自由時間クラブ」
なるもののバナー広告が表示された。
バナー広告に大きく書いてある入会資格が男性差別的で「女性50歳以上、男性60歳以上」。
以前紹介したジパング倶楽部(女性60歳以上、男性65歳以上)よりも露骨な
性差別である。
ジパング倶楽部は、現在50歳の私にとっては、今のところ実害はない。
しかし、JR九州のこの性差別は、私に実害をもたらしそうだ。
私は、JR九州3日間乗り放題の「ぐるっと九州きっぷ」(14000円)を使うことを考えている。
この切符はJR九州乗り放題ではあるが、特急料金(九州新幹線を含む)や
指定席料金は別払いである。
しかし、私と同じ50歳でも女性であれば「ハロー!自由時間クラブ」に
入会すれば(会費無料)、九州新幹線指定席や特急指定席も乗れる3日間フリー
切符(ハロー!自由時間ネットパス)を15500円で使うことができるのである。
私が今回の九州旅行で使う特急料金、指定席料金はおそらく1万5000円程度
にはなるだろう。
私は、男性であるという理由で女性である場合に比べて1万数千円多くお金を
払わなければならなくなるわけだ。
本当に不愉快である。
この不愉快な気分は、きっと九州旅行中、ずっと私につきまとうことだろう。
この「ハロー自由時間クラブ」が始まったのは一昨年(2016年)のようだ。
表向きの性差別解消が叫ばれる中で、女性差別だけが問題にされ、
男性差別は、むしろどんどん拡大しているのである。

2018年10月25日 (木)

女性専用車両は本当に痴漢対策か?

2003年に大阪市営地下鉄(当時)御堂筋線の女性専用車両の違法性を巡って
地下鉄利用者の男性が大阪市を訴える裁判が起きている。
私は、2005年に原審(第一審)の大阪地方裁判所へ出向き裁判の資料を閲覧しており(注1)、
その際筆写したものは今でも手許にある。
結局、裁判は、女性専用車両に違法性なしという不当判決が最高裁で下りているのだが(注2)、
この裁判で幾つか気になるところがある。

当時の御堂筋線の女性専用車両は朝ラッシュ時のみの設定であり、この裁判においても、
「土日祝日や平日午前9時以降は、被害の申告が目立って少ない」という事実認定を
した上で「被害の多い時間帯に男性の任意の協力で行われている制度だから適法」(大意)という
判決を下しているのだが、2004年に大阪市交通局は、その「被害の申告が目立って少ない」時間帯にまで
女性専用車両を拡大したのである(女性専用車両の終日化)。
民事裁判の原則から考えて「9時以降の被害の申告は目立って少ない」
(そして女性専用車両はその時間帯に限っているのだから合法)という主張は大阪市側がした筈である。
その主張に沿って、最高裁が原告男性の請求を棄却した途端、それを待っていたかのように
今度は、自らの主張を反故にするような女性専用車両終日化を打ち出したのである。
(最高裁判決は2004年6月8日付、御堂筋線女性専用車両終日化発表は同年8月20日)
全く、信義にもとるとしか言いようがない大阪市の行為である。
(そしてこの行為は「痴漢対策として女性専用車両を導入している」というのが、
ただの口実でしかないことを示唆している)
原告の無念さは、察するに余りあるといえよう。

また、判決は「国土交通省が導入を推進し、多くの鉄道事業者が導入しているから合法だ」
というような判旨も述べているが、これはむちゃくちゃとしか言いようがない。
国土交通省(国)が推進しているからこそ、憲法違反の人権侵害なのではないか。
また、多くの事業者が導入していることが合憲合法の根拠になるならば
「皆が道路を渡っていれば、信号は青」ということになってしまう。
「皆んなが渡っている」ことを根拠に裁判所が「信号は青」判決を
出してしまっていいのだろうか?
渡っている人の多寡にかかわらず「赤信号か青信号か」を判断するのが裁判所の
役割である。
そして、本当は赤信号なのに、集団で渡ることによってそれを正当化しようとする者が
いるならば、それは悪質な行為なのである。

その後も約15年間、女性専用車両は「ちょっとだけ」を名目に拡大し続け、
反対の声が高まれば少し引っ込める(例えば、東横線の「終日」女性専用車両の廃止)が
隙あらばまた拡大。
そしてそれを既成事実化するという行為を繰り返してきた。
こうやって、今日では、女性専用車両は、全国大都市で「痴漢対策」では
説明のつかない規模と内容にまで拡大しているのが現状なのである。
それなのにネットやマスメディアで「女性専用車両は痴漢対策である」ということを
前提に議論が進んでしまっていることが残念でならない。(専用車推進側の思惑に
まんまと嵌ってしまっているということだ)

(注1)裁判の資料は、裁判が終わると原審の裁判所に一定期間保存され、請求すれば関係者でなくても
閲覧可能である。
(注2)ただし、最高裁は「最高裁への上告要件を満たしていない」という理由で上告を棄却しており、

2018年10月16日 (火)

悪化する男性イメージ

私は、小学校低学年の頃から、女の子になりたいという願望を持っていた。
しかし、その一方で、男の子としてのプライドも持っていたのである。
(男らしいということは、かっこいいことだとおもっていた)
小学校高学年の頃、私は自分が鉄道マニア(今でいう鉄ちゃん)で
あることに誇りを持っていたし、自分が鉄道マニアの男の子であることと
自分が美しいことには何の矛盾もなかった。
他にも鉄道好きな男の子たちがいて、私は彼らを好きだったし、彼らを美しいと思っていた。

しかし、その男性のイメージが中学3年生頃から急速に悪化していくのである。
中学生3年生の頃、あだち充の漫画に夢中になった。
あだち充の漫画のキャラクターは、ルックスが男女とも似通っている。
しかし、男性キャラは、女の子のパンツをかぶって喜ぶような変質的な描かれ方をしていた。
(作者的には「青春あるある」な光景として描いているのであろうが、私は不愉快に感じた)

高校生になって「オタク」という言葉を知った。
最初その言葉を雑誌で知った時のオタクの定義は「実際の生身の女は靴下とかが臭うので、
2次元などの空想の女に走る男性」というようなものだった。
つまり「生身の女の価値が低いから二次元に走る」というニュアンスだったのである。
(それが、いつの間にか「女の子についていけないので二次元に走る男(つまり、女の価値が高い)と
いう意味にすり替わっていった)

大学生の時、連続幼女殺人事件が起きて、宮崎勤が逮捕された。私は、当時21歳。
確か、旅行中の車の中のラジオニュースで宮﨑勤が逮捕されたというニュースを
聞いたように思う。
そして、世の中で起こるオタクバッシング(「オタク」という言葉が世の中全般に
広がるきっかけとなったのが宮﨑勤事件である)。
当時のテレビは、宮﨑勤の自室風景を放送した。
大量のビデオや「奥様の生下着」という本の散らかる風景は、オタクが、いや、潜在的には
全男性が変質的であるという印象を世間に植え付けたように思う。
私は、2次元オタクではない(2次元には全く興味がない)が、鉄道オタクとして、
非常に辛い精神状態になった。
同年齢の女の子たちがバブルの中で「蝶よ花よ」と持て囃される中、男である自分は、
宮﨑勤と同類であるという精神的苦痛。
もはや、鉄道マニアであるというプライドは失われていた。
また、世の中の女性美賛美および男性の肉体蔑視(社会的要因)や醜貌恐怖症(自分自身の
問題)で小学校の頃の「自分は美しい」というプライドも「自分ほど醜い者はいない」
というコンプレックスに変わっていた。
小学校高学年から、たった9年間で、自己イメージは地に堕ちてしまったのだ。
醜貌恐怖は自分自身が原因である(とはいえ女に生まれていれば、醜貌恐怖にならなかった
可能性は高い)(注1)。
しかし、「男性(特にオタク)は変質者だ」というイメージはマスメディアや、
女性に媚びて儲ける商業資本が作り上げたものだ。(注2)
私の青春時代を闇にされてしまった恨みを私は死ぬまで忘れないだろう。(注3)

(注1)私の醜貌恐怖において一番の悩みとなったのは「ズボンの股間のもっこり」だったから、
女であれば当然、その悩みは生じない。

(注2)
ちなみに、当時のフェミニズムは、「女性は社会から疎外されている」とか
「女の性を商品化するな」という自らの主張と、実際にバブル期に出現した
「女性の時代」との齟齬(女に商品価値があり、また女が消費者であることによって
バブル期の「女性の時代」は成立した)のつじつま合わせに汲々としていた。
また、商業資本に擦り寄っていくような傾向も一部で見られた。
(上野千鶴子が広告代理店と組んで本を出版するなど)

(注3)それでも、私は鉄道を愛し続けた。それなのに、2000年代に入って、その鉄道に
「女性専用車両」を設けられてしまう屈辱。これもまた、男性の変質性(痴漢)を
口実としている。(口実でしかないのは、昼間のガラガラの電車にまで女性専用車両が
拡大されつつあるのを見れば明らかだ)
負うことになるのだ。

2018年10月 8日 (月)

失われる行政に対する信頼

バブルの頃、私は、商業資本による女性ヨイショに本当に嫌な思いをしていた。
その点、私は行政に対しては、安心感を持っていた。
憲法学を学ぶ前だったから「法の下の平等」についてはまだ知らなかったが、
「行政は公平でなければならない」くらいの知識はあったし、行政は儲けのために
存在するわけではないから、儲けのために女性に媚びる必要はない筈だった。
「民間商業資本と違って、行政は女に媚びず、男女平等にやってくれるだろう」と
思っていたのである。

ところが、その行政が男女共同参画によって、男性に牙を剥いてきたのである。
いうまでもなく、行政は、国全体を統制しており、その行政が男性差別を始めたら
その影響は、商業資本による女性優遇の比ではない。
私は、恐怖を感じ始めた。
今もあるかもしれないが、東京都には弁護士あっせん制度みたいなのがあり、
女性専用車両から暴力的に排除されたことについて、私は、そこに電話をしたことがある。
しかし、弁護士仲介を断られてしまった。
「東京都は女性専用車両に賛同しているから、あっせんできない」と言われたと
当時の私の日記にはある。
このように、男性差別的な制度に「法の下の平等」に従わなければならない行政が賛同し、
「女性専用車両に対する訴訟」を妨害するという事実に愕然とせずにはいられない。

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