« 失われる行政に対する信頼 | トップページ | 女性専用車両は本当に痴漢対策か? »

2018年10月16日 (火)

悪化する男性イメージ

私は、小学校低学年の頃から、女の子になりたいという願望を持っていた。
しかし、その一方で、男の子としてのプライドも持っていたのである。
(男らしいということは、かっこいいことだとおもっていた)
小学校高学年の頃、私は自分が鉄道マニア(今でいう鉄ちゃん)で
あることに誇りを持っていたし、自分が鉄道マニアの男の子であることと
自分が美しいことには何の矛盾もなかった。
他にも鉄道好きな男の子たちがいて、私は彼らを好きだったし、彼らを美しいと思っていた。

しかし、その男性のイメージが中学3年生頃から急速に悪化していくのである。
中学生3年生の頃、あだち充の漫画に夢中になった。
あだち充の漫画のキャラクターは、ルックスが男女とも似通っている。
しかし、男性キャラは、女の子のパンツをかぶって喜ぶような変質的な描かれ方をしていた。
(作者的には「青春あるある」な光景として描いているのであろうが、私は不愉快に感じた)

高校生になって「オタク」という言葉を知った。
最初その言葉を雑誌で知った時のオタクの定義は「実際の生身の女は靴下とかが臭うので、
2次元などの空想の女に走る男性」というようなものだった。
つまり「生身の女の価値が低いから二次元に走る」というニュアンスだったのである。
(それが、いつの間にか「女の子についていけないので二次元に走る男(つまり、女の価値が高い)と
いう意味にすり替わっていった)

大学生の時、連続幼女殺人事件が起きて、宮崎勤が逮捕された。私は、当時21歳。
確か、旅行中の車の中のラジオニュースで宮﨑勤が逮捕されたというニュースを
聞いたように思う。
そして、世の中で起こるオタクバッシング(「オタク」という言葉が世の中全般に
広がるきっかけとなったのが宮﨑勤事件である)。
当時のテレビは、宮﨑勤の自室風景を放送した。
大量のビデオや「奥様の生下着」という本の散らかる風景は、オタクが、いや、潜在的には
全男性が変質的であるという印象を世間に植え付けたように思う。
私は、2次元オタクではない(2次元には全く興味がない)が、鉄道オタクとして、
非常に辛い精神状態になった。
同年齢の女の子たちがバブルの中で「蝶よ花よ」と持て囃される中、男である自分は、
宮﨑勤と同類であるという精神的苦痛。
もはや、鉄道マニアであるというプライドは失われていた。
また、世の中の女性美賛美および男性の肉体蔑視(社会的要因)や醜貌恐怖症(自分自身の
問題)で小学校の頃の「自分は美しい」というプライドも「自分ほど醜い者はいない」
というコンプレックスに変わっていた。
小学校高学年から、たった9年間で、自己イメージは地に堕ちてしまったのだ。
醜貌恐怖は自分自身が原因である(とはいえ女に生まれていれば、醜貌恐怖にならなかった
可能性は高い)(注1)。
しかし、「男性(特にオタク)は変質者だ」というイメージはマスメディアや、
女性に媚びて儲ける商業資本が作り上げたものだ。(注2)
私の青春時代を闇にされてしまった恨みを私は死ぬまで忘れないだろう。(注3)

(注1)私の醜貌恐怖において一番の悩みとなったのは「ズボンの股間のもっこり」だったから、
女であれば当然、その悩みは生じない。

(注2)
ちなみに、当時のフェミニズムは、「女性は社会から疎外されている」とか
「女の性を商品化するな」という自らの主張と、実際にバブル期に出現した
「女性の時代」との齟齬(女に商品価値があり、また女が消費者であることによって
バブル期の「女性の時代」は成立した)のつじつま合わせに汲々としていた。
また、商業資本に擦り寄っていくような傾向も一部で見られた。
(上野千鶴子が広告代理店と組んで本を出版するなど)

(注3)それでも、私は鉄道を愛し続けた。それなのに、2000年代に入って、その鉄道に
「女性専用車両」を設けられてしまう屈辱。これもまた、男性の変質性(痴漢)を
口実としている。(口実でしかないのは、昼間のガラガラの電車にまで女性専用車両が
拡大されつつあるのを見れば明らかだ)
負うことになるのだ。

« 失われる行政に対する信頼 | トップページ | 女性専用車両は本当に痴漢対策か? »

男性差別」カテゴリの記事

最近のコメント

リンク集

  • Nikkoh の 徒然日記
    男性同性愛者、Nikkohさんのブログです。マスキュリズムについての記事が大変参考になります。「手弱男」として、弱者男性の問題についても関心をお持ちです。
無料ブログはココログ

Since 2014

  • Since August 11/2014
    Tokyo,JAPAN