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2018年11月 3日 (土)

自分の足に対する愛着が嫌悪に変わるまで

私は、小学生の頃、自分の足に独自の意識・感覚を持っていた。
今、それを言葉で表せば「エロチックな感覚」と言えるだろう。
(当時は、当然まだ「エロチック」などという言葉は知らなかったが)
当時の丈の短い半ズボンから覗く自分の太ももに言葉にならない愛着の念を抱いていた。
今、当時の写真を数枚見ても、自分で言うのもなんだが、本当に細くて綺麗な足である。
(当然、すね毛も生えていない)
当時、足は内股だった。立っている時も座っている時も、自然に足は内側の方を向いた。
小学校中学年頃だろうか。全校集会か何かで校庭で整列する時、担任の先生から
こう言われた。「足先を外側に向けて立つように。そっちの方が楽だろう?」。
私は思った「えー、全然楽じゃないよ」と。
足先を内側に向ける方が当時の私にとっては全然、自然で楽だったのだ。

最初に自分の足にマイナスの印象を抱いたのは、小学校高学年の時だ。
当時通っていた進学塾で突然、別の生徒からからかうように「短足」と言われたのだ。
ショックだった。そもそも、それまで私には「足が長い」とか「足が短い」という
美的基準がなかった。それをいきなり「短足」と言われて強いショックを受けたのだ。
今思うと、実際のところ当時の私は特に「短足」ではなかったと思う。
(長い足でもなかったが)
言った奴も本当に私の足をよく見た上で「短足」と言ったのかどうか、
今では疑問に思う。
ひょっとしたら、彼も「短足」という言葉を知ったばかりで、別の誰かに対して
使ってみたかっただけだけなのかもしれない。

しかしそれ以来、私は自分の「短足」を気にするようになった。
特に中学に入ってからは、自分の足の長さを異常に気にするようになった。
クラスメイトに背比べをしようと持ちかけ、実際には、背の長さではなく
こっそり足の長さを比べていた。そして、その様子を見ていた別のクラスメイトが、
見透かしたかのように「●●(背比べを持ちかけた相手)の方が足が長い」と
言うのだった。(今思うと、いかにも中学生っぽい光景である)

中2の頃、私は自分の足が太くなっていることに気づいた。自分の足が内股から
外股になっていることにも気づいた。すね毛も生え出した。
そして、間も無く、私は自分の足に強い嫌悪感を覚えるようになってしまったのだった。
小学生の頃に自分の足に愛着を覚えていたことを考えると、天国から地獄への
転落である。
そして、中高時代の身体的成長の中で、私は実際に「短足」になっていった。
(上半身に比べて足が伸びなかった)
当時の私は、こんなことを考えていた。
例えば、身長は平均だが、足が平均よりも4cm短いとする。
これは、単に足が4cm短足ということだろうか?
違う。足が4cm短いと同時に胴が4cm長いのである。
そして、胴の長さと、平均的な胴・足の長さ比率から算出した「あるべき足の長さ」と
比較すると7cmくらい短足ということになってしまうのである。
例えば、平均より7cm背の高い人が、いきなり足だけ7cmなくなってしまったらどうだろう?
すごく変ではないか?
私は、自分がその「変」な状態であると確信した。

いつしか、私は、自分の足(いや、男性全員の足)に強い嫌悪を抱き、
綺麗な女性の足に強い羨望を抱くようになっていた。
細くて綺麗な女性の足を100点とするならば、私の短くてゴツゴツしてすね毛が生えた
足は、0点どころかマイナス100点だった。
(ちなみに、いくら綺麗な足だとしても、女性ではなく男性の足だというだけで
50点減点である)
街を生足を晒して歩く女性に強い羨望感と敵意を感じるようになっていた。
そして、すね毛を見せる男性や座席に大股を広げて座る男性に強い嫌悪感を感じるようになった。
そして、家の中などで無意識に足を広げて座っている自分に気がつく時、
かつて内股だった自分が足を広げて座るのが自然になってしまったことを悲しんだ。
(因みに、家の外では「無意識の意識」が働き、足は閉じて座っていた)
小学生の頃は、男の子と女の子で足に大して違いはなかった(というよりも、むしろ
女の子に太い足が目立ち、私たちは彼女たちを「大根足」とからかっていた)。
私たち男の子も、今では見られなくなった丈の短い半ズボンを履いて
生足を晒していた。
というよりも女の子たちが基本スカートで、ズボンを履くとしても長ズボンが
ほとんどだったことを考えると、むしろ男の子の方が生足を晒していたと
思う。(女の子が生足を晒すのはブルマー(今でもあるのだろうか?)を履く体育の時
くらいだったのではないか?)
それなのに、思春期以降、女の子たちは、女性であるがゆえに女性ホルモンによって
綺麗な足を手に入れ、私たち男の子(特に私自身)は、男であるがゆえに男性ホルモンに
よって、汚い足になってしまう・・・
そして、女の子だけが「美しい性」の特権として、生足を晒して外を歩くことが
許され、「汚い性」の男は、足は勿論、肩や腕も露出してはいけないことに
なるのだった。
女性の綺麗な足(そして肉体全体)が他人にエロチックな印象を与えるのに対し、
男性の汚い足(そして醜悪な肉体全体)は、他人に不快感しか与えないのだ。
私は、自分が男に生まれてしまったことを悲しみ、綺麗だった私の足を
短くてゴツゴツしていて、すね毛の生えた醜い足に変えてしまった男性ホルモンを憎んだ。
(足が短いのは男性ホルモンとは関係ないかも知れないが)

数十年、その状態が続いた。
しかし、今の私には、自分の足に対する嫌悪感はない。
他の男性の足に対する嫌悪感も大幅に薄れた。
私に奇跡が起きたのだ。
その奇跡がどういうものなのかは、いずれ(かなり先かも知れないが)書きたいと思っている。

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