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2018年12月 4日 (火)

『君たちはどう生きるか』で考えるリベラル思想と逆保守の違い

しばらく前から吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』がブームになっているようだ。
私は過去にこの本を2回読んでいる。
1回目は小学生の時、2回目は中3の時の学校の道徳の授業でである
(道徳の授業は、校長先生が担当する。その校長先生が選んだ教材が
「君たちはどう生きるか」であった)。
小学生の時に読んだハードカバー本は今でも所蔵している(今、目の前にある)。

当時(特に小学生の時)、私がこの本の意味の意味を正しく理解したかどうか、
甚だ疑問である。
しかし、冒頭の主人公の少年(読者の分身)と主人公のおじさん(作者の分身)が
銀座のビルの上から東京の街を眺めるシーンは覚えている。
おじさんと出かけた銀座のビルの上から東京の街をたくさんの人や車が行き交うのを見て、
主人公は、自分自身も高いビルの上から見下ろせば、そのうちの一人でしかないことに気付くのである。
人間は、基本的に自分を中心に物事を考える性質がある(天動説的絶対主義とでもいうべきか)。
しかし、客観的に見れば自分は世界の中心ではなく、沢山の人達の中の一人に過ぎない
のである。
そのことに気づいた主人公におじさんは地動説を提唱したコペルニクスに因み「コペル君」というあだ名を
つける。
この「客観的に見れば自分は世界の中心ではなく、沢山の人間の中の一人でしかない」
という視点こそリベラル視点である。
では、中心はどこなのか?
中心などない。あってはならない。(*注1)
これは、すなわち「皆平等」を意味する。
このように(少なくとも私の解釈では)リベラルとは地動説的相対主義に基づく平等思想の
はずなのである。

ところが、実際には往々にしてリベラルと自称する人の多くが天動説的絶対主義者で
ある。
但し、保守主義者とは善悪が逆転している。
保守主義者が「地(自分とか自国)が善で、自分たちの周りを回っている者(他者、他国)が悪」
と考えるのに対し、自称リベラルは「地(マジョリティ)が悪で、天(マイノリティ)が
善」と考えてしまう訳だ。
しかし、結局のところ、これも一種の天動説ではないか?
私が、自称リベラルを「逆保守」と名付ける所以である。

男女差別で言えば「男性が絶対的マジョリティ(悪)で女性が絶対的マイノリティ(善)、
男性差別など言い立てる奴は、差別主義的保守主義者」と考えてしまう訳だ。
しかし、私には男性が絶対的マジョリティであるとはとても思えない。
(逆に、男性が絶対的マイノリティで女性が絶対的マジョリティであるとも思わない)
男性には、様々なマイノリティ要素がある。
それについては、このブログで何度も書いてきた通りだ。

しかし、彼らは天動説にしがみついたまま、女性絶対マイノリティ説を捨てない。
「進歩」を主張する彼らの思想は、実は、数百年前、頑なに「地の周りをお天道様や
月や星が廻っている」と信じていた人々と大して変わりがないのである。

(*注1)しかし、現実には、世界には大きな力を持っている国(例えば、アメリカ)や権力者や
お金持ちが存在する。そして、彼らはあたかも自分が世界の中心であるかのように
振る舞うのである。そういう訳で、大概のリベラルは反米的である。
逆に保守主義者が太平洋戦争での敗戦やアメリカ主導で立法された日本国憲法に恨みを
抱きながらも親米なのは、アメリカが大きな力を持っているからこそである。
アメリカ親分に従っていれば、世界の中心になることはできなくても、中心に近い位置には
いられる訳だ。

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