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2019年3月29日 (金)

積もれば大きくなるはずの小さな話(第13話) 裸をみられる恥ずかしさ

子供の頃の私は、自分の裸を他人に見られることに恐怖と恥ずかしさを感じていた。
その恥ずかしさは一種独特だった(他人に自分の領域に攻め込まれるような感じ)。

しかし、思春期以降「他人に裸を見られる恥ずかしさ」は別種のものに変化してしまった。
男性(特に私)の裸は、他人に不快感を与えるものなのだ。
私の裸は、他人が「見たい(攻め込みたい)」と思うような素敵なものではなかったのだ。
他人に裸を見せるとき、私は「他人に不快感を与えている自分の裸」を恥じるように
なった。子供の頃とは、ある意味で逆の恥ずかしさになってしまったのだ。
高校生の時、体育の授業のためだっただろうか、食事をしているクラスメイトのすぐ
近くで着替えた。その時のクラスメイトの不快そうな顔を今でも思い出す。

私がもし、女に生まれていたらどうだっただろうか。
思春期に入ると、オンナの体には、高い商品価値があり、男どもが自分(女)の体に
欲望することが分かってくる。そして、それが幼少の時の「裸を見られる恥ずかしさ」
と結びついて「見られる」ことが強い快楽になっていったような気がするのである。

実際には、私は男で、しかも醜貌恐怖症だったが、私の醜貌恐怖症は男性のシンボル(おちんちん)に
深く結びついており、女であったならば、醜貌恐怖症にはならなかった可能性が高い。
ただし、やはり、何らかの精神疾患にはなっていたような気がする。
おそらく、摂食障害あたりに罹患していた可能性が高いと自分では思っている。

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