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2019年5月22日 (水)

渡辺恒夫『脱男性の時代』を読む その2

一番最初の記事で「体系的には論じられないだろう」と断ったが、二番目の当記事で早くも、
前の記事と直接つながらない文章になってしまったことをお詫びしたい。
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この本で渡辺恒夫が一番言いたかったことは
近代/現代社会に於ける「成人男性(主体)であることと美(客体)であることの矛盾」で
あろう。
以下は私流の説明である。

成人男性(手っ取り早く言えば「おじさん」)が美しくないというのは物理的問題
(手っ取り早く言えば、ゴツゴツしているとか、毛深いとか、ハゲているとか)のようでいて
実はそうではないのである。
男性は「主体」、言い換えれば「観察者」でなければならない。
一つの「視線」として、常に客体(女)を冷静に観察しなければならず、
例え、女が快楽に我を忘れたとしても、自らは、その快楽に溺れることなく、
女を冷静に観察し、記述しつづけなければならないのだ。
決して「自分も我を忘れて快楽に溺れたい」とか「自分も美でありたい」と考えてはならない。
「主体」が我を忘れて自己陶酔したり、自らの美を主張することは、一種右翼チックな危険を孕んでいる。
その点、女性は「主体」から半歩身を引くことによって、「自分は美しい」という快楽を全面的に享受しているのだ。
(つづく)

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