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2019年6月 7日 (金)

渡辺恒夫『脱男性の時代』を読む その4

渡辺恒夫の論を進めよう。

近代市民革命(手っ取り早く言えば「フランス革命」)に於いて男性は自らの「存在」と「肉体」と
それらから生ずる「エロス」を捨ててしまった。
近代市民革命前の封建制時代、男性は「存在」(etre、英語のbe)であった。
「貴族」とか「農民」として「存在」し、
例えば貴族男性は、貴族の誇りにかけて他の階級の男性より美しくなければならなかった。
ところが、フランス革命により身分制は失われ、以降の近代市民社会に於いて男性を測る尺度は
「所有している」(ブルジョワ)か「所有していない」(プロレタリア)かになってしまった。
美しい絵画や美女を「所有すれば」ブルジョワ男性、「所有しなければ」プロレタリア男性である。
ここに「美」とは(少なくとも男性にとっては)「自分があるべき姿」ではなく「所有するモノ」に
なったのである。
そして「美」は「モノとして所有される」というマイナスの烙印性を持つようになった。
近代市民社会は男性に「能動的」で「合理的」な「精神」であることを要求した。
この時から男性は「受動的」な「肉体」とそれに伴う「美」や「エロス」を
喪失したのである。
そして、男性の肉体に欲望を抱く(つまり男性を受動的な肉体、エロスと看做す)男性同性愛に
対する今日的タブーが成立したのもこの近代市民革命後である。
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渡辺恒夫は近代市民革命は男性に悲劇をもたらしたと捉えている。
対比するならば、フェミニズムは近代市民革命とほぼ同時期に発生した思想であり、
近代市民革命が男性にもたらした効果を肯定する、謂わば「女に近代市民革命が
起きないのは差別だ」思想であることに留意する必要があるだろう。
(勿論、200年以上経ってフェミニズムも多様化しているが)

近代市民革命と男性性の変容については、(私の嫌いな)伊藤公雄も、比較的似たようなことを述べている。
近代市民社会は、男性に「平準化」(身分制が無くなったこと)と「分化」(互いに異なる狭い範囲の職務を
こなすということ)をもたらし、その反動が男らしさ(力、権力、所有)を強調するロマン主義、
ひいてはファシズムを生み出したという見解である。(*1)

(*1)伊藤公雄 「男らしさ」の挫折 『自尊と懐疑 文芸社会学をめざして』作田啓一・富永茂樹編
(筑摩書房、1984)所収

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