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2019年10月

2019年10月14日 (月)

伊藤公雄の歴史修正主義を批判する その2

私は伊藤公雄が嫌いである。
嫌いな人物の苦痛しか感じない書籍を高いお金を払って買う程、私は酔狂ではない。
したがって、書店や図書館で伊藤公雄の本を読んでモヤモヤした疑念を感じながらも、
実際に本を所有していないがために、これまでその疑念について検証できないでいた。

しかし、私は最近、画期的な新手法を考案したのである。
それが「アマゾン中古本自炊法」である。(どこが画期的なんだかよく分からないが)
この新手法には
1)中古本であるが故に安価である
2)中古本であるが故に絶版本でも入手できる
3)中古本であるが故に嫌いな著者に印税が入らない
4)中古本であるが故に、何のためらいもなく自炊出来る(自炊とは書籍を裁断して
スキャナで電子データ化することである)
5)電子データ(PDF)化後のデータはOCR技術により容易に本文検索可能となる
(但し、OCR技術は完璧ではないことに留意する必要がある。)

という利点があるのである。
そして、私が最初に選んだ本が永年疑念を感じていた
伊藤公雄『「男らしさ」のゆくえ』(新曜社、1993)である。
この本によって伊藤公雄は男性ジェンダー研究者として一般的に認知されたと言って
いいであろう(御当人は1980年代から取り組んでいたと強弁しているが)。

私はこの本を2つの点に着目して読んだ。
1)「男性学」という用語を用いているか
2)渡辺恒夫に言及しているか、しているとしたらどのような形か

最初に1について。
「男性学」という用言を用いた箇所は一箇所だけあった。

>この動きは、日本はともかく、欧米においては、最近では、「男性研究」ないし
>「男性学」とでも呼べるような活況を呈そうとしているほどの勢いをもつようになっている。(175頁)

読めば分かる通り、「男性学」の用語を用いたのは欧米の事情について説明する文脈であって、
伊藤自らの言葉としては用いていない。
つまり、この本が出た1993年の時点で伊藤はまだ自らの言説を「男性学」とは称していなかったのである。
(伊藤が明確に自らの言説を「男性学」と称するようになったのは1996年の『男性学入門』(作品社)からであろう。
伊藤自身の「自分は1980年代から男性学をやっていた」という趣旨の主張とはだいぶ乖離があるのだ)

2について。
渡辺恒夫について触れた部分は一箇所だけあった。

>ゲイや異性装趣味者、変性願望者などに代表される人びとの一部に、強いられた
>伝統的男役割からの逃避が含まれていることは明らかだ。
>渡辺恒夫が、『脱男性の時代』(勁草書房、一九八七)のなかで述べているように、
>「男性優位社会の崩壊にともない…男性性がぐらつき、女性に対して恐怖を抱いたり
>(同性愛)、羨望して女性を装ったり(異性装嗜好者)する男性が激増している」ので
>ある。(第2章「男らしさ」の現在、76頁)

伊藤が同書の本文で渡辺恒夫について触れたのは第2章のこの部分だけである。
因みに同書の第3章は「『男らしさ』と近・現代社会」というタイトルである。
これは正に『脱男性の時代』で渡辺恒夫が論じたテーマではないか。
しかし、第3章に渡辺恒夫に触れた部分は全くない。
渡辺恒夫とかなり似通ったことを書いている部分があるにも拘らず、
伊藤公雄は渡辺恒夫の論を全く紹介しないのである。
例えば92頁で伊藤公雄はこう書いている。

>…八〇年代のファッションの変貌を描いた『男が変わる、女が変わる』
>(EditionWacoal、一九八九)のなかで、深井晃子はこう述べている。
>「八〇年代に起こっているのは男女間の服の融合というべきユニセックス・ファッションだ。
>今まで男の服、女の服として線引きしていたものを、男も女も自由に着るのである。
>…女たちがズボンをはくのは女権拡大運動と結びついて既成事実として認められたから、
>今度は男がスカートをはく自由を認める番がやってきている」。
>それにしても、こうした変化はいつごろ生まれたのだろうか。それは、どんな特徴を
>もっているのか。また、その背後には、どのような歴史的な文脈が控えているのだろう
>か。そしてまた、この変化の波は、われわれの生きるこの社会にどんな影響を
>もたらそうとしているのだろうか。

まさに渡辺恒夫が『脱男性の時代』で論じたテーマではないか!
しかし、伊藤公雄は渡辺恒夫を完全にスルーするのである。
勿論、渡辺恒夫が絶対に言及しなければならない斯界の大権威という訳ではないが、
参考文献に『脱男性の時代』を挙げ、かつ第2章で引用している以上、何も触れないのは
余りにも不自然である。意図的に無視したと言われても仕方がないだろう。
一言で言って伊藤公雄は渡辺恒夫を「同性愛者や異性装者について(だけ)述べた人物」に
矮小化した。
そして、渡辺恒夫がこの分野から撤退したのをいいことに「日本の男性学の始祖」を
横取りしたのである。

加えて『脱男性の時代』の出版年が間違っていることも指摘しておこう。
伊藤は本文でも参考文献欄でも1987年と書いているが実際には1986年なのである。
(奥付を見ればすぐに分かることだ。因みに奥付で書籍の出版社や発行年を確認するのは
研究者の基本である。)
一回間違えた位ならそれ程とやかく言わない。
次に訂正されれば「ああちゃんと確認しているんだな」と考える。
しかし、伊藤はそれから15年も後の2008年になっても同じ間違いを繰り返しているの
である。(*1)
これは、15年間『脱男性の時代』の実物の確認を怠っていることを意味しないだろうか?
疑惑は尽きない。

(*1)「学術の動向」2008-04に寄稿した記事で『脱男性の時代』を1987と記載している。

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