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2020年5月31日 (日)

伊藤公雄「男らしさの挫折」(1984)は「日本(初)の男性学論文」と言えるか?

当ブログ4月3日の記事で、

>次回は伊藤公雄が自身の論文「男らしさの挫折」(1984)を
>「日本の男性学の嚆矢」と自画自賛していることに対する批判を
>書きたいと考えています。

と書いた。
今回の記事は、その件についてである。

最初に、紛らわしい点について整理しておこう。

・「男らしさの挫折」は伊藤公雄が1984年に発表した論文である。
作田啓一・富永茂樹編『自尊と懐疑 文芸社会学をめざして』(筑摩書房、1984)に収録されているほか、
後述の『男らしさのゆくえ』にも再収されている。
・『男らしさのゆくえ』は伊藤公雄が1993年に出版した書籍である。

両者は名前が似ている上、前者は一旦発表後、後者に再収録されている
という関係にあるので、混同しないよう気をつけて頂きたい。

さて、当ブログで以前一度、取り上げたことがあるが「男らしさの挫折」について
伊藤公雄は「学術の動向」2008-04に寄稿した「ジェンダーの社会学 -男性学・男性性を中心に-」に
おいて以下のように述べている。

>日本においても、1980年代に入ると、男性学・男性性研究がうぶ声をあげた。
>社会学分野では、筆者(引用者注:伊藤公雄)の「<男らしさ>の挫折」(作田・富永編
>『自尊と懐疑』、筑摩書房、1984)が、また心理学の領域では渡辺恒夫
>『脱男性の時代』(1987)などが代表的なものといえるだろう。

私は、初めてこの文章を読んだ時、こう思わずにはいられなかった。
「何て厚かましいんだろう」と。
一体誰が「男らしさの挫折」などというマイナー論文を知っていると
いうのだろう。
伊藤公雄自身、『男性学入門』(作品社、1996)の中で「男らしさの挫折」について、
こう認めている。
「この論文は、ほとんど注目されることはなかった」と。
それが、12年後の2008年の上記文章では
「日本において1980年代にうぶ声をあげた男性学・男性性研究の代表的なもの」へ
大出世しているのだから「お主もなかなかやりよるよのぉ」と苦笑せずにはいられない。

加えて、これも当ブログで以前取り上げた際に指摘したことだが、この文章には
読者に「日本で最初の男性学提唱者は自分(伊藤公雄)である」という、
事実とは異なった認識を与えようという意図が見え隠れしていることも改めて指摘しておこう。(*1)

さて、本題に入ろう。
今回の本題は、伊藤の「男らしさの挫折」が「日本(初)の男性学論文」と言えるかどうかである。

結論から言おう。
私はこの論文を「日本(初)の男性学論文」と位置付けるのは全く不適切であると考える。
その理由は以下の通りである。
この論文は、日本社会の男性について全く考察していないのである。
この論文が考察しているのはイタリア文学を通じた近代市民社会成立後における
イタリアにおける男性性の変遷である。
両性具有的歌手カストラートの消滅、過男性化したロマン主義的男性像の登場と
その背景、その矛盾、やがてそれがファシズムに結びついてゆく必然性である。
日本社会の男性性については全く触れていないのである。
「日本の男性学」というからには、日本社会の男性(性)について
必ず考察しなければならない、という明確なルールがあるのか?というと
必ずしもそういう訳ではない。
しかし、逆にいって、日本社会の男性性についての考察が全くないならば
「日本の男性学」というように「日本」で絞りをかける必然性が全くないではないか?

仮に「世界初の男性学」であるというならば、それがたまたま
日本人研究者(伊藤)によるイタリア文学を通したイタリア社会男性についての男性性研究であっても
構わないのかも知れない。
しかし、伊藤は「世界」ではなく「日本」で絞りをかけているのである。
「日本」で絞りをかけて「日本初」という趣旨のことを謳うならば、
日本社会の男性性への何らかの言及が必要なのではないか?
必ずしも論文全体のテーマが日本社会の男性性についてである必要はないに
せよ、少なくとも一部分は日本社会の男性性考察に当てる必要性が
あるのではないだろうか?
(例えば「ヨーロッパでは、かくかくしかじかだが、日本においては
どうであったか」というような比較論など)
しかし、そのようなものは「男らしさの挫折」には全く見られないのである。

そのような訳で、私は日本社会の男性に対する考察を全く欠いた
「男らしさの挫折」を「日本における男性学の始まり」と
位置付けるのは全く不適切であると考える。
当該論文は、飽くまでイタリア研究者(伊藤)による文芸社会学論文であると言えよう。

それと比べると、伊藤は、1993年出版の『男らしさのゆくえ』においては、
第1章を「男らしさの戦後社会史」と題し、戦後の日本人男性像について
考察している(他章でも日本社会の男性について言及がある)。
これならば、確かに「日本の男性学」と称しても嘘ではないだろう。
しかし『男らしさのゆくえ』は、時期的に見ると「男らしさの挫折」より
9年遅いのである。
『男らしさのゆくえ』の第1章の初出は1989年の毎日新聞の連載コラムらしいが、
それを考慮しても「男らしさの挫折」より5年遅い。
一言で言って、この5年乃至9年は、「日本初の男性学提唱者」という手柄を
手に入れるためのサバ読みであると言える。

なお、仮に、伊藤公雄の主張を全面的に受け入れて伊藤の男性学研究着手を
1984年だとしても、やはり、渡辺恒夫の方が圧倒的に男性学研究への
着手が早いのは、以前書いた記事の通りである。


(*1)この文章で伊藤公雄がさりげなく主張していることは2つ。
1.渡辺恒夫より自分の方が先だ。
2.自分は社会学で渡辺恒夫は心理学だ。(つまり分野が違う)

1.について。実際には、渡辺恒夫の方が先である。こちらを参照。
2.について。確かに渡辺恒夫は心理学者で、伊藤公雄は社会学者だが、
述べていることに然程の違いがある訳ではない。それどころか、驚くほど
そっくりな部分もある程だ。

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