男性差別

2018年5月 9日 (水)

楽しい筈の旅行で、私に大きな精神的苦痛を与える男性差別

私の趣味は旅行である。
しかし、本来、楽しいはずの旅行で、不愉快な思いをすることがとても多くなった。
私は、「東京とは違う、もう一つの日本」である関西が好きで、年数回出掛けるが、
嫌な思いをすることがとても多い。
せっかくの楽しい気分が、女性専用○○で台無しになることの何と多いことか!
(関西に行くのが憂鬱になる程である)

大阪の主要タウンを結んでいるという意味で東京で言えば山手線に当たる
大阪メトロ御堂筋線では、終日(土休日は除く)女性専用車両が導入されている。
女性専用車両だけ車体に広告がラッピングされていて色が違い、その露骨さたるや、
壮絶としか言いようがない。
(これが例えば、「日本人専用車両」だったら、人権侵害として外国から非難轟々で
あろう)
だから、私は御堂筋線は極力使わない。
がら空きの東海道本線各駅停車に終日女性専用車両が導入されている話は、
しばらく前に書いたが、本当に不愉快である。
大阪環状線の新型電車も、かなり露骨らしいので、乗りたくない。
それにしても、関西の男性たちがよく我慢できると感心する。
それとも、もう差別に慣れてしまって、一種の奴隷状態にもなんとも思わなくなって
しまっているのだろうか。

関西で20年近く定宿にしていたホテルも、いつの間にか女性専用フロアなるものが
出来て、早割で女性専用フロア以外の空き室がなかったのを機に、そのホテルを
使うのを止めた。新しい定宿のホテルは、以前の定宿と同じ駅が最寄駅で、
新しく綺麗で安いが、以前の定宿が駅前だったのに比べ、駅から遠い。
旅で疲れた体でホテルまで歩くのはとても辛い。

下の写真は、関西ではないが、男性と女性で宿泊料金が違ってしまっている一例である。
私は、このホテルしか選択肢がなく、本当に不愉快だったが、このホテルに
泊まらざるを得ない羽目に陥るところだった。
幸い、別の都市で部屋が取れたので、このホテルに泊まらずに済んだが。

3000

私が今、問題だと感じているのは、JRグループの「ジパング倶楽部」である。
高齢者向けの優遇サービスだが、下の写真を見れば分かるように、
女性は60歳から入れるのに、男性は65歳からである。
5年間の間、男性は優遇を受けられないのである。
私が60歳になるまでに差別が撤廃されればいいと思うが、今のところ、
望み薄であろう。

Photo

2018年4月30日 (月)

ジェンダーギャップ指数の「まやかし」

読者は、「ジェンダーギャップ指数」というものを聞いたことがあるに違いない。
そして、ジェンダーギャップ指数において、日本の順位が如何に低位で
「性差別(女性差別)」の国かという話を聞かされているに違いない。
しかし、私は、このジェンダーギャップ指数なるもので男女差別の度合いを
測ることをナンセンスだと感じている。
なぜなら、この指数は、男性が不利な項目について計測していないからだ。
つまり、男性が不利な目にあっていても、それはジェンダーギャップとして
認識されないのである。

例として、お隣の韓国を考えてみよう。
女性の政治家が大統領になれば、ジェンダーギャップ順位は
(ジェンダーギャップが少ないという国という方向に)上がる。
従って、朴槿恵が大統領になったということは(既に同氏が罷免されたとはいえ)、
韓国のジェンダーギャップ指数をいい方向に上昇させたはずだ。
しかし、韓国には、もうひとつ重大なジェンダーギャップがある。
「男性に対してのみの徴兵制」である。
この男性に対してのみ苦役を負わせる制度が上記のジェンダーギャップ指数に
反映されるか?というと、全くされないのである。
(韓国大統領は、韓国軍の最高司令官だから、朴槿恵政権下の韓国は
「最高司令官は女性なのに、男性のみが徴兵される」という状況だったことになり、
まさに「ジェンダーギャップここに極まれり」だと私は考えるが、
件のジェンダーギャップ指数では、ギャップが減ったという評価に
なってしまうのである)

「徴兵制」に限らず、「刑罰が男女平等に課されているか」、「父親と母親の
子どもに対する権利が平等に扱われているか」、「消費において、両性を平等に
扱っているか」などの男性が不利益を被る可能性が高い項目は、
ジェンダーギャップ指数に反映されない。

以前、ジェンダーギャップ指数について「男性の方が不利という結果が出た時は、
男性差別として認識するので男女双方に公平だ」という説明を何かで読んだが、
ごまかしである。
(女性が不利な項目ばかりを計測している時点で根本的な不公平が生じているのは
誰にでも分かることだ。)

女性が不利な項目ばかりを計測している理由として、世界「経済」フォーラムによる
指数であることが挙げられよう。彼らがテーマとする「経済」や「政治」などは
女性が不利な分野だ。
(そして、日本においてそれらの分野への女性の進出が遅れているのは事実であろう)

しかし、日本ではジェンダー指数は、恰も、絶対的な男女差別指数であるかのように
報道されている。そして、それは結果的に男性に対する差別を覆い隠してしまうので
ある。
男性を幾ら差別しても、順位が下がることはない為、「女性専用車両」のような
男性差別も、一切、このジェンダーギャップ指数には影響しない。
そして、フェミニズムやマスコミによるジェンダーギャップ指数日本低位の糾弾が、
行政による各種女性優遇や男性差別を引き起こしていることは想像に難くない。

私たちは、まず、このジェンダーギャップ指数が事実上「女性差別」のみを計測し、
「男性差別」を無視していることを認識しなければならない。
そして、その「まやかし」を世間に広めていくことが重要であると考える。

2018年2月16日 (金)

映画館レディースデーの話しの続き、そして「無視される男性差別」の話し

最近、やや、このブログの更新のペースが落ちているが、特に、私の執筆意欲が
落ちている訳ではない。
長くなってしまって、なかなか書き上げられない記事や、完成させるためには、
いろいろ資料を調べなければいけない記事があって、なかなかアップロード出来る
状態にならないのである。

そんな訳で、前回、北原みのりの妄言に関する記事の最後の方に書いた「映画館の
レディースデー」について、もうちょっと書いてみたい。
(今回の記事は、北原みのりは関係ない)。

題材は、朝日新聞2017年4月29日付の記事、「Be)between レディースデーに賛成?
反対?」である。

まず、この記事の問題点は、男性差別を「逆差別」と呼んでいることである。
男性差別は、れっきとした差別であり、「逆差別」ではない。
男性差別を「逆差別」と呼ぶことは「性差別されているのは、女性である」という
前提があり、もうこの時点で、公平ではない、一種の色眼鏡がかかってしまっていると
言える。
(この記事に限らず、マスメディアでは男性差別を「逆差別」と呼ぶケースが
散見される。非常に問題だと言えるだろう。)

さて、映画館のレディースデーに関しては、こんな意見が紹介されている。
「離婚後、母子家庭で家計は厳しかったですが、千円で見られるレディースデーの
映画館に行くことは、私にとって世界を広げてくれる大切な時間でした」
(だから、映画館のレディースデーは正当である」という論旨)
しかし、これは、問題のすり替えである。
貧富の差の問題を男女の差の問題にすり替えてしまっているのだ。
これでは、経済的に豊かな女性が安く映画を見られる反面、貧困状態であっても
男性は高い料金を払ってしか映画を見ることができないではないか。
(上記の女性のような貧しい母子家庭に育っても、男の子であったならば、
レディースデーの恩恵を受ける事はできないのである)

そもそも、私は「女性の方が経済的に困窮状態におかれている」というのは、
単なる神話でしかないと思っている。
女性の方が経済的に困窮しているならば、なぜ、高級レストランに女性客が
多いのか?
なぜ、高級ブランド品の重要顧客は女性なのか?

例えば、同様の神話として「暴力の犠牲者は女性が多い」というものがある。
アメリカのマスキュリズムの本は、具体的な数字をあげながら、実は暴力の犠牲者は
女性より男性の方が多いことを明らかにする。
しかし、男性への暴力は着目されず、一方、女性に対する暴力は「女性差別」として
糾弾されるのである。
困ったことに、特に左翼の人々は、男性差別を指摘しても、女性差別抗議に対する
「バックラッシュ」としか認識できない。
(勿論、保守的な男性による「バックラッシュ」は実際に存在するであろう。
しかし、フェミニズムに対する反発の全てが「バックラッシュ」ではない)

「実際には「男性に対する暴力」の方が多いのに、世間は「女性に対する暴力」だけを
問題にする」
そこには、女性差別よりもより深いレベルの「もう一つの性差別」が存在していると
いうことに彼らは気付くことができないのである。

映画のレディースデーから話が始まって、最後は、かなり話がずれてしまったが、
このままアップロードすることにする。

2017年8月 5日 (土)

男性の人権について -2-

今回は、男性の人権について、道路の信号機を例に考えてみたい。

先を急いでいるのに、信号機が赤であるがために、止まらざるを得ないと
いうことは、誰もが日常的に体験していることだろう。
つまり、道路の信号機は、私たちの権利(人権)を制限する存在である。

信号機について保守主義者は、こう考える。
「信号機(人権の制限)とは国家という、国民より上位の存在が国民に対して
課す義務である」と。
それに対して、リベラル主義者はこう考える。
「信号機とは、人と人(或いは車)同志の衝突を防ぐ、権利調整手段である」と。
人や車の往来が多い交差点に信号機を設けずに放っておいたら、
人と人(或いは車)とがぶつかってしまい、ぶつかった者双方に不幸な結果となる。
そこで、信号機を設置し、権利の調整をして、人(人権)同士の衝突を防止すると
いう訳だ。
(このような人間同士の権利調整の結果、生じる信号機(人権の制限)を
「人権の内在的制約」と言う。)

では、人(人権)と人(人権)とが衝突することがありえない場所に
国家が「国益のため」と称して信号機(人権制限)を設置したらどうなるだろう。
(このような信号機(人権制限)を「人権の外在的制約」という)
保守主義者はこう考える。
「お国の定めた義務だから、国民は従わなければならない。」
リベラル主義者はこう考える。
「人と人(人権と人権)が衝突する可能性のない場所に信号機(国民の権利制限)を
設置する事は、国家による国民に対する不当な人権侵害である。」

現在の日本国憲法は、リベラルな憲法であり、原則として、人(人権)と人(人権)が
ぶつかる可能性がある場所のみに信号機(人権の制限)を設けることが出来ると
解されている。

もう一つ重要なのは「信号表示の平等性」である。
信号の表示(赤とか青とか黄色とか)は、誰に対しても平等でなければならない。
「偉い人が来たときには青を表示するが、卑しい者が来たときには赤を表示する」とか、
「女性が来たときには青を表示するが、男性が来たときには赤を表示する」と
いうような不平等は許されないのである。
これを「法の下の平等」といい、以下に示す憲法14条で宣言されている。
>第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、
>社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

「性別により差別されない」と書いてあり、「女性であることにより差別されない」
とは書いてないことに注目するべきである。
つまり「女性であることにより差別」してはいけないが、「男性であることにより差別」
してもいけないわけだ。

ただし、特に左翼的傾向の強い人は、こう考えることがある。
「社会的弱者に対しては、信号を優先的に青表示するべきだし、それは法の下の平等
には反さない」
例えば、交差点においては、人間(弱者)が優先、車(強者)は劣後となっていているが、
それは、「法の下の平等」には反さないのと同様という訳だ。
そして、女性を社会的弱者とみなすと「女性に対しては、信号を優先的に青表示しても
「法の下の平等」には反さない」というフェミニズムにとって都合の良い結論と
なるのである。

その結果、電車において「男性に対しては赤信号、女性に対しては青信号」の車両
(女性専用車両)が出てくる訳だ。

私としては「社会的弱者に対して、信号を優先的に青表示する」ということに絶対的に
反対と言う訳ではない。(場合と程度によると考えている)
ただし「女性に対して優先的に青信号を表示する」ことに対しては絶対反対である。
なぜなら、私にとって、女性は弱者ではないからである。
私にとって、女性は、私の欲しかったものを全部奪っていった強者なのである。

2017年4月 9日 (日)

男性の人権について -1-

今日、「人権」は価値観と言うよりは、価値観の上に立って価値観同士を調整する
メタ価値観である。(*注1)
世界に70億人の人がいるならば、70億通りの価値観、常識、「あるべき社会像」があり、
その70億通りの価値観の間にどれが正しいとか間違ってるとかどれが上とか下とかの
関係は無い。
しかし、70億通りの価値観に対して、「世の中」は一つしかないのだ。
だから、価値観の調整が必要となる。
そして、現代において、その価値観の相違の調整弁を担うのが「人権」という概念である。

「人権」という言葉、概念は保守的な人が目の敵にしがちだが、保守的な人が自らの
意思で保守的に生きるのならば、人権とは何の衝突も起きない。
それどころか、その人には「保守的に生きる人権」があるとさえ言えるのである。
但し、公的関係において、価値観の異なる他人に対して、自分の価値観を具体的な
法律や制度(例えば女性専用車両のような)として強制しようとした時には「人権侵害」と
いう観念が発動される。
(例えば、保守主義者は、選択的夫婦別姓制度の導入を嫌う(人が多い)が、
自らの意思で夫婦同姓を選ぶ分には何の問題もない。
但し、それを価値観の異なる(夫婦別姓にしたいと考えている)人が存在する以上、
夫婦同姓を強制する現在の法律は人権的に問題があるといえるだろう。)

人権がメタ価値観として機能している世の中で、人権が特定の価値観(例えば
フェミニズム)に与することがあってはならない。
人権侵害か否かは、飽くまで客観的事実(公的制度に特定の価値観を持ち込み、
他の価値観を排除していないかどうか)によって判断されなければならない。
例えば

男が女を殴る・・・言うまでもなく男が悪い
女が男を殴る・・・男が悪いに決まってるだろー

などいうダブルスタンダードを公的制度にしてしまってはならないのだ。
(ややこしいことだが、この種の女性優先主義的ダブルスタンダードは、フェミニズムに
よっても、フェミニズムに対立する男性優越主義によっても肯定される)

つづく

*注1
例えば、本来「人権」という概念が嫌いな保守系の人が、外国(例えば中国)を非難する
時に「人権」という言葉を用いるのは、人権が現代の「メタ価値観」だからである。

2017年2月23日 (木)

日日是ストレス2

また「ストレスの種」の不意打ちにあってしまった。
今、旅行に行こうとして、その地で定宿にしているホテルを検索したら、
女性専用フロアが出来ている。
その階には、女性しか泊まれず、しかも、部屋は女性特別仕様である。
私が希望する日のインターネット早割を調べたら、一般(男性が泊まれる部屋)は既に
満室だったが、女性専用フロアはまだ空きがあった。
つまり、私は男性であるという理由で、そのホテルには泊まれない訳だ。
(正確には、早割価格ではない高い値段、或いは早割でも高めの部屋なら泊まれる
のかも知れないが、そうだとしても、同じ条件で宿泊できないのは差別である)
確かめていないが、大手チェーンホテルなので、全国で女性専用フロアが出来ている
可能性(或いは今後出来る可能性)がある。
(これ以上、むかつきたくないので調べません)
このような女性優遇(男性差別)をあたかも「いいこと」であるかのように見做す世間、
放置する男女共同参画(放置するどころか、女性優遇を推奨している節すらある)。
おかしいのは、私なのか、彼らなのか?
きっと未来に、「昔は、こんなに馬鹿げた男性差別がまかり通っていたんだよ」と
大人が子どもに教える時の一例になるだろう。

2017年2月 8日 (水)

「女子学生就職差別は外国の人種隔離電車を想起させる」…では、日本の女性専用車はどうなるの?

1994年頃の朝日新聞の読者投稿欄にこういう投稿があった。
(当時、バブルが崩壊し、就職氷河期と言われていた)
女性の大学職員からの投稿だったが、
「女子学生の就職は非常に厳しい。社会人になるという時に
女性だというだけで差別される様は、外国に於ける、人種が違うというだけで
電車で同じ車両に乗れない差別を思い出す・・・」

彼女は、その約10年後、外国ではなく日本で、男性だというだけで電車の特定の車両から
排除するという制度が出来て、10年以上続いているということをどう考えるだろうか?
「女性を犯罪から保護するためだから正当だ」とでもいいそうで怖いが、
「人種が違うだけで同じ車両に乗れない」というのも、差別している本人達の感覚では
「犯罪を犯す人種から、清廉な人種を保護するためだから正当だ」
ということになるだろう。

2016年11月14日 (月)

東大があからさまな女子学生優遇を始める

東大が自宅外に下宿する女子学生(自宅から通った場合の通学時間が90分以上)に
月3万円を最長2年間給付する事を決めた。
また、教養課程のある駒場キャンパスの周囲に安全性、耐震性の優れたマンションを
100戸用意するのだと言う。
「安全性、耐震性の優れたマンション」というのが、女性専用なのかどうかは
分からないが、いずれにせよ、ひどい男性差別であると言わざるをえない。
東大の女子学生は「安全性、耐震性の優れたマンション」に3万円引きで
住めるというわけだ。
男子学生は、安全性・耐震性の低い下宿で構わないとでもいうのだろうか?
「保護者の安心」を名目にするが、保護者の「女は東大に行かなくてもいい」という
考え方は無くさなければならないが「女は安全な環境に」という考えは
保護するということだろうか?

最高学府の東大が、女子学生優遇を打ち出したことで、様々な大学が安心して
女子学生優遇を出来る環境が整ったと言えるだろう。
(元々、一部の私立大学は、入試の際、女子受験生に加点をしている。
別に最近始まった話ではなく、20年以上前の新聞投書欄(朝日新聞1993年11月12日付)で
高校の教員が書いている話である。
但し、当時は、高校教員向け説明会だけで説明し、一般への公表はしていなかった
らしいが、今回、東大があからさまな女性優遇を打ち出したことで、今後は
各大学がおおっぴらに女性優遇を始める可能性がある。
「赤信号、皆んなで渡れば怖くない」ということだ。)

こうやって、女子は女子として保護され、優遇されて男性の領域を侵犯する。
そして、男性は、保護もされなければ、女性の領域を侵犯することも許されない。
一部の人には、そういう状況が男女平等に見えてしまうらしいが、
私には全く理解できない。

(関係ないが、最近、男性同士の宿泊を拒否したラブホテルが旅館業法違反で
行政指導を受けたと言う。ここで、女性のみしか宿泊させないホテルが旅館業法に
違反しないのかという疑問が浮かぶ。勿論、違反であったとしても、行政は
目を瞑るだろうが。)

2016年4月25日 (月)

日々是ストレス

私は、普段からストレスの種の不意打ちにあっている。
例えば、私はジムに通っているのだが、先日、そのジムで
年輩男性利用者がインストラクターとしている話を
聞いたら気分がムカムカしてきてしまった。
脇でちょっと聞いていただけなので、細かい内容は分からないが
年輩男性が通っていた何かが、女性からの要望で女性専用に
なってしまい、その年輩男性が通えなくなってしまったらしい。
年輩男性は、事も無げに話していたが(内心どう思っているのかは
分からない)、私は、それを聞いて、それまで楽しくトレーニングしていたのが
気分がイライラして堪らなくなってしまった。
私は、毎日、こんな調子で突如襲ってくるストレスに耐えているのである。

2016年4月 1日 (金)

バブル期に差別されたのは男か?女か?

私とほぼ同年代の女性(複数)が、バブル期に就職活動をして、女性であるが故に
差別をされたという話をしているのをマスメディアで何回か見た。
リクルート担当者に「君が男だったら採用するのになぁ」と言われたりしたそうだ。
私は、それを見て本当に不愉快になってしまった。
何故なら、私もほぼ同時期に、男性に生まれてしまったが故の
強い疎外感を感じていたからだ。マスメディアは商品・サービスを紹介するときに
「女性に人気」というフレーズを連発した。「男性に人気」というフレーズは
殆ど見られず、それは、私にとっては「男なんてどうでもいい」と言われてるも
同然だった。
商業施設は、女性ばかりに媚びて、男性の私には何も与えなかった。
女性は持て囃され、男は貶められていた。
私のようなタイプの男は、「オタク」と呼ばれ、オタクであるとは即ち、
連続幼女誘拐殺害犯の宮崎勤の同類なのだった。
(オタクという言葉は、宮崎勤が逮捕された時に彼を象徴する言葉として脚光を浴びた
言葉である。)
パソコン通信のネットでオタクについて論じる掲示板があって、そこに
「男性が何かを集めるとオタク扱いされ、女性が何か(例えば小物など)を集めると
オシャレと褒め称えられるのは不公平」という書き込みがあり、
「その通りだ」と感じたのを思い出す。

オタクタイプではない、現代的・外向的な男性も、女性の前では
「アッシー」(女性様を車でお運びする「足」という意味)、
「ミツグ君」(女性様の為、一生懸命プレゼントを「貢ぐ」男という意味)扱いだった。
(因みに、私が、「アッシー」「ミツグ君」という言葉を最初に知ったのは、
マーケティング雑誌だった。
そのことから考えて、これらの言葉も「儲かれば正義=女性が正義」の
マーケティング業界が考えだした言葉であろう。
私はあまりに酷いと感じ、さすがにこんな侮辱的な言葉は世間に受け入れられない
だろうと考えたのだが、それからしばらくして、これらの言葉が世間に出回ったのを
見て、すっかり嫌になってしまった)

ところが、現在のマスメディアが取り上げるのは冒頭に書いたように
「バブル期に女性がいかに如何にひどい就職差別を受けていたか」だけで、同時期に
男性が受けた差別を取り上げることはないのである。
この問題に限らず、マスメディアは、女性差別は大々的に取り上げるが、男性差別は
無視する。マスメディアの言うことを鵜呑みにしてしまっている人には、あたかも、
男性差別など存在しないかのように見えるだろう。

しかし、「男性差別は無視される」という事実に気づけば、一番差別されているのは
差別に抗議しても無視される男性であるということに気付くだろう。

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    男性同性愛者、Nikkohさんのブログです。マスキュリズムについての記事が大変参考になります。「手弱男」として、弱者男性の問題についても関心をお持ちです。
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