男性差別

2017年10月18日 (水)

日々是ストレス3

最近、私は関西に出掛けた。
新神戸の駅で神戸の地下鉄に乗ろうとして、発車間際の電車に駆け込んだら、
そこは女性専用車両だった。
つまり、階段から一番近い便利な場所が「女性専用」になっている訳である。
(因みに、神戸市営地下鉄は、1年365日始発から終電まで女性専用車両を実施している)
私は、すっかり不愉快な気分になった。
隣の車両に移動したくはなかったが、折角の旅行で不愉快な思い(女性客や駅員から
何か言われるなど)をしたくなかったため、仕方なく隣の車両に移動した。
私は、まるで白人専用車両から追い出される有色人種のような気分を味わった。
女性専用車両は、空いていたが、隣の車両は、結構混んでいた。
女性専用車両に乗れない男性客が集中するためだ。

夕方、神戸の港を歩いた。港の夕暮れは、とても綺麗で本当なら、とても幸せな気分に
なるところだが、私の心は、昼間の女性専用車の経験で怒りに満ちたままだった。

他にも、JR神戸線、JR京都線の各駅停車に乗る時も、同じ怒りを覚える。
これらも、昼間にまで女性専用車両が導入されている。
しかも、女性専用車両でない車両はガラガラ、女性専用車両はもっとガラガラであった。
そして、この女性専用車も、各駅の階段からとても近い便利な場所に設定されているのである。
(駅によって、階段の位置が違うので、一概には言えないのだが、私が乗降した
いくつかの駅では、一番便利な場所、一番便利とはいえなくても、他の車輌に比べれば
便利な場所に設定されていた。)
明らかに、痴漢など発生しないような状況で、女性専用車両が設定されているのである。
これは、痴漢対策などではない。
痴漢対策を口実にした女性優遇・男性差別である。
「痴漢対策」と言われれば、男性は反対しづらい。
それを利用して、女性専用車両を導入し、そして、既成事実化してから、
どんどん拡大していく。
よくある人権抑圧方法である。
本来、こういうことに反対しなければならないのが、リベラル・人権派なのだが、
残念ながら、しばらく前に書いた記事に於ける諏訪原健氏のように、女性専用車両に
反対どころか大賛成してしまうリベラル・人権派が多く、それが故に、
国や鉄道会社は、こと女性優遇・男性差別についてはやりたい放題出来る状態に
なっているのである。

2017年9月19日 (火)

もう少しで小さい時からの宝物をオンナに奪われそうになった話

あなたには、子供の頃から慣れ親しんだ大好きな場所、「ここは自分の場所だ」と
感じる場所はないだろうか?
もし、その場所が「女性専用」(あるいは「男性専用」)に指定され、「女性専用」とか
「男性専用」というポスターが掲示されて「自分が男だから」(あるいは女だから)と
いう理由で入れなくなってしまったら、あなたは、どう感じるだろうか?

私は、危うくそういう目に遭いかけた。
幸い、実際には、そうはならなかったが、それは、別に、私の人権が配慮されたから
ではない。
ただの偶然である。

私は、幼稚園から中学にかけて、東京郊外の私鉄のM線の沿線に住んでいた。
私には、当時から好きな電車があった(番号が好きだった)。
大人になった今、電車の番号に萌えるということは、もはやない。
しかし、当時は、電車の番号にそれぞれの番号独特の雰囲気を感じていた。
そして、私が好きだった番号が7621(仮番号で、実際の番号とは違います)だった。
それは、私の宝物だった。電車の絵を描くときは、7621の絵が多かった。

その後、私も他所の沿線に引っ越し、長い月日が経ち、私もいい年をした大人になって
いたが、やはり、7621が好きだったし、7621を自分の電車だと感じていた。
いよいよ、7621が引退間近となったとき、私は暇さえあればM線に乗りに行き、
7621の写真を撮り、実際に乗車して別れを惜しんだ。
そして、7621は引退し廃車になって行った。

その僅か数ヶ月後、M線の優等列車に女性専用車両の導入が発表された。
しかも、ラッシュ時だけではない終日女性専用車両だった(但し、土休日は除く)。
そして、その女性専用車両の編成中の位置は、7621の連結されていた位置だったのである。
もし、7621の引退が数ヶ月遅れていれば、私は、7621に醜い「女性専用車両」のステッカーが
貼られ、例え、車内が空いている昼間などの時間帯であっても、自分が乗車する
こともままならないまま、7621の引退を見守らなければならないことになっていた。
(正確には、各駅停車として走っている時なら乗れるわけだが、7621は、優等列車と
して走っている時が多かったし、私も優等列車として走っている7621に
乗りたいのである)

もし、そういう事態になっていたら、私の心はズタズタになっていただろう。
7621の引退は残念だったが、女性専用車両導入前に引退してくれたことで
最悪の事態は免れたわけだ。
(「女性専用車両」ステッカーが貼られた7621の姿を想像するとゾッとする、と書いたら、
私は女性憎悪者ということになるのだろうか?)

勿論、7621は、私の所有物ではない(鉄道会社の所有物である)。
しかし、女性の独占物であってもならない筈だ。
何故なら、公共交通機関だからである。

それにしても、「個人の幸せを国益のために犠性にすることがあってはなりません」的な言説を
叶くサヨクの一部の人達が、私を含む多数の男性の幸せを奪う
女性専用車両には大賛成するというのは全く寒い光景である。
国益ではダメだが、女性の利益の為なら、個人の幸せを奪っても、全然、構わないと
いうことだろうか。

2017年8月 5日 (土)

男性の人権について -2-

今回は、男性の人権について、道路の信号機を例に考えてみたい。

先を急いでいるのに、信号機が赤であるがために、止まらざるを得ないと
いうことは、誰もが日常的に体験していることだろう。
つまり、道路の信号機は、私たちの権利(人権)を制限する存在である。

信号機について保守主義者は、こう考える。
「信号機(人権の制限)とは国家という、国民より上位の存在が国民に対して
課す義務である」と。
それに対して、リベラル主義者はこう考える。
「信号機とは、人と人(或いは車)同志の衝突を防ぐ、権利調整手段である」と。
人や車の往来が多い交差点に信号機を設けずに放っておいたら、
人と人(或いは車)とがぶつかってしまい、ぶつかった者双方に不幸な結果となる。
そこで、信号機を設置し、権利の調整をして、人(人権)同士の衝突を防止すると
いう訳だ。
(このような人間同士の権利調整の結果、生じる信号機(人権の制限)を
「人権の内在的制約」と言う。)

では、人(人権)と人(人権)とが衝突することがありえない場所に
国家が「国益のため」と称して信号機(人権制限)を設置したらどうなるだろう。
(このような信号機(人権制限)を「人権の外在的制約」という)
保守主義者はこう考える。
「お国の定めた義務だから、国民は従わなければならない。」
リベラル主義者はこう考える。
「人と人(人権と人権)が衝突する可能性のない場所に信号機(国民の権利制限)を
設置する事は、国家による国民に対する不当な人権侵害である。」

現在の日本国憲法は、リベラルな憲法であり、原則として、人(人権)と人(人権)が
ぶつかる可能性がある場所のみに信号機(人権の制限)を設けることが出来ると
解されている。

もう一つ重要なのは「信号表示の平等性」である。
信号の表示(赤とか青とか黄色とか)は、誰に対しても平等でなければならない。
「偉い人が来たときには青を表示するが、卑しい者が来たときには赤を表示する」とか、
「女性が来たときには青を表示するが、男性が来たときには赤を表示する」と
いうような不平等は許されないのである。
これを「法の下の平等」といい、以下に示す憲法14条で宣言されている。
>第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、
>社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

「性別により差別されない」と書いてあり、「女性であることにより差別されない」
とは書いてないことに注目するべきである。
つまり「女性であることにより差別」してはいけないが、「男性であることにより差別」
してもいけないわけだ。

ただし、特に左翼的傾向の強い人は、こう考えることがある。
「社会的弱者に対しては、信号を優先的に青表示するべきだし、それは法の下の平等
には反さない」
例えば、交差点においては、人間(弱者)が優先、車(強者)は劣後となっていているが、
それは、「法の下の平等」には反さないのと同様という訳だ。
そして、女性を社会的弱者とみなすと「女性に対しては、信号を優先的に青表示しても
「法の下の平等」には反さない」というフェミニズムにとって都合の良い結論と
なるのである。

その結果、電車において「男性に対しては赤信号、女性に対しては青信号」の車両
(女性専用車両)が出てくる訳だ。

私としては「社会的弱者に対して、信号を優先的に青表示する」ということに絶対的に
反対と言う訳ではない。(場合と程度によると考えている)
ただし「女性に対して優先的に青信号を表示する」ことに対しては絶対反対である。
なぜなら、私にとって、女性は弱者ではないからである。
私にとって、女性は、私の欲しかったものを全部奪っていった強者なのである。

2017年4月 9日 (日)

男性の人権について -1-

今日、「人権」は価値観と言うよりは、価値観の上に立って価値観同士を調整する
メタ価値観である。(*注1)
世界に70億人の人がいるならば、70億通りの価値観、常識、「あるべき社会像」があり、
その70億通りの価値観の間にどれが正しいとか間違ってるとかどれが上とか下とかの
関係は無い。
しかし、70億通りの価値観に対して、「世の中」は一つしかないのだ。
だから、価値観の調整が必要となる。
そして、現代において、その価値観の相違の調整弁を担うのが「人権」という概念である。

「人権」という言葉、概念は保守的な人が目の敵にしがちだが、保守的な人が自らの
意思で保守的に生きるのならば、人権とは何の衝突も起きない。
それどころか、その人には「保守的に生きる人権」があるとさえ言えるのである。
但し、公的関係において、価値観の異なる他人に対して、自分の価値観を具体的な
法律や制度(例えば女性専用車両のような)として強制しようとした時には「人権侵害」と
いう観念が発動される。
(例えば、保守主義者は、選択的夫婦別姓制度の導入を嫌う(人が多い)が、
自らの意思で夫婦同姓を選ぶ分には何の問題もない。
但し、それを価値観の異なる(夫婦別姓にしたいと考えている)人が存在する以上、
夫婦同姓を強制する現在の法律は人権的に問題があるといえるだろう。)

人権がメタ価値観として機能している世の中で、人権が特定の価値観(例えば
フェミニズム)に与することがあってはならない。
人権侵害か否かは、飽くまで客観的事実(公的制度に特定の価値観を持ち込み、
他の価値観を排除していないかどうか)によって判断されなければならない。
例えば

男が女を殴る・・・言うまでもなく男が悪い
女が男を殴る・・・男が悪いに決まってるだろー

などいうダブルスタンダードを公的制度にしてしまってはならないのだ。
(ややこしいことだが、この種の女性優先主義的ダブルスタンダードは、フェミニズムに
よっても、フェミニズムに対立する男性優越主義によっても肯定される)

つづく

*注1
例えば、本来「人権」という概念が嫌いな保守系の人が、外国(例えば中国)を非難する
時に「人権」という言葉を用いるのは、人権が現代の「メタ価値観」だからである。

2017年2月23日 (木)

日日是ストレス2

また「ストレスの種」の不意打ちにあってしまった。
今、旅行に行こうとして、その地で定宿にしているホテルを検索したら、
女性専用フロアが出来ている。
その階には、女性しか泊まれず、しかも、部屋は女性特別仕様である。
私が希望する日のインターネット早割を調べたら、一般(男性が泊まれる部屋)は既に
満室だったが、女性専用フロアはまだ空きがあった。
つまり、私は男性であるという理由で、そのホテルには泊まれない訳だ。
(正確には、早割価格ではない高い値段、或いは早割でも高めの部屋なら泊まれる
のかも知れないが、そうだとしても、同じ条件で宿泊できないのは差別である)
確かめていないが、大手チェーンホテルなので、全国で女性専用フロアが出来ている
可能性(或いは今後出来る可能性)がある。
(これ以上、むかつきたくないので調べません)
このような女性優遇(男性差別)をあたかも「いいこと」であるかのように見做す世間、
放置する男女共同参画(放置するどころか、女性優遇を推奨している節すらある)。
おかしいのは、私なのか、彼らなのか?
きっと未来に、「昔は、こんなに馬鹿げた男性差別がまかり通っていたんだよ」と
大人が子どもに教える時の一例になるだろう。

2017年2月 8日 (水)

「女子学生就職差別は外国の人種隔離電車を想起させる」…では、日本の女性専用車はどうなるの?

1994年頃の朝日新聞の読者投稿欄にこういう投稿があった。
(当時、バブルが崩壊し、就職氷河期と言われていた)
女性の大学職員からの投稿だったが、
「女子学生の就職は非常に厳しい。社会人になるという時に
女性だというだけで差別される様は、外国に於ける、人種が違うというだけで
電車で同じ車両に乗れない差別を思い出す・・・」

彼女は、その約10年後、外国ではなく日本で、男性だというだけで電車の特定の車両から
排除するという制度が出来て、10年以上続いているということをどう考えるだろうか?
「女性を犯罪から保護するためだから正当だ」とでもいいそうで怖いが、
「人種が違うだけで同じ車両に乗れない」というのも、差別している本人達の感覚では
「犯罪を犯す人種から、清廉な人種を保護するためだから正当だ」
ということになるだろう。

2016年11月14日 (月)

東大があからさまな女子学生優遇を始める

東大が自宅外に下宿する女子学生(自宅から通った場合の通学時間が90分以上)に
月3万円を最長2年間給付する事を決めた。
また、教養課程のある駒場キャンパスの周囲に安全性、耐震性の優れたマンションを
100戸用意するのだと言う。
「安全性、耐震性の優れたマンション」というのが、女性専用なのかどうかは
分からないが、いずれにせよ、ひどい男性差別であると言わざるをえない。
東大の女子学生は「安全性、耐震性の優れたマンション」に3万円引きで
住めるというわけだ。
男子学生は、安全性・耐震性の低い下宿で構わないとでもいうのだろうか?
「保護者の安心」を名目にするが、保護者の「女は東大に行かなくてもいい」という
考え方は無くさなければならないが「女は安全な環境に」という考えは
保護するということだろうか?

最高学府の東大が、女子学生優遇を打ち出したことで、様々な大学が安心して
女子学生優遇を出来る環境が整ったと言えるだろう。
(元々、一部の私立大学は、入試の際、女子受験生に加点をしている。
別に最近始まった話ではなく、20年以上前の新聞投書欄(朝日新聞1993年11月12日付)で
高校の教員が書いている話である。
但し、当時は、高校教員向け説明会だけで説明し、一般への公表はしていなかった
らしいが、今回、東大があからさまな女性優遇を打ち出したことで、今後は
各大学がおおっぴらに女性優遇を始める可能性がある。
「赤信号、皆んなで渡れば怖くない」ということだ。)

こうやって、女子は女子として保護され、優遇されて男性の領域を侵犯する。
そして、男性は、保護もされなければ、女性の領域を侵犯することも許されない。
一部の人には、そういう状況が男女平等に見えてしまうらしいが、
私には全く理解できない。

(関係ないが、最近、男性同士の宿泊を拒否したラブホテルが旅館業法違反で
行政指導を受けたと言う。ここで、女性のみしか宿泊させないホテルが旅館業法に
違反しないのかという疑問が浮かぶ。勿論、違反であったとしても、行政は
目を瞑るだろうが。)

2016年4月25日 (月)

日々是ストレス

私は、普段からストレスの種の不意打ちにあっている。
例えば、私はジムに通っているのだが、先日、そのジムで
年輩男性利用者がインストラクターとしている話を
聞いたら気分がムカムカしてきてしまった。
脇でちょっと聞いていただけなので、細かい内容は分からないが
年輩男性が通っていた何かが、女性からの要望で女性専用に
なってしまい、その年輩男性が通えなくなってしまったらしい。
年輩男性は、事も無げに話していたが(内心どう思っているのかは
分からない)、私は、それを聞いて、それまで楽しくトレーニングしていたのが
気分がイライラして堪らなくなってしまった。
私は、毎日、こんな調子で突如襲ってくるストレスに耐えているのである。

2016年4月 1日 (金)

バブル期に差別されたのは男か?女か?

私とほぼ同年代の女性(複数)が、バブル期に就職活動をして、女性であるが故に
差別をされたという話をしているのをマスメディアで何回か見た。
リクルート担当者に「君が男だったら採用するのになぁ」と言われたりしたそうだ。
私は、それを見て本当に不愉快になってしまった。
何故なら、私もほぼ同時期に、男性に生まれてしまったが故の
強い疎外感を感じていたからだ。マスメディアは商品・サービスを紹介するときに
「女性に人気」というフレーズを連発した。「男性に人気」というフレーズは
殆ど見られず、それは、私にとっては「男なんてどうでもいい」と言われてるも
同然だった。
商業施設は、女性ばかりに媚びて、男性の私には何も与えなかった。
女性は持て囃され、男は貶められていた。
私のようなタイプの男は、「オタク」と呼ばれ、オタクであるとは即ち、
連続幼女誘拐殺害犯の宮崎勤の同類なのだった。
(オタクという言葉は、宮崎勤が逮捕された時に彼を象徴する言葉として脚光を浴びた
言葉である。)
パソコン通信のネットでオタクについて論じる掲示板があって、そこに
「男性が何かを集めるとオタク扱いされ、女性が何か(例えば小物など)を集めると
オシャレと褒め称えられるのは不公平」という書き込みがあり、
「その通りだ」と感じたのを思い出す。

オタクタイプではない、現代的・外向的な男性も、女性の前では
「アッシー」(女性様を車でお運びする「足」という意味)、
「ミツグ君」(女性様の為、一生懸命プレゼントを「貢ぐ」男という意味)扱いだった。
(因みに、私が、「アッシー」「ミツグ君」という言葉を最初に知ったのは、
マーケティング雑誌だった。
そのことから考えて、これらの言葉も「儲かれば正義=女性が正義」の
マーケティング業界が考えだした言葉であろう。
私はあまりに酷いと感じ、さすがにこんな侮辱的な言葉は世間に受け入れられない
だろうと考えたのだが、それからしばらくして、これらの言葉が世間に出回ったのを
見て、すっかり嫌になってしまった)

ところが、現在のマスメディアが取り上げるのは冒頭に書いたように
「バブル期に女性がいかに如何にひどい就職差別を受けていたか」だけで、同時期に
男性が受けた差別を取り上げることはないのである。
この問題に限らず、マスメディアは、女性差別は大々的に取り上げるが、男性差別は
無視する。マスメディアの言うことを鵜呑みにしてしまっている人には、あたかも、
男性差別など存在しないかのように見えるだろう。

しかし、「男性差別は無視される」という事実に気づけば、一番差別されているのは
差別に抗議しても無視される男性であるということに気付くだろう。

2016年3月11日 (金)

精神科で女医から「男性患者だから」という理由でドア開け診療を強要された

もう10数年前の話にある。
私は、当時、自由診療で精神科のクリニックにかかっていたのだが、
その精神科医とのラポール(信頼関係)が壊れてしまったので、
別の病院に行ってみようかと考え、某都立病院の精神科を受診した。
極めて重症の患者を扱う病院だが、私が取り敢えず思いつく公共の病院は
そこだけだった。

その日の初診担当は、女医だった。
私が、診察室に入り、診察室のドアを閉じようとしたこころ、女医は言ったのである。
「ドアを閉めないでください。私は、男性患者の時は、ドアを開けて診察することに
しているんです。」
唖然とした。そして、屈辱感と怒りがこみ上げてきた。
私は、男性差別に悩んでいるのだ。ところが、その悩みを解決するために訪れた病院で
男性差別にあってしまったのである。
私は、悩みを話さなかった。男性を差別する女医に、男性差別で悩んでいることを
話すことなど出来なかった。
また、ドアが開いている診察室で、自分の秘密を話すことも論外だった。
悩みを解決するべく訪れた病院で、悩みと怒りは更に深まる結果となった。

私は、どこかの苦情窓口(10年以上前のことなので、どこだったかは思い出せない)に
苦情の電話を入れた。しかし、応対した女性は言い放ったのである。
「女医が怪我をしたらどうするんですか!」と。
私は、他人に暴力など振るわない。
男性患者と女医というだけで、男性患者は暴力予備軍だというのだろうか?
もし、白人精神科医が、患者が黒人だからというだけでドア開け診療を要求したら、
人種差別として大問題になるだろう。

私は、更にインターネットの都のホームページから抗議をした。
そうしたら、その病院の院長から返事が来た。
「当院では、初診に限り、医者の安全をはかるためドア開け診療を認めている。
患者の性別を問わず、そうしているが、もし、医者に男性差別と誤解される
言動があったならば遺憾である。今後、そのような誤解を受けることが無いよう
職員を指導する」という内容だった。
通り一遍ではあるが、一応、きちんとした返事ではある。
しかし、今後も、実際には「男性患者だから」という理由であっても、別の理由をつけて
ドア開け診療をする可能性は残っている訳だ。

私を担当した女医には「そんなに、精神科にかかる男性患者が怖いなら、
精神科医などやめて別の科の医者になったらどうですか」と言いたいが、
世間の雰囲気的には、「女性の(精神科医になる)権利の侵害」と言われそうである。
「女性様の権利のためなら、男性はドア開け診療という人権侵害に耐えろ」というわけだ。
というよりも、そもそも、女性の前では男性に人権なんかないのである。

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  • Nikkoh の 徒然日記
    男性同性愛者、Nikkohさんのブログです。マスキュリズムについての記事が大変参考になります。「手弱男」として、弱者男性の問題についても関心をお持ちです。
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