男性差別

2017年4月 9日 (日)

男性の人権について -1-

今日、「人権」は価値観と言うよりは、価値観の上に立って価値観同士を調整する
メタ価値観である。(*注1)
世界に70億人の人がいるならば、70億通りの価値観、常識、「あるべき社会像」があり、
その70億通りの価値観の間にどれが正しいとか間違ってるとかどれが上とか下とかの
関係は無い。
しかし、70億通りの価値観に対して、「世の中」は一つしかないのだ。
だから、価値観の調整が必要となる。
そして、現代において、その価値観の相違の調整弁を担うのが「人権」という概念である。

「人権」という言葉、概念は保守的な人が目の敵にしがちだが、保守的な人が自らの
意思で保守的に生きるのならば、人権とは何の衝突も起きない。
それどころか、その人には「保守的に生きる人権」があるとさえ言えるのである。
但し、公的関係において、価値観の異なる他人に対して、自分の価値観を具体的な
法律や制度(例えば女性専用車両のような)として強制しようとした時には「人権侵害」と
いう観念が発動される。
(例えば、保守主義者は、選択的夫婦別姓制度の導入を嫌う(人が多い)が、
自らの意思で夫婦同姓を選ぶ分には何の問題もない。
但し、それを価値観の異なる(夫婦別姓にしたいと考えている)人が存在する以上、
夫婦同姓を強制する現在の法律は人権的に問題があるといえるだろう。)

人権がメタ価値観として機能している世の中で、人権が特定の価値観(例えば
フェミニズム)に与することがあってはならない。
人権侵害か否かは、飽くまで客観的事実(公的制度に特定の価値観を持ち込み、
他の価値観を排除していないかどうか)によって判断されなければならない。
例えば

男が女を殴る・・・言うまでもなく男が悪い
女が男を殴る・・・男が悪いに決まってるだろー

などいうダブルスタンダードを公的制度にしてしまってはならないのだ。
(ややこしいことだが、この種の女性優先主義的ダブルスタンダードは、フェミニズムに
よっても、フェミニズムに対立する男性優越主義によっても肯定される)

つづく

*注1
例えば、本来「人権」という概念が嫌いな保守系の人が、外国(例えば中国)を非難する
時に「人権」という言葉を用いるのは、人権が現代の「メタ価値観」だからである。

2017年2月23日 (木)

日日是ストレス2

また「ストレスの種」の不意打ちにあってしまった。
今、旅行に行こうとして、その地で定宿にしているホテルを検索したら、
女性専用フロアが出来ている。
その階には、女性しか泊まれず、しかも、部屋は女性特別仕様である。
私が希望する日のインターネット早割を調べたら、一般(男性が泊まれる部屋)は既に
満室だったが、女性専用フロアはまだ空きがあった。
つまり、私は男性であるという理由で、そのホテルには泊まれない訳だ。
(正確には、早割価格ではない高い値段、或いは早割でも高めの部屋なら泊まれる
のかも知れないが、そうだとしても、同じ条件で宿泊できないのは差別である)
確かめていないが、大手チェーンホテルなので、全国で女性専用フロアが出来ている
可能性(或いは今後出来る可能性)がある。
(これ以上、むかつきたくないので調べません)
このような女性優遇(男性差別)をあたかも「いいこと」であるかのように見做す世間、
放置する男女共同参画(放置するどころか、女性優遇を推奨している節すらある)。
おかしいのは、私なのか、彼らなのか?
きっと未来に、「昔は、こんなに馬鹿げた男性差別がまかり通っていたんだよ」と
大人が子どもに教える時の一例になるだろう。

2017年2月 8日 (水)

「女子学生就職差別は外国の人種隔離電車を想起させる」…では、日本の女性専用車はどうなるの?

1994年頃の朝日新聞の読者投稿欄にこういう投稿があった。
(当時、バブルが崩壊し、就職氷河期と言われていた)
女性の大学職員からの投稿だったが、
「女子学生の就職は非常に厳しい。社会人になるという時に
女性だというだけで差別される様は、外国に於ける、人種が違うというだけで
電車で同じ車両に乗れない差別を思い出す・・・」

彼女は、その約10年後、外国ではなく日本で、男性だというだけで電車の特定の車両から
排除するという制度が出来て、10年以上続いているということをどう考えるだろうか?
「女性を犯罪から保護するためだから正当だ」とでもいいそうで怖いが、
「人種が違うだけで同じ車両に乗れない」というのも、差別している本人達の感覚では
「犯罪を犯す人種から、清廉な人種を保護するためだから正当だ」
ということになるだろう。

2016年11月14日 (月)

東大があからさまな女子学生優遇を始める

東大が自宅外に下宿する女子学生(自宅から通った場合の通学時間が90分以上)に
月3万円を最長2年間給付する事を決めた。
また、教養課程のある駒場キャンパスの周囲に安全性、耐震性の優れたマンションを
100戸用意するのだと言う。
「安全性、耐震性の優れたマンション」というのが、女性専用なのかどうかは
分からないが、いずれにせよ、ひどい男性差別であると言わざるをえない。
東大の女子学生は「安全性、耐震性の優れたマンション」に3万円引きで
住めるというわけだ。
男子学生は、安全性・耐震性の低い下宿で構わないとでもいうのだろうか?
「保護者の安心」を名目にするが、保護者の「女は東大に行かなくてもいい」という
考え方は無くさなければならないが「女は安全な環境に」という考えは
保護するということだろうか?

最高学府の東大が、女子学生優遇を打ち出したことで、様々な大学が安心して
女子学生優遇を出来る環境が整ったと言えるだろう。
(元々、一部の私立大学は、入試の際、女子受験生に加点をしている。
別に最近始まった話ではなく、20年以上前の新聞投書欄(朝日新聞1993年11月12日付)で
高校の教員が書いている話である。
但し、当時は、高校教員向け説明会だけで説明し、一般への公表はしていなかった
らしいが、今回、東大があからさまな女性優遇を打ち出したことで、今後は
各大学がおおっぴらに女性優遇を始める可能性がある。
「赤信号、皆んなで渡れば怖くない」ということだ。)

こうやって、女子は女子として保護され、優遇されて男性の領域を侵犯する。
そして、男性は、保護もされなければ、女性の領域を侵犯することも許されない。
一部の人には、そういう状況が男女平等に見えてしまうらしいが、
私には全く理解できない。

(関係ないが、最近、男性同士の宿泊を拒否したラブホテルが旅館業法違反で
行政指導を受けたと言う。ここで、女性のみしか宿泊させないホテルが旅館業法に
違反しないのかという疑問が浮かぶ。勿論、違反であったとしても、行政は
目を瞑るだろうが。)

2016年4月25日 (月)

日々是ストレス

私は、普段からストレスの種の不意打ちにあっている。
例えば、私はジムに通っているのだが、先日、そのジムで
年輩男性利用者がインストラクターとしている話を
聞いたら気分がムカムカしてきてしまった。
脇でちょっと聞いていただけなので、細かい内容は分からないが
年輩男性が通っていた何かが、女性からの要望で女性専用に
なってしまい、その年輩男性が通えなくなってしまったらしい。
年輩男性は、事も無げに話していたが(内心どう思っているのかは
分からない)、私は、それを聞いて、それまで楽しくトレーニングしていたのが
気分がイライラして堪らなくなってしまった。
私は、毎日、こんな調子で突如襲ってくるストレスに耐えているのである。

2016年4月 1日 (金)

バブル期に差別されたのは男か?女か?

私とほぼ同年代の女性(複数)が、バブル期に就職活動をして、女性であるが故に
差別をされたという話をしているのをマスメディアで何回か見た。
リクルート担当者に「君が男だったら採用するのになぁ」と言われたりしたそうだ。
私は、それを見て本当に不愉快になってしまった。
何故なら、私もほぼ同時期に、男性に生まれてしまったが故の
強い疎外感を感じていたからだ。マスメディアは商品・サービスを紹介するときに
「女性に人気」というフレーズを連発した。「男性に人気」というフレーズは
殆ど見られず、それは、私にとっては「男なんてどうでもいい」と言われてるも
同然だった。
商業施設は、女性ばかりに媚びて、男性の私には何も与えなかった。
女性は持て囃され、男は貶められていた。
私のようなタイプの男は、「オタク」と呼ばれ、オタクであるとは即ち、
連続幼女誘拐殺害犯の宮崎勤の同類なのだった。
(オタクという言葉は、宮崎勤が逮捕された時に彼を象徴する言葉として脚光を浴びた
言葉である。)
パソコン通信のネットでオタクについて論じる掲示板があって、そこに
「男性が何かを集めるとオタク扱いされ、女性が何か(例えば小物など)を集めると
オシャレと褒め称えられるのは不公平」という書き込みがあり、
「その通りだ」と感じたのを思い出す。

オタクタイプではない、現代的・外向的な男性も、女性の前では
「アッシー」(女性様を車でお運びする「足」という意味)、
「ミツグ君」(女性様の為、一生懸命プレゼントを「貢ぐ」男という意味)扱いだった。
(因みに、私が、「アッシー」「ミツグ君」という言葉を最初に知ったのは、
マーケティング雑誌だった。
そのことから考えて、これらの言葉も「儲かれば正義=女性が正義」の
マーケティング業界が考えだした言葉であろう。
私はあまりに酷いと感じ、さすがにこんな侮辱的な言葉は世間に受け入れられない
だろうと考えたのだが、それからしばらくして、これらの言葉が世間に出回ったのを
見て、すっかり嫌になってしまった)

ところが、現在のマスメディアが取り上げるのは冒頭に書いたように
「バブル期に女性がいかに如何にひどい就職差別を受けていたか」だけで、同時期に
男性が受けた差別を取り上げることはないのである。
この問題に限らず、マスメディアは、女性差別は大々的に取り上げるが、男性差別は
無視する。マスメディアの言うことを鵜呑みにしてしまっている人には、あたかも、
男性差別など存在しないかのように見えるだろう。

しかし、「男性差別は無視される」という事実に気づけば、一番差別されているのは
差別に抗議しても無視される男性であるということに気付くだろう。

2016年3月11日 (金)

精神科で女医から「男性患者だから」という理由でドア開け診療を強要された

もう10数年前の話にある。
私は、当時、自由診療で精神科のクリニックにかかっていたのだが、
その精神科医とのラポール(信頼関係)が壊れてしまったので、
別の病院に行ってみようかと考え、某都立病院の精神科を受診した。
極めて重症の患者を扱う病院だが、私が取り敢えず思いつく公共の病院は
そこだけだった。

その日の初診担当は、女医だった。
私が、診察室に入り、診察室のドアを閉じようとしたこころ、女医は言ったのである。
「ドアを閉めないでください。私は、男性患者の時は、ドアを開けて診察することに
しているんです。」
唖然とした。そして、屈辱感と怒りがこみ上げてきた。
私は、男性差別に悩んでいるのだ。ところが、その悩みを解決するために訪れた病院で
男性差別にあってしまったのである。
私は、悩みを話さなかった。男性を差別する女医に、男性差別で悩んでいることを
話すことなど出来なかった。
また、ドアが開いている診察室で、自分の秘密を話すことも論外だった。
悩みを解決するべく訪れた病院で、悩みと怒りは更に深まる結果となった。

私は、どこかの苦情窓口(10年以上前のことなので、どこだったかは思い出せない)に
苦情の電話を入れた。しかし、応対した女性は言い放ったのである。
「女医が怪我をしたらどうするんですか!」と。
私は、他人に暴力など振るわない。
男性患者と女医というだけで、男性患者は暴力予備軍だというのだろうか?
もし、白人精神科医が、患者が黒人だからというだけでドア開け診療を要求したら、
人種差別として大問題になるだろう。

私は、更にインターネットの都のホームページから抗議をした。
そうしたら、その病院の院長から返事が来た。
「当院では、初診に限り、医者の安全をはかるためドア開け診療を認めている。
患者の性別を問わず、そうしているが、もし、医者に男性差別と誤解される
言動があったならば遺憾である。今後、そのような誤解を受けることが無いよう
職員を指導する」という内容だった。
通り一遍ではあるが、一応、きちんとした返事ではある。
しかし、今後も、実際には「男性患者だから」という理由であっても、別の理由をつけて
ドア開け診療をする可能性は残っている訳だ。

私を担当した女医には「そんなに、精神科にかかる男性患者が怖いなら、
精神科医などやめて別の科の医者になったらどうですか」と言いたいが、
世間の雰囲気的には、「女性の(精神科医になる)権利の侵害」と言われそうである。
「女性様の権利のためなら、男性はドア開け診療という人権侵害に耐えろ」というわけだ。
というよりも、そもそも、女性の前では男性に人権なんかないのである。

2016年1月13日 (水)

「指導的立場の3割を女性に」のおかしさ

政府もさすがに「指導的立場の女性を数年中に3割に」という無理な目標は
引っ込めたらしいが、返す返すもおかしな目標である。
「指導的立場の人のうち、女性が3割ということは、残り7割は男性だから、
まだまだ男社会だ」的な反論が予想されるが、そういう問題では無いのだ。

指導的立場に男性が多いのは事実だが、社会の底辺で喘いでいたり、辛い仕事、
危ない仕事を引き受けているのも男性なのである。
女性は、男性のおいしいところの3割だけ持って行って、「不味い」方の3割は、
引き受けなくてもいいのだろうか。
また、女性にも美味しいところがある(勿論、不味いところもある)のだが
そのおいしいところの3割を男性に渡さなくていいのだろうか。

女性が一方的に男性の美味しいところを奪って行くことを、果たして
正しい「男女平等」と言えるのだろうか?

「指導的立場の人のうち、女性が3割ということは、残り7割は男性だから、
まだまだ男社会だ」というような「進歩的」見解を述べる人達の頭の中が
一体どうなっているのか、覗いてみたい気分である。

2015年12月26日 (土)

男性差別関連資料 【2016/06/09更新】

朝日新聞 1990年8月25日付 p.17 「男に聞く」渡辺恒夫氏
『脱男性の時代』の著者、渡辺恒夫先生へのインタビュー(写真あり)。

週刊朝日1992年7月3日号  p.163「女性専科めざし涙ぐましい努力をする『男をおりた
男性』」
アメリカに於ける90年代初頭の男性事情・男性運動について書いた記事

menslib.org
15年ほど前、私も参加させていただいていた「(続)男性開放掲示板」の常連さんが結成した
「男性開放協議会」(ただし、実体は存在しない)のページ。
メンバーの考え方に一致しない部分があるということで、メンバーそれぞれのページヘの
リンクだけで、オリジナルのコンテンツはない。また、リンク先も殆ど現在では
リンク切れとなっているが、WebArchiveで過去のログを見ることは出来る。
まだ、ネット上でも男性差別というものが殆ど扱われていなかった頃の貴重なサイトで
ある。
(因みに、私自身は、menslib.orgには参加していない)

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2015年8月20日 (木)

合理性のない差別を推進する政府の男女共同参画は違憲である

男女共同参画法は、以下のように定めている。
(男女の人権の尊重)
第三条 男女共同参画社会の形成は、男女の個人としての尊厳が重んぜられること、
男女が性別による差別的取扱いを受けないこと、男女が個人として能力を発揮する
機会が確保されることその他の男女の人権が尊重されることを旨として、
行われなければならない。

この規定の背景には憲法の定めがある。

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、
立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分
又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

ところが、国交省の推進する女性専用車両がこの男女共同参画から生まれているというのだから
驚きである。
女性専用車両は「男女の個人としての尊厳」を重んじていると言えるだろうか。
勿論、否である。男性を「男だから」というそれだけの理由で排除する女性専用車両は
男性の個人としての尊厳を全く無視している。
女性専用車両は、男女共同参画法の禁じる「性別による差別的取扱い」なのである。

こういう事を書くと「憲法は不合理な差別は禁止しているが、合理的な不平等は認容して
いる」という反論をする人がいるかも知れない。
しかし、女性専用車両は「合理的な不平等」ではない。
例えば、男性の中には女性に全く性的関心がないという人がいる。
そういう男性まで「男だから」という理由で排除してしまう女性専用車両に
憲法の認める合理性などない。
「女性専用車両を認めない」或いは「女性専用車両に乗りたい」という男性は
「自分は女性には性的関心がない」とか、「自分は女性に良からぬことは
絶対にしない」事を証明するべきだ、と考える人がいるならば、
それは本末転倒である。
特定の車両(例えば「女性専用車両」と称している車両)に特定の男性を
乗せた時に、その特定の男性が必ず良からぬこと(例えば女性に対する痴漢行為)を
するのだ、という事を証明できた時のみその特定の男性(だけ)を乗せない事が出来る、
と解するのが人権を尊重する発想のはずである。
ところが、実際には男性が男であるというだけで乗せないというのだから、
人権無視も甚だしいと言わなければならない。
それなのに、人権派と称する人たちが、往々にして、女性専用車両に疑問の声を上げる
どころか、これを擁護してしまうのだからびっくりである。
私が「男性には人権がない」と主張する所以である。

そもそも、憲法は確かに「合理的不平等」を容認しているが、「合理的不平等を積極的に
どんどん作りましょう」という趣旨ではない。飽くまでも、「差別をしてはいけない」と
いうのが第一義であって、もし合理的不平等を消極的に認めるとしても、その不平等は
今現在も本当に合理的なのかどうか、常に検討を続けなければならない筈なのである。
だから、憲法や男女共同参画法に基づく政府の男女共同参画政策も
決して「合理的不平等をどんどん作ります」という内容ではあってはならない。。
ところが、実際に政府の進めている男女共同参画を見てみると、さぁ、どんどん
女性優遇(合理的不平等ではなく、実際には不合理な差別なのは上で検討したとおりで
ある)をしましょう、という内容になっているのだから、ただただ、驚き、呆れてしまう
のである。