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2019年1月 8日 (火)

ハフィントンポストから良心的な記事2題

世間には、男性の直面する困難を無視し、女性差別ばかりを強調した言説が溢れている。
そんな中で、男性差別や男性に対する配慮の必要性に触れた良心的な記事を
ハフィントンポストから2つ紹介したい。

「半ズボン禁止の校則はおかしい」 男の子たちがスカートで登校30℃を超える猛暑でも
長ズボン着用を義務づける校則に、男子生徒が抗議。
https://www.huffingtonpost.jp/2017/06/22/boys-wear-skirts-to-protest-school-no-shorts-policy_n_17263880.html

男の子が、女の子よりサポートを必要としている理由 「男の子だから泣いちゃだめ」って言わないで。
https://www.huffingtonpost.jp/2017/12/05/boys-need-emotional-support_a_23297167/

2018年12月25日 (火)

書籍:ベティ・フリーダン 『新しい女性の創造』(1963年)

このブログの読者(特に若い読者)には、”ベティ・フリーダン”の名を聞いても分からない人も
いるかも知れない。(wikipediaの日本語版にも”ベティ・フリーダン”の項目がないので、
ちょっとびっくりしている)
しかし”ベティ・フリーダン”は私が若かった1980年代にはしばしば聞いた名前である。
彼女はアメリカ人でそもそもはジャーナリストだったが、1963年に出版した"The Feminine Mystique"
(邦題『新しい女性の創造』)は、1960年代、1970年代のアメリカウーマンリブ運動に大きな影響を与え、
彼女は一躍有名になった。
そして、現在でもアメリカ最大のフェミニスト団体であるNOWの初代会長となった。
但し、彼女自身は、その後、フェミニズム運動の中で保守派と見做されるようになり、
運動の主流から外れていった(早い話がラジカルフェミニストから追い出された)。
そんな訳で「新しい女性の創造」を読んでも、今のフェミニズムの主張が理解できる
わけではない。
しかし、60年代、70年代ウーマンリブ運動の初期の主張を理解する助けにはなる
だろう。

『新しい女性の創造』の内容をかいつまんで書いてみよう。
「人間は誰しも自らの成長を望むものだし、成長してこそ人間である。
そして、人間の成長は高等教育を受け専門職に就いて働いた時に可能となる。
それなのに、現代アメリカ(とは言っても1960年代の話だが)の女性は若くして結婚して
家庭に閉じ込められてしまう。これは女性の人間としての成長や自己実現を
阻害することである。そしてそれは単に女性だけの問題という訳ではなく、
現代(1960年代)のアメリカ社会の諸問題が、実は、女性が家庭に閉じ込められていることに原因がある」
・・・という要旨の本である。
中でも私の印象に残ったのは「男性が月に行く時代になったのに、女性は家庭に閉じ込められている」と
いうようなフレーズである。
そこで、今回はこのフレーズについて考えてみたい。
確かに男性は月へ行った。(1969年)
しかし、同時に戦場にも行ったのである。(ベトナム戦争1955年-1975年)
そして勿論、月に行った男性よりも戦場に行って殺し合いをする羽目になった男性の方が
圧倒的に多い。(注1)
しかし、ベティ・フリーダンには、そのような男性だけが負い、女性は負わなくてもいい
負の役割が見えなかったようだ。
男性が戦争へ行くという話は何回か出てくるが、それが女性に与える影響しか書いて
おらず、男性が出征した先の戦場で体験する殺し合いの辛さや
「何故、女性は戦争に行かないのか」という疑問提示は一切見られないのである。

更に言うならば、月へ行くというのは確かに偉業であり、人類の進歩の最先端を
体験すると言うことだ。
しかし、非常に危険な挑戦でもあったのである。
もし将来、月旅行の安全性が確立されれば、女性も月旅行へ行くようになるだろう。
それどころか、旅行会社はこぞって「月旅行に行きたい女性を狙え」という戦略を立てて、
月旅行の女性割引や女性専用月ロケット、女性専用月ホテルを登場させるに
違いない。ベティ・フリーダン自身が認めているように女性が「消費の女王」だからだ。(注2)
今、私たちが生活している社会に大手を振って存在している各種女性割引や女性専用○○を考えれば、
決して冗談ではないことが分かるだろう。

(注1)しかし、そのような現実を無視して「戦争の一番の犠牲者は女性や子供」という
見解を述べるのが「良識的」とされていることに暗然とせざるをえない。

(注2)本書の第9章は、そのものずばり「消費の女王」というタイトルである。
勿論、ベティ・フリーダンは女性が「消費の女王」と祭り上げられることに否定的である。

2018年9月 3日 (月)

大丈夫ですか?NHKさん その1 (セクハラやパワハラは憲法上の人権の問題か?)

最初に、セクハラやパワハラ(特にセクハラ)は、男性が女性に対してするものとは限らない
ということを確認しておきたい。(従って、女性→男性のセクハラを「逆セクハラ」と
形容するのは誤りである)
しかし、ニュース等で取り上げられるのは、圧倒的に男性→女性のセクハラであるというのも
事実である。そのことを踏まえて、話を進めたい。

しばらく前に、NHKの夕方のニュースで「憲法と私たち」(正式な名称は失念)というような
特集をシリーズでやっていた。
そのとある回で「最近目立つセクハラや、パワハラは、憲法の定めた権利の軽視に原因が
あります」と言うようなアナウンサーの発言で始まった回があった。
私は、不愉快な思いをすることが予期されたので、テレビを消そうかと思ったが、
「憲法の保障する人権とセクハラ」がどういう関連があるか興味を持ち、そのまま
見続けることにした。この時点で、既にヘンな結論が予想されたが、ひょっとしたら、
私の予想外の役に立つ情報が得られるかもしれないと思った。
結論的には、予想通りのヘンな理論が待ち受けていた。(がっかりし、腹が立った)
「セクハラやパワハラは、憲法の定めた平等権の軽視から起きている」というのである。
これは例えるならば、「窃盗犯罪は、憲法の定めた財産権(29条)の軽視が原因である」と
いうのと同じような「筋違い論理」である。
憲法は、「財産権は、これを侵してはならない(29条)」と定めているが、これは
「国(或いは地方公共団体など)が国民の財産権を不当に侵害してはならない」という意味である。
犯罪者による窃盗行為は、被害者に対する財産権の侵害ではあろうが、個人が別の個人の財産を
盗んだとしても、それは「憲法上の」財産権の問題ではない。
同じように、憲法は「法の下の平等」(番組で「平等権」と言っていたのは「法の下の平等」の
ことであろう)を定めているが、これは「国は国民を平等に扱わなければならない」という意味であって、
個人が別の個人にセクハラやパワハラを行っても、それは憲法上の人権の問題ではないであろう。

大丈夫ですか?NHKさん。

これ以外にも、しばらく前に、女性専用車両関連で、NHKの言説に疑問を抱いたことがあるのだが、
長くなるので、機会を改めたい。

2018年4月15日 (日)

アメリカの男性運動を描いた映画「THE RED PILL」の無料上映会がゴールデンウイークから始まります

アメリカ人女性フェミニストがアメリカの男性権利活動家とその活動を撮影した
ドキュメンタリー映画、「THE RED PILL」の無料上映会が開催されます。

5月5日 東京・立川
6月17日 京都(予定)
7月21日 東京

です(詳しくはググってください)。
英語の映画ですが、日本語翻訳付きということで、見れば誰にでも、男性が置かれている
過酷な環境が理解できると思います。
私も輸入盤の同映画DVDは持っているものの、私の英語力の無さゆえ、意味が
一部理解できないところがあり、同上映会で見ることによって、それが解消するものと
期待しています。
日本での同映画上映のために努力された方々、クラウドファンディングに
出資された方に敬意を表したいと思います。

男性差別に関心のある方は、是非、上映会へ足を運んでみてください。

2018年1月18日 (木)

ラジオ番組:吉田照美のてるてるワイド「集え美少年」(文化放送)

おそらく、最近の中高生は、ほとんどラジオは聞かないだろう。
しかし、30年以上前、私が中高生の頃は、民放AMラジオ局の夜の時間帯は、
中高生向けの番組が多かった。
ワイド番組といって、3時間位の番組内で幾つものアイドルタレントの録音収録番組を
流しながら、その合間に局アナが生放送で聴取者からのはがき投稿を読むという
スタイルが主流であった。
その中で80年代前半、高い人気を持っていたのが「吉田照美の夜はこれから
てるてるワイド」(文化放送)である。
(吉田照美は当時、文化放送の局アナ(男性)だった)
私は正直、アイドルタレントの録音収録番組はどうでもよく、吉田照美が生で
聴取者からのはがき投稿を読むところが好きだった。
様々なテーマで、はがき投稿を募集していたと思うが、今となっては
ほとんど覚えていない。

ただ1つ、よく覚えているコーナーが「集え美少年」である。
なんとも言えず妖艶なピーターの「夜と朝の間に」(私は、この曲を「集え美少年」で
初めて知った)が流れる中、吉田照美が美少年たちの性の告白(勿論、本当の話では
なく聴取者の創作話である)を読み上げるというもので、真面目に読みながら、
時々吉田照美が吹き出してしまうのが面白かった。
私的に、このコーナーがツボにはまったのは、少年が性告白をするというところである。
当時、この手の中高生向けワイド番組では、女の子が電話で性告白をするという
コーナーが定番だった
(覚えているところではニッポン放送「グッバイバージン、もう子供じゃないの」)。
今なら未成年の女の子が性告白をするというのは放送コードに引っかかるかも
しれないが、当時はかなり多かったのである。
今風に言えば「大人気コンテンツ」だった訳だ。

しかし、私にとっては、一方的に女の子の性告白(嘘っぽいものが多かった)を聞かされ、
自分が欲望させる側ではなく、欲望する側でしかないことを思い知らされて不愉快だった。
だから少年が性告白する「集え美少年」が気に入ったのである。
(この辺りが、その数年後、大学生になって、パソコン通信を始めて、
同性愛者でもないのに、男性同性愛者のネットに入り浸るきっかけになったように思う)
但し、女の子が性告白するコーナーは聴取者を性的に興奮させる為に存在したが
「集え美少年」はお笑いのコーナーだった。
しかし、女の子の性告白モノにウンザリしていた私にとってはそれでもよかった。

「集え美少年」では、告白する美少年は、告白ストーリーの中で、必ず、
失神しなければいけないことになっており、
いかに下らないことで失神するかが、笑わせどころだった。
そして、最後に吉田照美が「このハガキをくれた君にはルミ(吉田照美のこと)の
ヌード写真送るよ」と呟き、「夜と朝の間に」の「お前も静かに眠れー」という歌声で
コーナーが終わるのだった。

余談だが、このコーナーの最終回は、吉田照美ではなく、代役パーソナリティの榊原郁恵が
担当した(吉田照美はその週、休暇をとっていた)。
ディレクター側としては、榊原郁恵が、「やだー、なにこれーー」というような恥じらいを
示しながらコーナーを進めてほしいという期待があったと思う。
しかし、榊原郁恵は、実に明るい声で淡々とコーナーを進めてしまい、
結果的にあまり面白くなかった。
そして、その翌週、「集え美少年」のコーナーは、なくなっていた。

実際に送る事はなかったが、当時、私が考えたストーリーを少しだけ書いてみたい。
「照美兄貴、僕の体験を聞いてください。僕は、街を歩いていてお腹がすいたので
レストランに入ったんです。そうしたら、他に誰もいない店内でコックさんが、
大きなソーセージの皮をむいていました。
僕は、あまりのことに失神してしまいました・・・」
我ながら下品である(まだ先もあったのだが、30年以上経った今となっては思い出せない)。

最後に一言だけ言わせて欲しい。

「照美兄貴、兄貴のヌード写真ください!!」(爆)

2017年11月17日 (金)

テレビ番組:「とんねるずのみなさんのおかげでした」

来春のテレビ番組改編で「とんねるずのみなさんのおかげでした」が終了するという。
同番組は開始当初「とんねるずのみなさんのおかげです」という番組名で、
バブルの頃は大人気の番組だった。雑誌のコラムは皆、同番組を褒めていたし、
私も面白いと思って見ていた。
あれから、幾星霜。
私は、現在、同番組だけではなく、テレビそのものを見なくなっている。
ただ、ネットニュースなどで、近年の同番組の視聴率が極めて低調であることや
「つまらない」という評判は見ていた。

そして、最近の同番組のスペシャル番組で発生したのが「保毛尾田保毛男」事件である。
(私は当然、その番組も見てはいないのだが)
かつての同番組の男性同性愛者キャラ、保毛尾田保毛男を再現したところ、
同性愛者に対する偏見だという抗議が殺到し、フジテレビが謝罪に追い込まれたと
いうものだ。
私は、保毛尾田保毛男を覚えている。
気持ちの悪いメイクをした石橋貴明がナヨナヨした気持ちの悪い喋り方をするキャラ
だった。
当時、男性同性愛者のパソコン通信ネットに出入りしていた私としては、勿論、
「ステレオタイプだなぁ」と感じていた。

しかし、同番組がステレオタイプに描いていたのは男性同性愛者だけではない。
例えば、男性オタクもステレオタイプに描かれたものの1つである。
木梨憲武が扮するアイドルオタクが、石橋貴明がマネージャーを務めるアイドル
(松本伊代)にストーカー行為をするという内容で、木梨憲武がいかにもオタク的な格好、
持ち物(紙の手提げ袋)、エキセントリックな仕草、話し方をしていた。
今回の番組では、おそらく、このオタクのコーナーは再現されなかったのだろう。
(繰り返すが、私は、そのスペシャル番組を見ていないのでわからない)
しかし、もし、あのアイドルオタクが再現されていたら、オタク男性に対する偏見だと
いう抗議が殺到していただろうか?
フジテレビは謝罪していただろうか?
あの番組の描くオタク像に傷ついていたオタクの一人として、そんなことを考えた。

2016年12月 8日 (木)

私が快哉を叫んだテレビコマーシャル

現在、私は、テレビを殆ど見ない。
見るとしてもNHKだから、現在のコマーシャルのことは殆ど何も知らない。
しかし、かつては、男性をバカにしたCMがとても多かったのである。
その中で、私にカタルシスをもたらしたCMがあった(多分、バブルの頃だろうか)。
何のコマーシャルだったのかは思い出せない。

沼地の中を男が女を肩車して進んでいる。
男は胸まで泥に浸かっているのに、肩車されている女はまるで汚れていない。
にも拘わらず、女は男に対して、あれこれ文句を言うのである。
そこで、男は無言のまま、女をいきなり沼に突き落とす・・・・

という内容だったと思う。
女を沼に突き落とすシーンで、私は快哉を叫んだ。
もとより、女性様をそのようなひどい目に合わせるCMが視聴者に受け入れられる筈もなく、
すぐにそのCMは消えていった。

2016年8月24日 (水)

雑誌記事:PENTHOUSE日本版1987年11月号 ワレン・ファレル博士

蔵書を整理していたら、バブル初期の男性誌(PENTHOUSE日本版1987年11月号)が
出てきた。
パラパラめくっていたら、ちょっとびっくりするような人の記事が。
ワレン・ファレル博士・・・
そう、マスキュリズムの大書『男性権力の神話』の著者である。
(『男性権力の神話』は、1993年頃の出版である)
博士は、当時、43歳。今の私よりも若い。
中身を読んでみると、まだそれほど、マスキュリズム的主張は前面に出ていない。
どちらかといえば、メイルフェミニスト的な主張に近い。
(博士は、もともと、NOW(アメリカのフェミニズム団体)の唯一の男性評議員であった)
だが、その後の、主張の萌芽と感じられることも書いてある。
「女性が美しさを磨くのは、男性の持っている経済力を手に入れようとするためで
女性が無力な証拠である。しかし、男性もまた無力であり、「(肉体的な)力」、
「経済力」、「主導権」を持たなければならないのである。
「経済力」や「積極性」を女性に要求し、恋人に対して「そうしてくれなければ
別れるよ」といえるような男性こそ、新しい男性である」
というような内容である。
興味のある方はご覧になってはいかがだろうか。
(因みに、1ページだけの記事である)

なお、その反対側のページは、コンドームの広告で、お腹の大きいマタニティ姿の
男性が3人写り、コピーは「男も妊娠すればいいんだ。」とある。
コンドームの広告であることからも分かるように、「男も妊娠すればいいんだ」は
一種の逆説・反語である。
だが、私は、大真面目にこう答える。
「はい、男(私)も妊娠したいです。」と。

2016年7月23日 (土)

新書籍紹介: 『広がるミサンドリー(仮)』

『男性権力の神話』の訳者、久米泰介先生の新しい訳書が発売されます。

『広がるミサンドリー(仮) ポピュラーカルチャー、メディアにおける男性差別』
ポール・ナサンソン 著, キャサリン・K・ヤング 著, 久米 泰介 訳
彩流社

4200円(税別)とかなり高い書籍ですが、私は勿論買います。

2015年10月18日 (日)

番組:「マーケティング天国」

バブルの頃、「マーケティング天国」という深夜番組があった。(フジテレビ)
当時は、トレンドという言葉自体がトレンドであり、ギョーカイ(マスコミ界、
マーケテイング界など)が持て囃されていた。
「マーケティング天国」という番組も、そういう背景があったからこそ、
成り立った訳である。

その番組は、女性マーケッター(実際には、年長女性アナウンサー)が、
今のトレンドを分析するという内容だったが、この番組もご多分に漏れず
ひたすら女性を礼賛するのである。

ただ、一回だけ印象深い場面があった。
それは、女性マーケッターが女性を褒めまくっているその最中に
いきなり「よいしょ!」という効果音が入ったのである。
番組が自ら、女性を褒め上げるのが「よいしょ」であることを認めた瞬間だった。
おそらく、女性に対するよいしょが余りにも行き過ぎて、視聴者が白けた感じに
なっているのを番組側もわかっていて、一種の開き直りとして
「よいしょ」という効果音を入れたのだろうと考えるが、実際にはどうなのだろうか?

リンク集

  • Nikkoh の 徒然日記
    男性同性愛者、Nikkohさんのブログです。マスキュリズムについての記事が大変参考になります。「手弱男」として、弱者男性の問題についても関心をお持ちです。
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