フェミニズム・男女共同参画批判

2016年12月 4日 (日)

女性に対するステレオタイプを糺そうとして自らの男性に対するステレオタイプをさらけ出す間抜けなフェミニスト

かつて、ネットでフェミニストたちと論戦をした時、
そのうちの一人からこんなことを言われた。
「アダルトビデオの描く女性像は本当ではなく・・・」
つまり、私がアダルトビデオを見て、その中身を本気にしていると
思い込んでいるのだった。
しかし、当時、私はまだアダルトビデオというものを見たことがなかったのである。
従って、アダルトビデオの女性像を本気にするということもあり得ない。
他人のステレオタイプ(アダルトビデオの描く女性像は本物である)を糺そうとして
自らのステレオタイプ(男性はみんなアダルトビデオを見て、それを本気にする)を
さらけ出してしまった間抜けなフェミニストであった。

関連記事:女性に対するステレオタイプだけが問題にされて、男性に対するそれは放置される(フジ三太郎を例に)

2016年4月 2日 (土)

「エリート女性の結婚相手はエリート男性」は当然か?

最近、上野千鶴子のインタビューを何か(AERAだったか?)でみた。
その中に、「エリート女性の結婚相手はエリート男性だが、エリート男性は
家事をしようとしない」というような事が書いてあった。
当たり前のように「エリート女性の結婚相手はエリート男性」と書いてあったが
全然当たり前ではない。
エリート男性ではなく、身の回りの世話を細かく焼いてくれる家庭的な非エリート男性と
結婚すればいいのである。エリート男性は、家庭的な非エリート女性とも結婚する。
同じようにすればいいことではないか。
しかし、エリート女性は、それをしない。
彼女自らの「女のプライド」が許さないのである。
「どれだけ地位の高い男と結婚出来るかで女としてのランクが決まる」という
古い考え方にエリート女性自らが縛られているのだ。
これは、男性運動側がつとに指摘していることである。
しかし、件のAERAのインタビューでは「何の問題もございません」という風に
通過してしまっていた。

2016年1月18日 (月)

フェミニズムは女性指導者を増やせという要求をやめて、指導者がいない社会を作る運動をするべきである。

フェミニストに「戦争へ男ばかりがいかなければならないのは男性差別だ」と
いうと、こういう答えが帰ってくるだろう。
「戦争は男が起こしている」
或いは、
「戦争が悪いのだから、女を戦争に送るというのではなく、戦争を
無くすという方向で考えるべきだ」
どちらも、詭弁なのだが、今回は、後者について。
戦争は確かに悪いものだが、男女平等の観点からかんがえれば、
まず男女平等に戦争に行くようにして、それから、男女共通の課題として
戦争を無くすことを考えるべきである。
ところが、彼女たちの「戦争が悪い」は、男性差別を糊塗するための屁理屈でしかない。
一体、いつのことだか分からない戦争がなくなる時まで、男だけが戦場に行き続ける
羽目になり、しかも、彼女たちは戦争を無くすために何かするのかというと、
何もしないのである。(するとすれば、「戦争で如何に女性が酷い目に合うか」という
女性差別糾弾だけである。)

そこで、私も提案したい。
「フェミニズムは、指導者(権力者)の女性を増やせという要求ではなく、
指導者(権力者)がいない世の中を目指す運動をしろ」と。
本来、権力者などおらず、皆平等のほうが理想的なはずだからである。
(少なくとも、左翼思想においては)
ただし、指導者(権力者)がいない世の中になるまでは、男性が指導者を独占するし、
権力者を不要にするために、男性が何かをするかというと何もしない。
この理屈で何の問題もない筈だ。
彼女たちの理屈をひっくり返しただけなのだから。

P.S. そうそう、「戦争へ男ばかりが行かなければならないのは男性差別だ」という
私の抗議に「戦場も、そうでないところも危険なのは同じなのです」という訳のわからない
返答をよこしたフェミニストもいたのを思い出した。
「危険性が同じなら、戦場へ行けばいい」と言ったら、黙ってしまったが。

メイル・フェミニズム

1980年代終わり頃、私は、やっと私の考えに沿う本を見つけた。
『アメリカの男たちはいま』下村満子、朝日新聞社、1982
『脱男性の時代』渡辺恒夫、勁草書房、1986
である。
それまで、世界がよってたかって、自分を否定しようとしていると
感じていた私にとって、それは大きな驚き、そして喜びだった。
1991年には、アメリカの男性団体NCFMの本の抄訳版である
『正しいオトコのやり方』 下村満子訳、学陽書房、1991
が出版され、私は「やっと、いい方向の風が吹き始めた」と思った。

そして、90年代中頃から日本に登場してきたのが「男性学」「メンズリブ」と自称する
一連の本であった。
当初、私は、当然期待した。
しかしやがて、それは、失望へ、怒りへと変わっていった。
自称「男性学」「メンズリブ」の本を読んでも、ちっとも、心に響かない。
それどころか、不愉快な違和感が湧いてくるのである。
その不愉快さはフェミニズムの本を読んだ時のそれにそっくりだった。
そう、自称「男性学」「メンズリブ」とは、実は、フェミニズムの一派だったのである。
「男性よ、女性に対する加害者であることをやめよう、そうすれば男性は開放される」
というような内容で、男性を加害者、女性を被害者と位置づけている。
男性=加害者、女性=被害者と位置づけるのは、例え「メンズリブ」と自称していても、
フェミニズムの一種と考えるのが妥当である。
(この手のフェミニズムをメイル・フェミニズムという。)

その後、フェミニストと論争した時、そのうちの一人のフェミニストが私にこう言った。
「私は、伊藤公雄(メイル・フェミニズム本の著者)を読んでいるので、
あなたを理解できると思います」
はぁぁぁ?伊藤公雄を読んで私を理解できるわけ無いではないか。
恐らく、彼女は、さぞ楽しい気分で伊藤公雄の「メンズリブ本」を読めたことだろう。
当然である。
実際には、それは「フェミニズム本」なのだから。

2016年1月14日 (木)

フェミニズムの「大きな嘘」

もう一つ、書いてしまおう。
女性にひたすら理解を示す男性を見て感じるのは、一見寛容な態度の裏に
潜む傲慢さである。
例えるならば、ペットの犬がどんな悪さをしてもニコニコして許す飼い主
とでもいうのだろうか。
戦前的価値観においては、ペットを厳しく律するのが良い飼い主だったが、
戦後的価値観では、ペットが何をしても怒らないのが、良い飼い主である。
彼らは「戦後的良い飼い主」を演じているのである。
(勿論、私自身は、「男=飼い主、女=ペット」だとは考えていない。)
そして、それに付け入るのがフェミニズムである。
例えるならば、フェミニズムは、「男=飼い主、女=ペットであることに異議を申し立てる」
と称しつつ、実際に男に要求する事は、「良い飼い主としてペットの抗議を寛容に受け
入れろ」
ということなのである。
私は、そこに「大きな嘘」を感じている。
「男=飼い主、女=ペット」を否定する思想が、男性に対して「良い飼い主」であることを
要求する事ほど、矛盾していることはない筈だ。

2015年2月28日 (土)

「性差別に反対する人は男性であっても女主義者なのです」という性差別思想

前の記事で、私たちとフェミニストが論戦したことがあったことを書いた。
その最中に、私にメールを送ってきた相手方フェミニストがいた。
曰く、「あなたが、男性であることに本当に悩み、性差別に反対していることは
よく分かった。性差別に反対する人は、男性であってもフェミニストなのです。
他に表現しようがない。」
???なんのこっちゃ?
意味不明である。
フェミニズムのフェミが「女」を意味するのは言うまでもない。
「性差別に反対する人は、男性であっても女主義者なのです」???
ということは、性差別に賛成する人は女であっても「男主義者」であるとでも
言うのだろうか?
そういう考え方自体が、性差別の最たるものではないか。
フェミニズムが性差別思想である事が如実に現れたメールであったと言えるだろう。

私は黒人であり、フェミニストは白人である。

時々、男女差別と人種差別を同一視する人がいる。
そして、大概は、女性と黒人を同じと見做すのである。
(もし、女性=黒人だとすれば、フェミニストを攻撃している私は
黒人を攻撃する白人ということになってしまうが、それはとんでもない
誤解である。)
過去にも、私たちとフェミニストが論争しているところに
「女性差別と黒人差別は類似である」と言う人が現れたので、
男性陣営の人が「むしろ、男性の方が黒人である」
と言って、黒人と男性の類似点を挙げたところ、
「あなたは、黒人と男性の表面的な類似点を上げているに過ぎない。
私は、黒人差別と女性差別が同じ性格だと言っているのであって、
表面的な黒人と男性の類似点など意味が無い。例えば、女性に対するDVが
男性に対するDVをはるかに上回っているのは事実である。
もし、男性に対するDVが女性に対するDVを上回ったなら、女性差別と
黒人差別は違うと認めましょう」と自信満々で言うので、
私が「女性に対するDVよりも男性に対するDVの方が多い」という資料を
示したら、黙ってしまったという事があった。

実際、私は、自分(必ずしも男性全員ではない)=黒人、フェミニスト(必ずしも女性全員では
ない)=白人だと考えている。
ここでいう黒人とは、自分の属性(私の場合、男性であること)をスティグマだと感じ、
その自分の属性を肯定的に捉え直そうと一生懸命になっている人を指す。
そして、それの邪魔をするのが白人である。
私は、男性である自分を何とか肯定しようと努力してきた。
ところが、今の世の中に流布している男性像は、私が男性である自分を
肯定できるどころか、吐き気を催すものばかりなのである。
そして、その吐き気を催す男性像の発生源の一つがフェミニズムである。
フェミニストは、「性差別を無くす」と称して差別的な男性像を垂れ流しているではないか。
私=黒人、フェミニスト=白人という位置づけは全く間違っていないと確信している。