商業主義批判

2018年3月31日 (土)

「ヒカリエ」と「ルミネ」で考えたこと

昨年末、東急グループは、ディズニーとコラボのキャンペーンを実施した。
その東急グループの本拠地・渋谷に於ける一番新しい(と言っても、もう何年か
経っているが)商業施設が「ヒカリエ」である。
そのヒカリエにもディズニーのキャラクターを使った展示物が設置されたのだが、
私が一つ大きな違和感を抱いたことがある。
それは、ヒカリエにおいては、ミッキーマウスではなく、ミニーマウスを
はじめとする、女性キャラクターばかりが使われていたことだ。
かろうじて、ミッキーマウスが登場する展示物においても、
ミッキーマウスは背中だけで顔が見えなかったり、ミニーマウスがやたら
大きく強調されて、ミッキーは小さくしか描かれていなかったりする。
(つまり、完全に脇役扱い)
これは、東急グループがディズニーの女性キャラばかりを使うことによって、
女性に「女性様、あなたがヒカリエの主役でございます」と
媚を売っているのに他ならないだろう。
(実際、ヒカリエには、男性向け衣料の店は、ごく僅かしかない)

消費と対をなす仕事の分野においては、実態はともかく、言葉上では、
ビジネス「マン」という言い方は避けられるようになり、「ビジネスパースン」と
いう言葉を使うことが多くなった。
ビジネスをするのは男性だけではないというPolitical Correctnessによるものだ。
それなのに、消費の分野では「女性様、あなたが主役でございます」が当たり前の
ようにまかり通っているのである。
(私としては、ミッキーとミニーが一緒に楽しく買い物を楽しんでいるような展示が
あるべき姿だと考える)

もう一つ、最近(3月)、新宿で見かけた、JR系の駅ビル「ルミネ」の広告について
書こう。
曰く、「もうルミネは女性だけのものではない!」
(そして、5階と6階の一部がメンズの階であることの広告)
「もう女性だけのものではない」のは結構だが、逆にいえば「これまでルミネは
女性だけのものでした」という自白に他ならない。
他に新宿では、ミロードという小田急系商業施設が下から上まで見事に
レディースフロアだけで埋まっている。
現実的に女性は、商業ビルの下から上までレディースの階だけで
埋め尽くすだけの財力(一種の権力、権益)を持っているのである。
それなのに、何故、マスメディアは、そうした女性の持つ大きな権益に目を向けず、
「男性より賃金が安く、差別されている女性」などと一方的なことを書く
のだろうか。
(一般的に女性の賃金が男性より安いこと自体は事実であろう。しかし、男性が
いくら稼いだところで、それを使うのが女性(彼の妻や娘)ならば、そのお金の権力は
女性にあるのである。)
ホームレスが男性ばかりであることからは目を背け、「いかに母子家庭が貧しいか」と
いうようなことを情緒的感情的に書くマスメディアに疑問を感じざるを得ない。
(最後は、マスメディア批判になってしまいましたが、商業主義批判の記事として
載せます)

関連記事:買い物を楽しむ親子三代3人は、全員女性で当然か?

2017年11月 2日 (木)

西武セゾングループと東急グループの渋谷戦争に見るオトコとオンナ

1970年代から1980年代にかけて、本来、東急グループの金城湯池であるはずの
東京・渋谷を「若者」、「女性」というキーワードで席巻したのが、
堤清二率いる西武セゾングループである。
(西武セゾングループが1970年代に渋谷に作った商業施設で代表的なものとして、
西武百貨店や渋谷パルコが挙げられる)
特に、「若者」であり「女性」でもある「若い女性」を彼らは持て囃した。
その後、バブル崩壊に伴い、西武セゾングループは解体してしまったが、
今日に至るまでの渋谷の隆盛の発端は、西武セゾングループの渋谷進出であったと
言っても過言では無い。

東急グループとしては面白くないのは当然である。
そこで、東急グループが西武セゾングループに対抗するべく、バブル末期頃から
打ち出したキャッチフレーズが「大人の渋谷」であった。
「大人の渋谷」?
「若い女性」のカウンターは「大人の男性」の筈なのだが、「男性」という文字が
抜けていることに着目しなければならない。
つまり、「大人の女性」も大事なお客様というわけだ。
それどころか、恐らくは、「大人の男性」よりも、むしろ「大人の女性」の方が
大事だと考えていたのではないだろうか。
「大人の女性の渋谷」にならず、「大人の渋谷」で踏み止まっただけ、まだマシ
だったのかも知れない。

現実問題として、大人の男性は、消費をしないから、致し方ないといえば致し方ない
のかも知れない。
しかし、(このブログですでに何回も書いているように)、「男をターゲットにしても
儲からない」と「女は仕事に使えない」は表裏一体の関係なのである。
当時から今に至るまで耳にタコができるほど聞かされてきた「女性の社会進出」が
正義であるならば、「男性の消費進出」も正義でなければならない。
しかし、実際に起きたことは、「働く女性」というキーワードで女性に商品を売る
(つまり、相変わらず女性は消費者)という現象であった。
そして、それを仕掛けた人たちは、堤清二も、増田通二(堤清二の下で渋谷パルコを
作った人)も、男性なのだった。
つまり、渋谷の街という明るい「舞台」の上で、主役として振る舞うのは若い女性だが、
裏で舞台を演出しているのはオジサンたちなのである。
裏方が、舞台の上で主役を演じる訳にはいかない。
だから、男性は、消費のターゲットにはならない訳だ。

加えて言えば、裏で舞台を演出しているのが男性だからといって、男性が優位という
ことにはならないだろう。
私に言わせれば、明るい舞台の上で主役として振る舞うことが出来る、若い女性が
一番得である。

2016年4月 1日 (金)

商業における女性優遇は正当ではない。

最近、東京にオープンした商業施設が「NEWoMAN」(新宿)と「東急プラザ銀座」
である。(私はもう両方行ってきた)
両方とも、女性がメインターゲットであることを明言している。
(バブル期ほど露骨ではないが)
オフィスビルが「男性がターゲットです」と明言したりしたら、女性差別として
糾弾されるのに、商業施設が「女性がターゲットです」と言っても
構わないのはなぜなのだろうか?
ネットを見ても、商業における女性優遇を一生懸命正当化しようとする論調が多くて
嫌になる。

何度でも書くが「女は仕事に使えない」と「男をターゲットにしても儲からない」は
コインの表裏である。
(例えば、小さい時のままごとにおいて、男の子は会社へ、女の子は買い物に
行っていた。この延長上に、「女は仕事に使えない」、「男をターゲットにしても
儲からない」があるのである)
「女は仕事に使えない」は差別だが、「男は儲からない」は差別ではない
という考えは断固として間違いである。

2016年1月26日 (火)

「儲かれば正義」の人たち

最近、「ニセ団塊ジュニア」というマーケティング用語を知って、呆れた。
(調べたら、結構前からある言葉らしい)
まず、マーケティング業界は、「ホンモノ」という言葉を好む。
しかし、彼らの語る「ホンモノ」ほど、ニセモノ臭のするものはない。
取り敢えず、何か儲かりそうなものを見つければそれを「ホンモノ」と
形容すると考えてよい。
だから、しょっちゅう「ホンモノ」が変わる。
(言うまでもないが、本物のホンモノは、コロコロ変わらない)
マーケティング雑誌で「今度こそホンモノの○○(←儲かりそうなキーワードが入る)の時代だ」と
いうような文句を見るたびに「こないだまで言ってたホンモノはどこへ行っちゃったの?」と
問いかけたくなったものである。(過去形です。近年はマーケティング雑誌とか見ないので)
「ニセ」は言うまでもなく「ホンモノ」の反対であり、彼らにとって否定的な意味を持っている。

「団塊ジュニア」とは、バブル時代に盛んに持て囃されたマーケティング用語である。
団塊とは、終戦後のベビーブーム世代を指し、ジュニアとは子供を指す。
団塊ジュニアとは、つまり、「戦後ベビーブームで生まれた世代の子供」という意味である。
バブルの頃、私の読んでいたマーケティング雑誌は「女性」と「団塊ジュニア」の話で終始していた。

ところが、「ニセ団塊ジュニア」という言葉の登場である。
かつて「団塊ジュニア」と呼んで持て囃した人々に、今度は「ニセ団塊ジュニア」という
蔑称(?)を付けたのである。
「団塊ジュニア」と持て囃した人達は、実際には団塊ジュニアではなかったという。
(本当の団塊ジュニアより、年上の世代であったとしている)
「ニセ団塊ジュニア」という言葉の登場は、つまり団塊ジュニアと呼ばれた世代が
儲からない世代になったということである。
しかし、彼らは、彼らが「団塊ジュニア」と呼んだ世代が実は団塊世代の子供では
ないことに今頃、気づいたのだろうか?
いや、「団塊ジュニア」という言葉を盛んに使っていた頃から、そんなことは分かっていた
はずである。
分かっていて、「団塊ジュニア」という言葉を使い続けた。
なぜなら、儲かる言葉だったからである。彼らにとっては、儲かれば「ホンモノ」なのだ。
以前も書いたが、「儲かれば正義」、「儲かれば、嘘も真」の人達なのである。

80年代末期(バブルが極まった頃)に彼らが好んだ言葉に「ゴールデンナインティーズ」というものがあった。
「黄金の90年代」という意味で、要するに「バラ色の未来が待っている」ということである。
しかし、実際の90年代は「ゴールデン」どころか「ブラックナインティーズ」だった。
では、「ゴールデンナインティーズ」と連呼したのに、実際には「ブラックナインディーズ」だった事で
彼らは損害を被っただろうか?
実は、何も損をしていない。
「ゴールデンナインティーズ」という言葉は、90年代に儲ける為のキーワードではなく、
80年代末期のバブルの極まった日本でこの言葉を使えば儲かる、というキーワードだったのである。
そして、彼らはこの言葉で大儲けした。
つまり、ちゃんと目的は達成したのである。
だから、実際の90年代がゴールデンだろうが、ブラックだろうが問題はないのだ。
(勿論、90年代にも好景気が続けば、それに越したことはないだろうが、
もし、そうなった場合でも、90年代に最早「ゴールデンナインティーズ」という言葉は
使わないだろう。90年代には、既に「ゴールデンナインティーズ」という言葉は
商品として陳腐化しているからだ)

そして、彼らに手っ取り早く、確実に儲けをもたらしてくれるのが「女性」という存在である。
儲かれば正義、すなわち、「女性が正義」なのだ。
例えば、かつて彼らは「働く女性」という言葉を連呼していた。
いつか、「働く女性」という言葉が儲からない言葉になった時、彼らは
平然とこう言い出すだろう。
「働く女性っていうキーワードが持て囃されたことがあったけど、
あれって、ニセ働く女性だったよね」と。
(2016/03/22 一部修正・追加)

2016年1月 3日 (日)

昔、私を悲しませた記事

かなり以前(バブルの頃)、新聞やマーケティング雑誌で読んで、私を悲しませ、
怒らせたことを、幾つか書いてみようと思う。

男性向け衣料品売り場も、女性が顧客である。
(夫の服を買うのは妻だから)

商業施設には必ず本屋が必要である。何故なら、妻や恋人とショッピングに来た男性が
過ごせる場所は本屋くらいしかないからだ。
  (つまり、本屋以外の場所は全て女性がターゲットということだ。因みに、本屋にしても、
男性だけがターゲットでないのは言うまでもない)

・(新聞でコラムニストが書いていたこと)
昔はデパートの1階には、必ず、男性向けのネクタイ売り場、帽子売り場があったものだが
それらは消えて、女性向け商品ばかりになってしまった。
(書いているコラムニストは、嘆いてはいるが「時代の流れだから仕方ない」調で
怒る様子はなかった)

何回か書いているが、商業施設は、昔から女性がターゲットだった。
男は仕事(生産)、女は家事(消費)という役割分担だったからだ。
(ついでにいえば、「女が美」で「男が美を鑑賞する者」という役割分担もあった)
その役割分担が見直されなければならない時代にあって、
「女性が仕事に進出するので、今後はますます女性の消費が伸びます」
というマーケティング雑誌の論調ほど、私を怒らせたものはない。
「女は仕事に使えない」と「男をターゲットにしても儲からない」はコインの裏表で
ある。コインの裏を裏のままで表をひっくり返すことは決して出来ないであろう。
では、なぜ彼らは、ありえないことを平然と書くのだろうか。
それは彼らが「売れれば正義」「売れさえすれば、嘘も真」の人達だからである。
そして、「オンナ」は非常に売れるので、「オンナ=正義」となるのである。
(その辺りについては、そのうち、別の記事で書こうと思う)→書きました。

2015年2月15日 (日)

「女性に迎合することを商売として富と名声を築きつつある一握りの人々」

以前、引用した渡辺恒夫教授の文章を再掲する。

「『男性社会』の真の主人公が、もはや男性ではなく女性である、
という逆説的な事態が、このシンドロームに輪をかけていよう。
現代最強のイデオロギーとしての消費のイデオロギー(ボードリヤール)が、
仕えるべき主人として選んだのは、男性ではなく女性だったのだ。
以後、男性社会は、従来の、女性を抑圧するという戦法を捨て、女性におもねり迎合する
という、新たなる戦法を採用することによって延命策をはかることとなった。
女性は新戦法の術中にはまり、男性社会と女性の間には一種の共犯関係が形成された。
そして--代わって男性社会の被抑圧者の訳を引き受けることとなったのは、男性自らの
方なのである。(中略)今や女性よりも男性の側に(女性に迎合することを商売として
富と名声を築きつつある一握りの人々は除くとして)、性役割固定文明への最後の一撃を
加えなければならない強い動機が、潜在的顕在的に生じつつあるのだ。」

以前の文章にも書いたとおり、私はこの「女性に迎合することを商売として富と名声を
築きつつある一握りの人々」に対する憎しみが強いのだが、では、どういう人達が
それに該当するのだろうか?

バブルの頃、私はテレビで、大学生の企画集団を特集しているのを見た。
その企画集団が、店をオープンするという経営者のもとへ行く。
その経営者は言うのだった。「若い女性が集まる店を企画してください」と。
しかし、その経営者はというと、中年の男性なのだ。
つまり、自分が客として来ないような店を希望しているわけである。
そのような人が典型的な「女性に迎合することを商売として富と名声を
築きつつある一握りの人」であると言えるだろう。
「若い女性が集まる」とは即ち「流行」を意味する。
若い女性が集まれば、マスメディアも話題にする。
きっと儲かるのだろう。
しかし、私は考えるのだ。「儲けてどうするのだろう?」と。
彼が儲けた金を使おうとしても、彼の入りたいと思った店が「女性専用」とか
「女性優遇」を打ち出したら?
彼のやっていることはそういう自滅行為なのである。
目先の利益だけ追った結果、最終的に自分が損をしかねないのである。
ただし、世の中には、金儲け自体が目的となっていて、使うことまで考えない男性が
いるらしい。
私は「金は使ってなんぼ」だと考えているので、理解できないが。
(ちなみに「男(の欲望)は金と女」という言葉があるが、
私はこの言葉が大嫌いである。)

2015年1月 7日 (水)

「働く女性」と「オヤジギャル」と「ウーマノミクス」

「働く女性」、「オヤジギャル」、「ウーマノミクス」・・・
これらの言葉の共通点に気づく人は多いだろう。
つまり、オンナ(「女性」、「ギャル」、「ウーマン」)という商品に、
それとは正反対の男性要素(「働く」、「オヤジ」、「エコノミクス」)を付けて
新奇性(物珍しさ)を高めているという点である。
商品は、一般に新奇性が高ければ高いほど、商品価値が高い。
「オヤジギャル」などは、あまりにも見え見えな感じだが、
このくさい言葉が世間(というより、マスコミ)を席巻するのをみて、うんざりしてしまった。
何度も書いていることだが、女性に商品価値を与え続ける限り、
今後も、この手の言葉をギョーカイが、流行らせようとするのは間違いないだろう。

2014年12月26日 (金)

成人男性が成人男性の論理で動くと「女性・こども」になる。

私と同世代の男性が、マーケティング業界で「こどもごころ」がどうたらこうたらと
やっているのを見て苦笑してしてしまった。
彼は本当の意味で「こどもごころ」に関心があるのだろうか?
まずないだろう。
彼は、飽くまでも、オンナコドモとは対局にある、成人男性の論理で動いているのである。
成人男性が成人男性の論理で動くと「こども」(あるいは女性)になるという、
逆説が生じている。
彼は、ひょっとしたら「こどもや女性が世の中を変えます」とでも語るかもしれない。
勿論、そんなのはフィクションである。
しかし、フィクションだとわかっていても、私には、大きなストレスなのだ。
それによって、クリスマスの街を楽しげに行き交う若い女性たちへの羨望が消えるわけ
ではないのである。

関連記事:

「女性は神聖にして侵すべからず」

「女アゲの男が出世する」という「危険なゲーム」

2014年12月 5日 (金)

「女性の時代」とは壮大な炎上商法である。

現代は「商業主義的女性の時代」です。 そして、商業資本が、それを演出しています。
「女性の時代」を構成する要素は複雑ですが、 フェミニズムによる女性推しよりも、
商業資本による女性推しの方が強いものと考えます。
というか、フェミニズムが言い出した「働く女性」を商業資本が商業的に利用するなど
商業資本がフェミニズムを利用していると言ってもいい位です。
今回は、そういうテーマについて書こうと思います。
性別で商品価値があるのは、「男性」か「女性」かと聞かれれば、大抵の人は「女性」と
答えると思います。 かつて、女性がその商品価値を発揮するのは、女性領域のみで
でした。
男性の聖域というものがあって、女性は、そこには立ち入らず、 男性を賛美したのです。
例えば、私が小学生の頃見たドラマでは、男性が男性性を発揮するのを見た女優が
「男の人っていいわね」 と呟くというのが定番でした。
これは、女性は男性の領域には立ち入らず、男性を尊敬するという了解があったという
ことです。
しかし、いつからか(70年代ウーマンリブあたりか?)、商業資本は、ある事実に気づき
ます。 「商品価値の高い女性を女性領域に閉じ込めず、これまで男性が占めていた役割
に進出させると儲かる」という事実です。
そこで登場するのが、「働く女性」など、「男性に勝るオンナ」ということです。
「働く女性」は「働く男性」を凌ぐ価値を有しています。商品価値において・・・ですが。
これらは、女性の商品価値・女性の消費者価値をベースにしており、どうしても「女」を
強調する事が必要です。
つまり、「働く女性」の真の価値は「働く」ではなく「女性」(の商品性)にあるのです。
では、商業資本にとって、一番怖いのは何か? 逆説的なようですが、
「本当に女性が働いてしまうこと」であると言えます。
女性が本当の意味で働いて「男性化」すると、女性の商品性・女性の消費者性が
消えてしまう可能性があるのです。
ところで「ウーマノミクス」という言葉を何度かこのブログでも紹介しましたが、
「ウーマノミクス」は決して 実現しません。
ウーマノミクスとは、「女性が社会進出し収入を得ることによって、今まで以上に
女性消費が拡大する」と いう事なのですが、そんな事はあり得ません。
「女性が男性の役割に進出し、そのことによって女性としての役割を更に強める」などと
いうことは不可能です。 おそらく、そんなことは言い出しっぺも知っているでしょう。
では、何故、「ウーマノミクス」などと騒ぐのでしょう?
それは、「ウーマノミクス」という言葉を「打ち上げる」だけで、彼らに莫大な儲けが
転がり込むからです。 打ち上げた「ウーマノミクス」は決して目的地には到着しませんが、
目的地に着く必要など最初からないのです。
これって、何かに似ていないか?と考えて閃きました。
「炎上商法」に似ているのではないか・・・? そう、「女性の時代」とは「壮大な炎上商法」
なのです。 炎上商法は、内容が過激であれば過激であるほど儲かります。
そんな訳で、「女性の時代」もどんどん過激さを増しています。
逆に、炎上商法にとって一番怖いのはなにか? 人々がそれが炎上商法であることに
気づいてしまうことでしょう。
では、そういう「商業主義的女性の時代」に男性が対抗するには、どうすればいいので
しょうか?
ひとつは、フェミニズムと、商業資本を対決に追い込むことです。 フェミニズムと
商業資本は、現在は「なぁなぁ」の仲でやっていますが、本来、相容れないものです。
例えば、「美人コンテスト」に反対するフェミニズムがあります。
一方、美人コンテストに無くなられては困るのが商業資本です。
美人コンテストが無くなってしまうと、女性の商品価値が落ちてしまうからです。
そこで、両者を対決させる。 「女性の時代」陣営内の内部抗争を起こさせるのです。
抗争の結果、両者とも消えてなくなってしまえば、最良の結果であると言えます。
もう一つは、女性から商品価値を奪ってしまうことです。
女性に商品価値があるのは、男性が女性に欲望するからです。
つまり、男性が女性に欲望するのを止めてしまえば、女性の商品価値も無くなり、
「商業主義的女性の時代」は終焉すると予想されます。
男性が女性に欲望するのは本能であり、それを止めるのはとても難しいだろうとは
思いますが、私自身としては、とっとと女性から商品価値を奪ってしまいたい気分です。
男性が女性に欲望するのをやめ、更に一歩進めて、男性に欲望するようにしたら
どうなるでしょう? 今度は、男性に商品価値が生じます。
そうなると、今度は「商業主義的男性の時代」が訪れるかもしれません。
男性が男性であることを商品価値として女性の領域に進出する一方、女性には
商品価値がないので、 女性は男性の領域に進出できず、今度は女性が
苦しむかもしれません。
以上は、勿論、「女に生まれたかった男」の空想でしかありません。
大部分の女性が、フェミニズムがなんと言おうと、オンナを捨てないであろうことと同じで
大部分の男性は、男性であること(つまり、女に欲望すること)を捨てる事はないでしょう。
しかし、女に欲望することをやめない男性は、女性だけがひたすら持て囃される時代が
これからも長く続くことも覚悟するべきだと思います。

2014年9月13日 (土)

女の商品価値が「女性の時代」を可能にしている

「これからは、働く女性の時代です」・・・
昔、マーケティング関係の本を読んでいた頃、よく目にした文句だ。
だが、彼らは、本当に女性が働くことを期待していたのだろうか?
もちろん、違う。彼らの仕事は商品を売ることであり、商品を売るためのキーワードが
「働く女性の時代」なのである。
「働く女性の時代」とは女性の持つ商品性、消費者性の上に成り立つ一種の商品である。
そして、女性に求められるのは、端的に言えば、実際に働くことというよりは、
「消費社会」という舞台の上で「働く女性」を演じることであり、演じる過程で、
企業が「働く女性のための製品」として開発した商品を買うことだといえる。
消費社会においては、商品性・消費者性が高い女性が舞台の主役なのだ。
そして、男性は脇役であり、裏方であり、観客なのである。

男性の脇役性は、バブル時に喧伝された「アッシー、みつぐ君」という言葉に
象徴されている。「アッシー、みつぐ君」は、男性が、高度消費社会に適応した一つの
形だった。彼らもまた、高度消費社会の舞台の上の役者なのである。
しかし、男性がいくら高度消費社会に適応しても、現状では、女性の脇役にしか
なれないという事だ。
もし、男性を主役として捉えなおせば、「アッシー」などとは呼ばれず、
主役にふさわしい名称が与えられたはずである。そして、女性には、
いかにも脇役っぽい名前が付けられただろう。

裏方性とは、「女性の時代」を裏で回しているのは、実は男性であるという意味である。
具体例を挙げるならば、マーケティング雑誌は「女性の時代」を喧伝するが、その
マーケティング雑誌の編集者も読者も殆ど男性である、ということに示されるだろう。

観客性とは、男性が観客であるということである。
なにしろ、舞台は、観客が見て初めて舞台として成り立つ。観客がいないことには、
女性たちは色々な役柄を演じることが出来ない。その観客を男性が務めなければ
いけないということである。

そういう視点で安倍政権の「ウーマノミクス」なるものを考えてみると、興味深い。
「ウーマノミクス」とは「女性が働き手として期待され、消費もリードする」という内容なのだが
私は、ここに「『女性は儲かる』の原則は壊しませんからご安心ください」という
ギョーカイへのメッセージを読み取る。
なにしろ、ある意味で女性が労働に進出して一番困るのは「これからは働く女性の時代」と
言っていた連中なのである。
なぜなら、下手に女性が男性化したら、女性の持つ商品性、消費者性が失われてしまう
からだ。

昔(25年位前)、初歩の経営学の本を読んだ時に「世の中に職業が存在するのは、
役割分担したほうが効率がいいからだ」と書いてあって、「なるほど、その通りだな」と
思った事がある。
例えば、私は、iPhone6を数万円で手に入れる事が出来るが、私一人でiPhone6を
作ることは、一生涯かかっても出来ない。
iPhone6は膨大な数の人(iPhone6そのものには関与していなくても、iPhone6が成り立つ
ために必要な全ての技術を開発した過去の人々を含む)の役割分担で出来上がる製品
だが、私は、私の役割(仕事)を数十時間果たすだけで、それを手に入れることができる
のである。
その代わり、各々の役割は、専門化・高度化し、人は、その人の適性に合わせて、
職業を選択して、それに専念することになる。
男女間でも、役割の分担が行われてきた。「男は仕事・稼ぎ、女は家事・消費」という
役割分担である。
ウーマノミクスに象徴される近年の風潮は「女性が仕事に進出し、収入を得るようになる
ので、女性の消費は今後もっと重要になる」
というものだが、これは、まやかしではないか?
「女性だけが、仕事に進出し、かつ消費者としての役割を増大させる」ということは
役割分担の原則から考えて不可能のように思えるのである。
女性だけが、男女の役割を両立できるオールマイティになることは出来ないのだ。
そういう意味で「女性の消費は今後もっと重要になる」などと言っている時点で、
女性の本当の意味での労働への進出を否定しているも同然なのである。
「女性は労働に進出し、男性は消費に進出するので、今後は男性の消費が重要になる」と
言うのならば、耳を傾けるに値するのだが。
私は「企業などの重要な役職の3割を女性にするなら、商業施設の売り場の3割を
男性向けの売り場に」と主張している。
奇妙に聞こえる人もいるかもしれないが、私は、案外真っ当な主張のつもりでいる。
「そんなに消費に熱心な男性はいないから、商業施設の売り上げが落ちる」と
考える人がいるかもしれない。
しかし、逆に言って、女性は企業の重要な役職の3割を占めるのにふさわしいほど、
仕事に熱心なのだろうか?
私にはそうは見えない。

近年の社会の「女性びいき」は異常である。
そして、女性がそれだけ持ち上げられるのは、女性が女性だからである。
女性の持つ商品性・消費者性が、それを可能にしているのである。
例えば、かつて「マルサの女」という映画があったが、現実のマルサは男性が
多いはずである。
しかし、映画になると「マルサの女」になってしまう。
女性の持つ商品価値がモノをいった結果である。
同様の現象が、現実の社会で起こっている。
男よりは女を祭り上げたほうが商品価値が高いのである。
例え、実際には、男性が担っている仕事であっても、
顔は女性にしてしまったほうが、話題性・商品性が高いということだ。

「実質は男性が担っているのだから構わない」という考え方もあるだろうが、
私は「辛い部分を男性が背負い、表面上のおいしい部分だけを女性が奪おうとしている」と
考える。
ところで、女性の商品価値は、男性(もっとはっきり言えば、男性の性欲)が支えている。
一方、女性たちは男性に商品価値を与えてはくれない。
それゆえに、女性は、女性であることを売り物に男性の世界に進出出来るが、
男性は、男性であることを売り物に女性の世界に進出できないという不公平が
生じているのではないか?
女性に商品価値を与え続けている限り、「社会の女性びいき」は続くだろう。
一体、男たちは、いつまで、女に商品価値を与え続けるのだろうか。
結果的に損をするのは自分たちだというのに・・・


関連記事:消費社会における男性差別構造を考える>

 

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