保守主義批判

2018年9月15日 (土)

「新潮45」8月号の杉田水脈氏の文章を読んで考えたこと

ひょっとしたら「今さら」な話題なのかもしれないが、「新潮45」8月号に
掲載された杉田水脈氏の「「LGBT」支援の度が過ぎる」の全文を読んだので、
私なりの感想を書いてみたいと思う。
世間では、専ら「LGBTには生産性がない」の部分に議論が集中しているような印象を
私は受けているが、私はそれとは別の部分に着目することにする。

>マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」
>と報道することがいいことなのかどうか。
>普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やす
>ことにつながりかねません。

最初に抱く疑問。
本当にマスメディアは「同性を好きになって当然」と報道しているのだろうか。
保守的な人は「~でなければならない」(義務・束縛)を発想の基本とする。
一方、リベラル系の人は「~であってもよい」(権利・自由)を発想の基本とする。
そのため、保守系議員である杉田水脈氏には「同性を好きになることがあっても
いい」というリベラル系報道機関の姿勢が「同性を好きになって当然」
(「当然」という言葉は、義務・束縛系のワードである)という風に
脳内変換されてしまうのではないだろうか?

で、本題に入る。
彼女は、彼女のいうパターン(「普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、
不幸な人を増やすことにつながりかねません。)とは逆のパターンが存在することに
気づいているだろうか?
それは「同性愛者が「これでいいんだ」(というか、「これしかないんだ」)と考えて、
異性愛者の異性と結婚し、結果的に自分も相手も不幸にしてしまう」というパターンである。
実際「同性愛者が異性愛者と結婚し、結果的に自分も相手も不幸になってしまう」という悲劇は
実在するのである。

具体例として、私が1980年代末に読んで影響を受けた下村満子著『アメリカの男たちはいま』には、
こんな事例が紹介されている。

(アメリカでの話である)
妻が帰宅すると、夫が電話をしている。
(夫は妻が帰宅したことにも、電話を聞かれていることにも気づかない)
話の内容から、それがすぐに夫の浮気相手との電話であることがわかる。
そして、夫は、電話相手との話の中で妻のことを「雌犬」と呼ぶ。
それを聞いた妻は、夫が浮気していること、夫が自分を「雌犬」呼ばわりした
ことに強いショックを受ける。
しかし、とどめのショックはその後に待っていた。
電話の話の内容から、夫の電話の相手(浮気相手)が男であることがわかってしまうのである。
そして、夫婦は破綻する・・・

同様のパターンが現在でもかなりあることは、
「夫は同性愛者でした」3人の女性が語ってくれたこと。(ハフポスト)
https://www.huffingtonpost.jp/2016/09/05/3-women-share-the-moment-they-found-out-their-husbands-are-gay_n_11863128.html
を見れば分かるだろう。

上で紹介したのは、どちらもアメリカの話なので、件の新潮45の
文章で欧米社会と日本社会の違いを強調する杉田水脈氏がこれを読んだら、
「アメリカ社会と日本社会は違う」と反論するかもしれない。
しかし、日本でも、ネットで「夫 同性愛」で検索すれば、夫が同性愛者で
あることに気づいて悩んでいる妻の記事が検索結果に沢山表示されるのである。
「不幸な人を増や」しているのは、むしろ、同性婚を認めない現在の制度なのでは
ないだろうか?(注)

勿論、法的制度として同性婚を認めたところで、社会的意識が急に変わるわけでは
ないから、同性愛者が異性と結婚するということがすぐになくなるわけではないだろう。
しかし、方向性としては、いい方向に向く(不幸な結婚が減る)と思うのは、
私だけだろうか。

加えていうならば、同性愛者が同性婚できる社会は「真の」異性婚
(異性愛者同士の結婚)もしやすい社会のはずである。
同性愛者の異性愛者との「偽装結婚」が減れば、必然的に異性婚は、異性愛者同士の
結婚である確率がより高くなるからである。
そして、好きでもない異性と偽装結婚する羽目になる現在の結婚制度よりは、同性が好き
なのであれば同性結婚できる結婚制度の方が(同性婚夫婦(夫夫?婦婦?)という
新しいパターンが加わるにせよ)安定性のある結婚制度であるとは言えないだろうか?
つまり、同性婚を認めることは、同性愛者だけでなく、異性愛者の利益にもなり、
結婚制度そのものの安定にもつながるように私には思われるのだが、
机上の空論であろうか?

(注)
日本でも、私がかつて男性同性愛雑誌を読んだり、同性愛者ネットにアクセス
していたときに、「自分が、あるいは、自分の恋人が同性愛者なのに(女性と)
結婚する・・・」というテーマはよく見られた。
統計的データは示せないが、心証としては、
「長男なので、結婚して家業を継がなければならない」とか
「企業社会における「男は結婚(勿論女性と)して一人前」という風潮に
従わなければ」
とか
「女性と結婚すれば同性愛指向が治るのではないか」と考えるパターンが
多かったように思う。
因みに、「同性カップルで結婚した」という話題も時々あったが、それは
勿論、本当の結婚ではなく、法的には「養子縁組」であることが多かった。

2016年11月 8日 (火)

女を利用する「保守」

リベラル批判ばかりしすぎたからと言うわけではないが、今度は保守主義について
批判したい。

日本の保守が「女は利用できる」ということに気づいたのは、1970年代のことでは
ないか?(私もまだ50年生きておらず、70年代は子供だったから推測でしかないが)
50年代、60年代、大学キャンパスにおける主役は、反体制を叫ぶ男子学生だった。
それが、70年代に入って、反体制運動は鳴りを潜め、ブランド物を身に付けた
女子学生が大学キャンパスの主役になってゆく。
ブランド物とは言うまでもなく、権威主義的、かつ保守的なものである。
ここに「男=保守、女=進歩」と言うマスメディアが描きがちな構図とは別の現実が
見えてくる。
一部の左翼の夢想とは裏腹に、女と保守は相性が良いのである。

そして、1970年代末ごろにイギリスにサッチャー保守政権が誕生する。
「鉄の女」サッチャーは、非情なまでの保守政策を推し進めることに成功した。
彼女は、男がやれば、「残酷な男」と非難されることも、女がやれば「勇敢な女」と
いう肯定的評価になるのを利用したように思う。
(ついでに言うと、イギリスとアルゼンチンの間にフォークランド紛争が起きたのは
サッチャー政権の時だった。
「女性=平和」とか「戦争の一番の犠牲者は女性」などと言う者は、フォークランド紛争を
起こしたのは男だったか女だったか、その結果、戦場で死んだのは男だったか女だったか、
よく考えてみるべきである。)

1980年代末期には、土井たか子社会党が、消費税導入が争点となった選挙で女性候補を
使ったマドンナ旋風を巻き起こして大勝した。既に「女は利用できる」ということに
気付いていた保守は、これを見て本格的に「女で攻めてやろう」と考えたのではないか?

保守はもちろん、本質的には「男は男らしく女は女らしく」という思想を持っている。
しかし、革新・リベラルとの間で様々な争点がある中、何か一つ譲歩するとしたら
「女性」で譲歩する。そしてそれによって、多大な利益を得るのである。
例えば、安倍政権は「女性が輝く」というフレーズを連呼することによって、
その本質的保守性をごまかすことができる。
そして、ゴリゴリの保守主義者を閣僚に任命しても、その閣僚が女性であることによって、
マスメディアの批判は及び腰となる。
こんなにおいしい話がどこにあるであろうか。

かくして、保守は保守の思惑で、リベラルはリベラルの思惑で、商業主義は商業主義の
思惑で女性オシを競い合う事になるのである。
そして、その陰で、蔑ろにされるのはもちろん「男性の権利」なのだ。

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