短文

2019年3月20日 (水)

積もれば大きくなるはずの小さな話(第11話) 見たくもない政治的主張を見せられる話

私は、普段、「不愉快な思いをしてでも知りたい」という覚悟のある時(例えば、男性差別について調べる時など)以外は、
極力、不愉快に感じる可能性のあるコンテンツは避けるようにしている(精神衛生上、よろしくないので)。
それなのに、見たくもない政治的主張を見る羽目になることが
往々にしてあるのである。

例えば、あなたが楽しみにしていた購入商品がアマゾンから届いたとする。
あなたがワクワクして箱を開けたら、そこからあなたの大嫌いな政治的思想が書かれたパンフレットが
出てきたらあなたはどう感じるだろうか。
折角のワクワク感が台無しにならないだろうか?
数年前、私は何度もそういう気分を味わった。
アマゾンの箱を開けると商品と一緒に「学校へ行けないのは女の子だから」などの
「女性がこんな酷い目にあっています」系のパンフレットが入っているのである。
私は「男性に生まれることは不幸なことだ」と感じている。
それなのに、楽しみにしていた商品と一緒に「女性に生まれるのはこんなに不幸」と
いう政治的主張を書いたパンフレットを有無を言わさず送りつけるのは
例えるならば、肉食を禁ずる宗教を信じる人に肉を食べさせようとするのと
同様の行為である。
勿論、アマゾンの方には不快感を与える意図はないのだろう。
今日「女性が虐げられている(だからそれを何とかしなくてはならない)」というのは単なる政治的主張ではなく
「絶対正義」となってしまっているのだ。
(なお、最近はアマゾンの商品箱にその手のパンフレットが入っていることは無くなった)

先日(3月8日)は、google検索しようとしただけで、その日が「国際女性デー」で
あるというプロパガンダを見る羽目になった。
googleのロゴが「女性」だの「Woman」だのの文字で修飾されていたのである。
私は単に検索をしたいだけで、その日が「国際女性デー」であるなどという情報は
欲していないのにである。
3月8日が「国際女性デー」であるというのは「事実」でありプロパガンダでは
ないという考え方もあるだろう。
そこで、今度の11月19日にGoogleに注目しよう。
11月19日は「国際男性デー」である。もし、3月8日の「国際女性デー」には
「女性」をあしらった装飾をしたのに、11月19日に「男性」をあしらった修飾を
しなかったならば、そこにはやはり政治的主張があると考えるべきであろう。
という訳で、Googleさん、見てますよ。

2019年2月24日 (日)

積もれば大きくなるはずの小さな話(第7話) 黒いドレスの矛盾

しばらく前にアメリカの映画祭で女優たちが黒いドレスで式典に出席した
ことがあった。
黒いドレスは「女性に対する性暴力に反対する」という意味らしいが、
私は違和感を感じた。
それは「例え黒かろうが結局ドレスを着ている」ということである。
ドレスとは性的魅力を見せる服装である。
性暴力に本当に反対するならばドレスの着用そのものをやめるべきだった。
セレブたちのこの種のパフォーマンスに
「世界の食糧不足に抗議する大パーティー」的な矛盾、嘘くそさを
感じてしまうのは私だけだろうか。

2019年2月 3日 (日)

積もれば大きくなるはずの小さな話(第2話) 「偏見」

1990年代、私は「そこそこ大手」の有料パソコン通信ネットに加入していた。
そのパソコン通信ネットには「イケイケ系」の女性会員(Z嬢)がいて、 その歯に衣着せぬ発言から、皆から「女王様」と呼ばれていた。
彼女はこういう発言をしたことがあった。
「あたし、同性愛に偏見ないから・・・」
しかし、その後、ゲイ向けの有料ネットを立ち上げるなど、ゲイの世界で そこそこの知名度を有していたU氏(故人)が入会してきて、ゲイの集会 (単なるオフ会だったか、政治的な集会だったか忘れた)の告知をすると、 Z嬢は言い放った。
「それって、凄まじい」・・・・
私はこう思わずにはいられなかった。
「あのー、何の偏見もない人たちの集会を「凄まじい」と表現するでしょうか?」と。

2019年2月 2日 (土)

積もれば大きくなるはずの小さな話(第1話) 「男性美」

昔「女性は美しいのに男性は美しくない」と悩んでいた頃、加入していたゲイの
パソコン通信ネットで盛んに「男性美」という言葉を使っていたゲイの人がいた。
「そうか、男性も美しいのだ」と考えた私は、別のパソコン通信ネットの
ゲイの集まる場所で「男性の肉体のどこに美を感じますか」と質問してみた。
そこで返ってきた答え。
「美しいと感じるのは女性だけど、性欲を感じるのは男の体なんだ」
・・・・難しいものである。

2018年4月29日 (日)

「男を降りる」のではなく「男から上がれ!」

ジェンダー系文献(特に男性フェミニストによるエセ男性学文献)を読んでいると
よく見かける表現に「男を降りる」という表現がある。
(例えば、「男性は今こそ、男から降りるべきである」というように使用される)
私は、この表現を好まない。
「男を降りる」という表現は男性にマイナスの意味で「男の方が上なのだ」と
いう意識を植え付ける罠ではないかという気すらする。
私に言わせれば、「男を降りる」のではなく「男から上がる」のだ。
男は乗る車両すら制限される奴隷である。
奴隷であることを止めることは「降りる」ではなく「上がる」或いは「登る」と
表現するべきであろう。

2017年12月22日 (金)

「女は男を責めるのをやめて、自己反省せよ」

男性差別に反対している男性に、以下のような屁理屈がフェミニズムから
浴びせられることがある。
「社会を造ったのは男である。だから、男が不利な目にあっても、それは男自身の
責任である。男は女を責めるのではなく自己反省せよ」
それに対して、私はこう反論したい。
「人間を産むのは女である。だから、人間社会の諸悪の根源は女であって、
女が不利な目にあっても、それは女自身の責任である。
(100万ドル賭けてもいいが、凶悪なレイプ犯達も、産んだのは全員女である。)
女は男を責めるのではなく自己反省せよ」
暴言だろうか?
一応言っておくが、私自身はこの理屈を全く支持しない。
単に、上記のフェミニズムの屁理屈をひっくり返して、女に適用してみただけである。

2017年11月19日 (日)

近況報告 2017/11/19

今日11月19日は、「国際男性デー」です。
2ヶ月くらい前から、国際男性デー寄せて、何か書こうと思っていたのですが、
結局、何も書けず・・・(汗)
来年の国際男性デーには、超大作(?)を発表したいと思います。
(鬼さん、笑わないで・・・)

簡単な近況報告ですが、
・「THE RED PILL」を観ました。同映画は、アメリカ人女性フェミストが
「MRA」(Men's Rights Activist:男性の権利活動家(マスキュリスト))を
取材をした映画です。
かなり言語的に難解な部分(英語の映画なので)があるので、見直さなければ
ならないと思いつつ、まだ見直していません。

・ワレン・ファレル著、久米泰介訳『ファーザー・アンド・チャイルド・リユニオン』
を買いました。

以上です。

2017年7月17日 (月)

男女平等あるある(その1)

「男女平等へ向けて前進せよ」とフェミが言う。
だから、一生懸命アクセルを踏むんだけど、何故か前へ進まない。
よく見たら、フェミがブレーキを踏んでいた。

2017年4月 2日 (日)

言葉の罠:「弱者男性」と「弱者女性」

はじめに断っておくが、私は自分自身の言葉としては、「弱者男性」という言葉も
「弱者女性」という言葉も使わない。
しかし、それらの言葉を使う人々のことを考えていてふと思った。
「弱者男性」という言葉には「男性としては例外的な弱者」というニュアンスが
込められている場合が多い。
それに対して「弱者女性」という場合、「女性全体が弱者」というニュアンスとなる。
このちょっとした言葉の使い方の裏に潜む罠に気をつけるべきであろう。

男性差別は人生の虫歯である。

突然だが、私にとって、男性差別は「人生の虫歯」である。

読者には意味不明かもしれないので説明したい。
虫歯が痛くなった時、気にすれば気にするほど、痛くなっていく。
気にしないようにするのが、対症療法としては一番いいのである。
しかし、気にしないでいることによって虫歯が治るのかというと、
勿論、そんなことはない。
逆に、放置することによって、虫歯はどんどん悪化していく。

男性差別も、それと似ている。
痛み出しても、意図的に痛みから意識をそらし、気にしないようにすれば
その場はしのげる。
しかし、次に痛くなった時、男性差別という虫歯は、確実に悪化しているのである。

リンク集

  • Nikkoh の 徒然日記
    男性同性愛者、Nikkohさんのブログです。マスキュリズムについての記事が大変参考になります。「手弱男」として、弱者男性の問題についても関心をお持ちです。
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