エセ男性学批判

2020年6月 9日 (火)

伊藤公雄は自らの重要論文を収めた文献名すら正確に記述できない。

今回、伊藤公雄の「男らしさの挫折」についての記事を書いていて気が付いたのが、
伊藤公雄の文献名表記のいい加減さです。
「男らしさの挫折」を収録した文献である
作田啓一、富永茂樹編『自尊と懐疑』(筑摩書房、1984)の副題(*1)を
『男らしさのゆくえ』(新曜社、1993)では
「文芸社会学に向けて」(203頁、211頁)
と記述する一方、
『男性学入門』(作品社、1996)では
「文芸の社会学に向けて」(355頁)と
記述しています。

「一体どっちなんだよ!」と言いたくなりますが、
実はどちらでもない。(爆)
正解は
「文芸社会学をめざして」
なのです。

他人の論文を収めた文献名を間違えるならまだ分かりますが、
自分自身の記念すべき男性学デビュー論文の収録文献名すら正確に記述することが
できないという辺りから、伊藤公雄という学者の実際のレベルが推し量れますね。

(*1)この書籍は、メインタイトルの『自尊と懐疑』では一体何についての書籍なのか
よく分からないので、副題である「文芸社会学をめざして」がとても大切です。
副題によって、文学作品に関する社会学の本であることが分かるからです。

2020年5月31日 (日)

伊藤公雄「男らしさの挫折」(1984)は「日本(初)の男性学論文」と言えるか?

当ブログ4月3日の記事で、

>次回は伊藤公雄が自身の論文「男らしさの挫折」(1984)を
>「日本の男性学の嚆矢」と自画自賛していることに対する批判を
>書きたいと考えています。

と書いた。
今回の記事は、その件についてである。

最初に、紛らわしい点について整理しておこう。

・「男らしさの挫折」は伊藤公雄が1984年に発表した論文である。
作田啓一・富永茂樹編『自尊と懐疑 文芸社会学をめざして』(筑摩書房、1984)に収録されているほか、
後述の『男らしさのゆくえ』にも再収されている。
・『男らしさのゆくえ』は伊藤公雄が1993年に出版した書籍である。

両者は名前が似ている上、前者は一旦発表後、後者に再収録されている
という関係にあるので、混同しないよう気をつけて頂きたい。

さて、当ブログで以前一度、取り上げたことがあるが「男らしさの挫折」について
伊藤公雄は「学術の動向」2008-04に寄稿した「ジェンダーの社会学 -男性学・男性性を中心に-」に
おいて以下のように述べている。

>日本においても、1980年代に入ると、男性学・男性性研究がうぶ声をあげた。
>社会学分野では、筆者(引用者注:伊藤公雄)の「<男らしさ>の挫折」(作田・富永編
>『自尊と懐疑』、筑摩書房、1984)が、また心理学の領域では渡辺恒夫
>『脱男性の時代』(1987)などが代表的なものといえるだろう。

私は、初めてこの文章を読んだ時、こう思わずにはいられなかった。
「何て厚かましいんだろう」と。
一体誰が「男らしさの挫折」などというマイナー論文を知っていると
いうのだろう。
伊藤公雄自身、『男性学入門』(作品社、1996)の中で「男らしさの挫折」について、
こう認めている。
「この論文は、ほとんど注目されることはなかった」と。
それが、12年後の2008年の上記文章では
「日本において1980年代にうぶ声をあげた男性学・男性性研究の代表的なもの」へ
大出世しているのだから「お主もなかなかやりよるよのぉ」と苦笑せずにはいられない。

加えて、これも当ブログで以前取り上げた際に指摘したことだが、この文章には
読者に「日本で最初の男性学提唱者は自分(伊藤公雄)である」という、
事実とは異なった認識を与えようという意図が見え隠れしていることも改めて指摘しておこう。(*1)

さて、本題に入ろう。
今回の本題は、伊藤の「男らしさの挫折」が「日本(初)の男性学論文」と言えるかどうかである。

結論から言おう。
私はこの論文を「日本(初)の男性学論文」と位置付けるのは全く不適切であると考える。
その理由は以下の通りである。
この論文は、日本社会の男性について全く考察していないのである。
この論文が考察しているのはイタリア文学を通じた近代市民社会成立後における
イタリアにおける男性性の変遷である。
両性具有的歌手カストラートの消滅、過男性化したロマン主義的男性像の登場と
その背景、その矛盾、やがてそれがファシズムに結びついてゆく必然性である。
日本社会の男性性については全く触れていないのである。
「日本の男性学」というからには、日本社会の男性(性)について
必ず考察しなければならない、という明確なルールがあるのか?というと
必ずしもそういう訳ではない。
しかし、逆にいって、日本社会の男性性についての考察が全くないならば
「日本の男性学」というように「日本」で絞りをかける必然性が全くないではないか?

仮に「世界初の男性学」であるというならば、それがたまたま
日本人研究者(伊藤)によるイタリア文学を通したイタリア社会男性についての男性性研究であっても
構わないのかも知れない。
しかし、伊藤は「世界」ではなく「日本」で絞りをかけているのである。
「日本」で絞りをかけて「日本初」という趣旨のことを謳うならば、
日本社会の男性性への何らかの言及が必要なのではないか?
必ずしも論文全体のテーマが日本社会の男性性についてである必要はないに
せよ、少なくとも一部分は日本社会の男性性考察に当てる必要性が
あるのではないだろうか?
(例えば「ヨーロッパでは、かくかくしかじかだが、日本においては
どうであったか」というような比較論など)
しかし、そのようなものは「男らしさの挫折」には全く見られないのである。

そのような訳で、私は日本社会の男性に対する考察を全く欠いた
「男らしさの挫折」を「日本における男性学の始まり」と
位置付けるのは全く不適切であると考える。
当該論文は、飽くまでイタリア研究者(伊藤)による文芸社会学論文であると言えよう。

それと比べると、伊藤は、1993年出版の『男らしさのゆくえ』においては、
第1章を「男らしさの戦後社会史」と題し、戦後の日本人男性像について
考察している(他章でも日本社会の男性について言及がある)。
これならば、確かに「日本の男性学」と称しても嘘ではないだろう。
しかし『男らしさのゆくえ』は、時期的に見ると「男らしさの挫折」より
9年遅いのである。
『男らしさのゆくえ』の第1章の初出は1989年の毎日新聞の連載コラムらしいが、
それを考慮しても「男らしさの挫折」より5年遅い。
一言で言って、この5年乃至9年は、「日本初の男性学提唱者」という手柄を
手に入れるためのサバ読みであると言える。

なお、仮に、伊藤公雄の主張を全面的に受け入れて伊藤の男性学研究着手を
1984年だとしても、やはり、渡辺恒夫の方が圧倒的に男性学研究への
着手が早いのは、以前書いた記事の通りである。


(*1)この文章で伊藤公雄がさりげなく主張していることは2つ。
1.渡辺恒夫より自分の方が先だ。
2.自分は社会学で渡辺恒夫は心理学だ。(つまり分野が違う)

1.について。実際には、渡辺恒夫の方が先である。こちらを参照。
2.について。確かに渡辺恒夫は心理学者で、伊藤公雄は社会学者だが、
述べていることに然程の違いがある訳ではない。それどころか、驚くほど
そっくりな部分もある程だ。

2020年4月 3日 (金)

渡辺恒夫『迷宮のエロスと文明』(1991)を読んで考えたこと

今年に入ってからまだ1回も書いていなかったが、これは私が現在、ある「挑戦」をしていて、
そちらに集中せざるを得ないからである。

さて、昨年10月に中古本で
渡辺恒夫『迷宮のエロスと文明』(新曜社、1991)
を購入した。
渡辺恒夫の『脱男性の時代』(勁草書房、1986)とその続編『トランス・ジェンダー
の文化』(勁草書房、1989)は初めて読んでからもう30年くらい経つが、これらの
続編に当たる当書は実は未読であった。

上に書いたように私は今「挑戦」をしているので、買ってから半年たった今でも
詳細に読み込んでおらず、パラパラ読んだだけなのだが、
改めて、渡辺恒夫は鋭いと思った。
例えば、1989年頃の連続幼女誘拐殺人事件を契機に始まった「おたくバッシング」について、
渡辺は以下のように喝破している。

>ここで問題としたいのは、中高年「識者」を、男女を問わず保守派から
>フェミニストらしき人物に至るまで動員してなされたマスメディアによる
>容疑者M叩きが、「おたく」叩きへと拡がるにつれ、
>おたく=若い男性=ロリコン・二次コンといった等式化がなされ、
>あたかも男性若年層全体が袋叩きの対象となり「医学的囲い込み」を受けて
>そっくりマイノリティ化されそうな形勢となって来たことである。
(同書20頁)

上記引用文はバブル当時、私の感じていた疎外感を的確に表現している。
私は12歳の頃、自分が鉄道ファンであることを誇りに思っていた。
(鉄道ファンであることはカッコいいことだと思っていた)
そして、自分は美しいと思っていた。
しかし、その10年後、バブルの頃には「鉄道オタク」(=連続幼女誘拐殺人犯と同類)
でしかなく、しかも、とても醜い自分に絶望していた。
同じ年代の女性たちがバブルの中で「蝶よ花よ」と持て囃されているのに、
若い男性である私は醜いオタク(=変質的犯罪者予備軍)でしかないことを悲しんでいた。
正に「袋叩き」の「マイノリティ」だったのである。

では、伊藤公雄は「連続幼女誘拐殺人事件」と「男性」をどう捉えているだろうか。

>社会の「女性化」(脱男性化)の波と、男たちの不安の増大という観点から見る
>とき、一九八九年という年は、きわめて象徴的な年だったのではないかと
>思われる。
>年始めには、東京で女子高校生監禁=コンクリート詰殺人事件が発覚し、
>夏には、連続幼児誘拐殺人事件の容疑者が逮捕された。
>この二つの悲惨な事件の背景には、女のモノ化=支配の対象としての女という、
>「男の論理」が存在している。
>しかも、一方は、集団での行為であり、そして他方は、単独ではあっても
>対象としてよりコントロールしやすい「幼い少女」が選択されているという点で、
>きわめて興味深い。というのも、そこには、一人の人格として、対等な異性と
>コミュニケーションすることができなくなった、現代の男の子たちの姿が
>ダブって見えてくるからだ。「男らしくあれ」(女を支配せよ)という命令と、
>すでにそうふるまうことができなくなってしまった社会とのジレンマのなかでの、
>追い詰められた男たちの、女たちへ向かっての病理的で攻撃的な「反撃」として、
>これらの事件をとらえるというのは考えすぎというものだろうか。
伊藤公雄『男らしさのゆくえ』(新曜社、1993) 97頁

伊藤公雄の見方は、実に定型的で、かつフェミニズム的である。
完全に男性をディスっていて、そこには「オタク」扱いされて
苦しんでいる若い男性への共感や同情など全くない。

因みに、渡辺恒夫の「ロリコン趣味」に関する見解は以下の通りである。

>また、やはり一九八九年に突如としてメディアに浮上した語に「おたく」なるもの
>があるが、おたく少年特有のロリコン趣味とは「男になりたくない」願望の表れで
>あって、マンガやアニメ同人誌にあふれる美少女は、他者愛の対象であるより
>むしろ同一化欲求の対象であることが、明らかになっている
(渡辺、前掲書7頁)

私自身は「オタク」ではあっても「ロリコン」ではないので、どちらが正しいと
判定はできないのだが、伊藤公雄の見解が「男性への共感」を全く欠き、
それどころか「男性に対するディスり」でしかないことは確かであろう。
「男性への共感」が全く欠けているのが伊藤公雄の「(自称)男性学」なのである。

p.s 次回は伊藤公雄が自身の論文「男らしさの挫折」(1984)を「日本の男性学の嚆矢」と
自画自賛していることに対する批判を書きたいと考えていますが、前述のような事情なので、
いつアップ出来るかは分かりません。

2019年12月23日 (月)

伊藤公雄の歴史修正主義を批判する(その4) 伊藤センセーの迷言を斬る

伊藤公雄や北原みのりの批判をしていると、こちらまで性格が歪んできそうで嫌なのだが
「批判が必要なものは批判しなければならない」という見地から続けたいと思う。
(北原みのりはともかく、伊藤公雄の過去のインチキは、殆ど無批判のまま見過ごされているのが実情だ)

以下は、伊藤公雄『男性学入門』(作品社、1996)
「おわりに ぼくが「男性学」をはじめた理由」からの引用である。

>そうこうしているうちに、欧米でも<男性論>や<男性学・男性研究>が
>けっこう盛んになっているらしいことに気がつきはじめた。
>手に入りそうなものはたいてい注文して入手した。
>しかし、もともとあまり"ヨコ"のものを"タテ"に直して「よし」とする
>日本の学問の風習は好きではない。
>また、こうした人々の議論を読んでも、ぼくと共通する問題意識は感じるのだが、
>極端にユニークな発想と出会うことも少なかった。
>というわけで、こうした議論を参照し吸収しながら、とりあえず、
>あくまで自前の<男性論>を書き、またしゃべりつづけているうちに、
>九〇年代に入ってしまった。(356頁)

まあ、ただただ「呆れた」と言うしかない伊藤公雄センセーの迷言である。
要するに
「自分が如何に反権威的な人間か」
「しかし自らに才能があるが故にオリジナリティのある男性論を書けてしまった」
という、はっきりいえば「自慢話し」である。
しかし、1980年代から男性であることに悩み、男性論の書籍を探し求めてきた私には、
善良さを装う伊藤の文章の陰から邪(よこしま)な本性が、透けて見えてしまうのである。

何も「ヨコ」(欧米)を「タテ」(日本)に直すまでもなく、日本に渡辺恒夫という先人がいることを
私達は知っている。
そして、伊藤公雄自身もそれを知らない筈がないのに、一言もそれを書いていないのである。
渡辺恒夫は伊藤公雄よりも先に「近代市民社会特有の男性問題」を指摘し、「男性学」を提唱した人物である。
伊藤公雄は「ユニークな発想と出会うことも少なかった」と書いているが、渡辺恒夫の見識は確実に伊藤よりも広く、
且つ、ユニークであった。
しかし、上記引用文章はその渡辺恒夫の存在を隠蔽してしまっている。

それとも、伊藤は**本当に**渡辺の研究に気がつかなかったのだろうか?
以前の記事でも書いたことだが、伊藤は1993年に出版した『男らしさのゆくえ』で
渡辺の『脱男性の時代』を参考文献に挙げている。
伊藤はその『脱男性の時代』の異性装者に関する考察の部分だけ読んで
「近代市民社会の男性」について述べた部分は読み落としたとでもいうのだろうか?
加えて言うならば、渡辺は単に『脱男性の時代』を一冊書いて終わりだった訳ではない。
『脱男性の時代』出版後、1990年代初頭にかけて、人文系の専門誌や
一般向けの「別冊宝島」などにも、積極的に寄稿しているのである。
朝日新聞1990年8月25日付インタビューにも「男性学という言葉を日本で最初にとなえた人」として登場している。
伊藤公雄は、それらを全て見落したのだろうか?
もし、そうだとすれば伊藤公雄はとんでもない「大根学者」(3流学者)だということになるだろう。

要するに、伊藤公雄は「大根学者」か「大嘘つき」かのいずれか(或いは両方かもね)でしかありえないのだ。
さて、読者は一体どちらだと思うだろうか?

2019年11月 2日 (土)

伊藤公雄の歴史修正主義を批判する その3 『男性学入門』(1996)に見る伊藤公雄のウソ

前回は1993年の『「男らしさ」のゆくえ』を検証した。
今回は1996年の『男性学入門』(作品社)を検討してみたい。
同書で、伊藤公雄の「歴史修正」はさらにひどく、そして手の込んだものに
なっていく。
(推測だが、伊藤公雄はこの著作辺りで「男性学」の乗っ取りを本格的に
画策したのではないだろうか)

『男性学入門』で伊藤公雄が渡辺恒夫について触れたのは以下の一箇所のみだ。

>渡辺恒夫さんの研究によれば、現代社会においては、現在の自己からの
>逃避の手段として「異性装」を選択する人も少なくないという。
>なんだかよくわかる気がする。(161頁)

文字通り入門書としてこの本を読む初学者の読者には、伊藤が渡辺の研究を
好意的に紹介した上で賛意を示しているように見えるに違いない。
だが、本当にそうだろうか?
伊藤は 『「男らしさ」のゆくえ』においては、問題があるとはいえ、
一応『脱男性の時代』から文章を引用して紹介し、参考文献としても明示していた。
ところが『男性学入門』では引用がなくなり(引用すると文献名を示さなければ
ならなくなるからだろう)、参考文献からも消えてしまう。(*1)
そして、上に引用した伊藤の文章は、渡辺の研究の論旨をひどく歪めている
のである。
渡辺が「自己逃避の手段として異性装を論じた」というのは渡辺の論旨を完全に
矮小化している。
渡辺が論じたのは「近代市民社会における男性のあり方の不自然さ」である。
そして、その不自然さが結果的に生み出してしまったアブノーマルとして
「異性装」
「性同一性障害」
「男性同性愛」(ゲイ)
を論じたのである。
その中でも詳しく論じたのが「異性装」(今でいう「男の娘」)だった、ということだ。
(当ブログで「渡辺恒夫 脱男性の時代論」を掲載中なので、併せてお読み頂きたい)

さて、『男らしさのゆくえ』(1993)で伊藤が渡辺の『脱男性の時代』を参考文献に
挙げていることは上に述べた通りである。
ということは、伊藤は「近代社会と男性問題」について日本で初めて論じたのが
自分ではなく渡辺だということを知っているはずだ。
それなのに(否、だからこそ)、1996年の『男性学入門』では『脱男性の時代』を
引用もせず、参考文献から消し、渡辺の論旨をねじ曲げて紹介したのである。(*2)

何故、ねじ曲げる必要があったのか。
伊藤公雄は巻末の「おわりに ぼくが「男性学」をはじめた理由」で
自らの1984年の論文「<男らしさ>の挫折」について以下の様なことを書いている。

>この論文は、ほとんど注目されることはなかったけれど、今から考えても、
>かなりスゴい作業だったと自画自賛している。
>何しろ、近代社会とのからみで男性問題を分析するといったことなど、
>日本においては誰も考えもしない時期の作業である。
(355頁-356頁)

私は呆れてものが言えなくなってしまった。
繰り返すが、伊藤公雄が自分より先に「近代社会と男性問題」について論じた人物(渡辺恒夫)が
いることを知らない筈がないのだ。それなのに白々しくこんなことを書くとは。
「厚顔無恥」とは伊藤公雄を形容するために存在する言葉なのではないか?
こういう嘘を重ねた結果、伊藤公雄は「日本の男性学の第一人者」と
呼ばれるようになったのだ。
これだけ書けば、読者にも見えてきたのではないだろうか?
口先では「男性は権力欲、優越欲、所有欲を捨てるべきだ」と説いている
伊藤公雄の壮絶な「権力欲」「優越欲」が。

(*1)この本には巻末の参考文献欄の他に各章の章末に「読書案内」なる欄が
あって、文献が羅列されている。
(そして参考文献欄には「読書案内で紹介したものはのぞく」とある)
渡辺恒夫について本文で触れたのは第4章だが、別の章(第3章)の「読書案内」に
渡辺恒夫編『男性学の挑戦』(新曜社、1989)が挙げられてはいる。
しかし『男性学の挑戦』は渡辺恒夫の編著(多方面の学者が各章を分担した)で
あって、渡辺の主要著書ではない。
渡辺の主要著書である『脱男性の時代』を知らなかった、という言い訳は
伊藤自身が前著『男らしさのゆくえ』で『脱男性の時代』を参考文献に
挙げている以上、通らない。

(*2)渡辺恒夫の本当の論旨を知られたくないならば、最初から渡辺について
全く触れなければいいではないか、とも思える。
これは推測でしかないが、伊藤は渡辺について全く触れないでおくと
「あなたは渡辺恒夫を知らないのですか?」と突っ込まれた時に困ると考えたのでは
ないだろうか。
だから、一種のアリバイを作るために渡辺について触れないわけにはいかなかったのだ、
と私は考える。

2019年10月14日 (月)

伊藤公雄の歴史修正主義を批判する その2

私は伊藤公雄が嫌いである。
嫌いな人物の苦痛しか感じない書籍を高いお金を払って買う程、私は酔狂ではない。
したがって、書店や図書館で伊藤公雄の本を読んでモヤモヤした疑念を感じながらも、
実際に本を所有していないがために、これまでその疑念について検証できないでいた。

しかし、私は最近、画期的な新手法を考案したのである。
それが「アマゾン中古本自炊法」である。(どこが画期的なんだかよく分からないが)
この新手法には
1)中古本であるが故に安価である
2)中古本であるが故に絶版本でも入手できる
3)中古本であるが故に嫌いな著者に印税が入らない
4)中古本であるが故に、何のためらいもなく自炊出来る(自炊とは書籍を裁断して
スキャナで電子データ化することである)
5)電子データ(PDF)化後のデータはOCR技術により容易に本文検索可能となる
(但し、OCR技術は完璧ではないことに留意する必要がある。)

という利点があるのである。
そして、私が最初に選んだ本が永年疑念を感じていた
伊藤公雄『「男らしさ」のゆくえ』(新曜社、1993)である。
この本によって伊藤公雄は男性ジェンダー研究者として一般的に認知されたと言って
いいであろう(御当人は1980年代から取り組んでいたと強弁しているが)。

私はこの本を2つの点に着目して読んだ。
1)「男性学」という用語を用いているか
2)渡辺恒夫に言及しているか、しているとしたらどのような形か

最初に1について。
「男性学」という用言を用いた箇所は一箇所だけあった。

>この動きは、日本はともかく、欧米においては、最近では、「男性研究」ないし
>「男性学」とでも呼べるような活況を呈そうとしているほどの勢いをもつようになっている。(175頁)

読めば分かる通り、「男性学」の用語を用いたのは欧米の事情について説明する文脈であって、
伊藤自らの言葉としては用いていない。
つまり、この本が出た1993年の時点で伊藤はまだ自らの言説を「男性学」とは称していなかったのである。
(伊藤が明確に自らの言説を「男性学」と称するようになったのは1996年の『男性学入門』(作品社)からであろう。
伊藤自身の「自分は1980年代から男性学をやっていた」という趣旨の主張とはだいぶ乖離があるのだ)

2について。
渡辺恒夫について触れた部分は一箇所だけあった。

>ゲイや異性装趣味者、変性願望者などに代表される人びとの一部に、強いられた
>伝統的男役割からの逃避が含まれていることは明らかだ。
>渡辺恒夫が、『脱男性の時代』(勁草書房、一九八七)のなかで述べているように、
>「男性優位社会の崩壊にともない…男性性がぐらつき、女性に対して恐怖を抱いたり
>(同性愛)、羨望して女性を装ったり(異性装嗜好者)する男性が激増している」ので
>ある。(第2章「男らしさ」の現在、76頁)

伊藤が同書の本文で渡辺恒夫について触れたのは第2章のこの部分だけである。
因みに同書の第3章は「『男らしさ』と近・現代社会」というタイトルである。
これは正に『脱男性の時代』で渡辺恒夫が論じたテーマではないか。
しかし、第3章に渡辺恒夫に触れた部分は全くない。
渡辺恒夫とかなり似通ったことを書いている部分があるにも拘らず、
伊藤公雄は渡辺恒夫の論を全く紹介しないのである。
例えば92頁で伊藤公雄はこう書いている。

>…八〇年代のファッションの変貌を描いた『男が変わる、女が変わる』
>(EditionWacoal、一九八九)のなかで、深井晃子はこう述べている。
>「八〇年代に起こっているのは男女間の服の融合というべきユニセックス・ファッションだ。
>今まで男の服、女の服として線引きしていたものを、男も女も自由に着るのである。
>…女たちがズボンをはくのは女権拡大運動と結びついて既成事実として認められたから、
>今度は男がスカートをはく自由を認める番がやってきている」。
>それにしても、こうした変化はいつごろ生まれたのだろうか。それは、どんな特徴を
>もっているのか。また、その背後には、どのような歴史的な文脈が控えているのだろう
>か。そしてまた、この変化の波は、われわれの生きるこの社会にどんな影響を
>もたらそうとしているのだろうか。

まさに渡辺恒夫が『脱男性の時代』で論じたテーマではないか!
しかし、伊藤公雄は渡辺恒夫を完全にスルーするのである。
勿論、渡辺恒夫が絶対に言及しなければならない斯界の大権威という訳ではないが、
参考文献に『脱男性の時代』を挙げ、かつ第2章で引用している以上、何も触れないのは
余りにも不自然である。意図的に無視したと言われても仕方がないだろう。
一言で言って伊藤公雄は渡辺恒夫を「同性愛者や異性装者について(だけ)述べた人物」に
矮小化した。
そして、渡辺恒夫がこの分野から撤退したのをいいことに「日本の男性学の始祖」を
横取りしたのである。

加えて『脱男性の時代』の出版年が間違っていることも指摘しておこう。
伊藤は本文でも参考文献欄でも1987年と書いているが実際には1986年なのである。
(奥付を見ればすぐに分かることだ。因みに奥付で書籍の出版社や発行年を確認するのは
研究者の基本である。)
一回間違えた位ならそれ程とやかく言わない。
次に訂正されれば「ああちゃんと確認しているんだな」と考える。
しかし、伊藤はそれから15年も後の2008年になっても同じ間違いを繰り返しているの
である。(*1)
これは、15年間『脱男性の時代』の実物の確認を怠っていることを意味しないだろうか?
疑惑は尽きない。

(*1)「学術の動向」2008-04に寄稿した記事で『脱男性の時代』を1987と記載している。

2018年4月 4日 (水)

伊藤公雄の「歴史修正主義」を批判する

今回は「歴史修正主義は右翼の専売特許」かと思っていたら、そうではなかったと
言うお話である。
「日本の男性学の第一人者」(苦笑)、伊藤公雄については、このブログで何度か
批判した。
その伊藤公雄が「学術の動向」2008-04に書いた
「ジェンダーの社会学 -男性学・男性性を中心に-」
という文章の一節を引用する。

>日本においても、1980年代に入ると、男性学・男性性研究がうぶ声をあげた。
>社会学分野では、筆者(引用者注:伊藤公雄)の「<男らしさ>の挫折」(作田・富永編
>『自尊と懐疑』、筑摩書房、1984)が、また心理学の領域では渡辺恒夫
>『脱男性の時代』(1987)などが代表的なものといえるだろう。

興味や知識のない人ならば、何も感じず通り過ぎてしまう文章かもしれない。
しかし「ジェンダー方面の研究で日本における最初の「男性学」提唱者は誰か」という
観点から見るとき、この文章は大きなウソを孕んでいるのである。
上の文章では、伊藤公雄が1984年、渡辺恒夫が1987年となっている。
(伊藤公雄は、渡辺恒夫の「脱男性の時代」を1987年と書いているが、実際には、
1986年なので、以下、1986年とする)
ここで、伊藤公雄は、さり気なく「オレの方が渡辺恒夫より先だ」とアピールしている
のである。
図書館で実際に本を確認したが、伊藤公雄が
作田啓一、富永茂樹編『自尊と懐疑 -文芸社会学をめざして』(1984)という書籍の
「<男らしさ>の挫折」という章を執筆したのは事実である。
一方、渡辺恒夫の男性ジェンダー研究に於ける代表作『脱男性の時代』は1986年である。
ということは、伊藤公雄が、日本に於ける「男性学」の嚆矢なのだろうか?

実は、カラクリがある。
伊藤公雄の「<男らしさ>の挫折」は、彼が一冊執筆したわけではなく、
他の編者による書籍の一章を執筆したに過ぎず、その書籍のテーマもジェンダーでは
なく「文芸社会学」である。
(表紙にも、章の最初にも「伊藤公雄」の名前は出ておらず、かろうじて、最後の方の
執筆者一覧で、当該章を伊藤公雄が執筆したことが分かる)

一方、渡辺恒夫の『脱男性の時代』は、渡辺恒夫が彼の名で全て執筆し、一冊丸ごと
男性のジェンダーについての書籍である。
そして、一番大事なことは『脱男性の時代』は書き下ろしというわけではなく、
渡辺恒夫が過去に書いた論文を一冊にまとめあげたものだということだ。
つまり、オリジナルはもっと古いのである。

伊藤公雄と渡辺恒夫を比較する時に、伊藤の「<男らしさ>の挫折」を基準にするならば、
渡辺恒夫は
「近代・男性・同性愛タブー -文明、および倒錯の概念(1)- 」高知大学学術研究報告
第28巻(1980)
を挙げなくてはならないだろう。
(つまり、伊藤公雄よりも4年早い。しかも、同論文では既に「男性学」という概念が
出てくるのに対し、伊藤公雄の「<男らしさ>の挫折」に「男性学」の文字はない。(注1))

逆に、渡辺恒夫の『脱男性の時代』を基準とするならば、伊藤公雄は
『<男らしさ>のゆくえ - 男性文化の文化社会学』新曜社、1993となる。
(つまり、渡辺恒夫の方が7年早い)

それを、伊藤公雄は恣意的なダブルスタンダードによって、あたかも自分の方が
先であるかのように書いているのである。

このようにして、伊藤公雄は着々と「歴史修正」を加え、そして、いまでは、
あたかも「自分が日本に於ける男性学の最初の提唱者です」というようなことを
言うに至っている。
それを見る度、私はこう思うのだ。
「伊藤公雄先生、「他者を押しのけてでも、自分が優越しよう」という悪しき
「男性性」をお捨てにならなければならないのは、まずはご自分ではないのですか?」と。

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(注1)
伊藤公雄はそれをごまかすために「男性学・男性性研究」という複合語を使っていると
考えられる。伊藤公雄の「<男らしさ>の挫折」に「男性学」という単語や概念は
出て来ないので「80年代の男性学の代表」と書いてしまうとまずい訳だ。
しかし、男性性研究ではあるので、「男性学・男性性研究」と書けば取り敢えずウソでは
なくなるのである。
伊藤公雄の文章はこの手のごまかしが多すぎる。

2017年9月 5日 (火)

「男の生きづらさ」という言葉を使って男性を侮辱するエセ男性学(2016年7月17日付朝日新聞星野智幸氏の書評を題材に)

前回、日本のエセ男性学のいう「男の生きづらさ」とは、「被害者の生きづらさ」では
なく、「加害者の生きづらさ」であるということを批判した。
読者の中には、例え、加害者扱いであるにせよ「男の生きづらさ」を問題にしている
のだから男性にとっていいことではないか?と考える人がいるかもしれない。
今回は、その点について考えたい。
題材は、朝日新聞2016年7月17日付に掲載された書評である。
小説家の星野智幸氏による多賀太著『男子問題の時代?』の書評で、
題名は「男たちの「生きづらさ」を考える」である。
(いきなり、彼らのお題目である「男たちの生きづらさ」という文言で始まる
タイトルに思わず苦笑)
なお、お断りしておくが、私自身は多賀太氏の著作は読んでいない。
この文章は、飽くまでも、星野智幸氏の書評に対するものである。
以下、星野氏の書評を引用する。

>「女性専用車は男性差別です」とプラカードを掲げて、女性専用車両に乗り込んで
>くる男性がまれにいる。なぜ、そんな不快なことをするのだろうか。
>それで自分の生きづらさが変わるわけでもあるまいに。
>基本的に、この手の暴力行為は、現在の男たちが抱える生きづらさへの恨みや
>不満から、生まれている。

「男たちが抱える生きづらさ」という、いかにも男性に対して理解を示すが如き
言葉を使いながら、男性が抗議の意志を示して女性専用車両に乗ることを
「不快なこと」「暴力行為」と断定している。
(女性専用車両そのものが「男の生きづらさ」を増しているのに、それには全く触れない)
「男の生きづらさ」という言葉は通常「男性の権利」の主張と結びつくはずなのだが、
この星野氏の文章は「男の生きづらさ」という言葉を使って、男性の権利を否定する
という奇妙なものとなっている。そして、この奇妙さは、日本のエセ男性学に共通の
特徴である。

さて、多くの人がすぐに気づくことだろうが、男性が女性専用車両に乗る行為は
暴力行為ではない。

私は、女性専用車両が始まった頃、抗議の意思を示すために、警備していた駅員に
「私は男性だが女性専用車両に乗ります」と断った上で、女性専用車両に乗ろうとして、
数人の駅員によって、無理矢理強制排除された経験がある。
(私は、当時、大学院予備校と大学院で「人権」について学んだ直後だったから、
駅員たちは私を乗せるだろうと考えていた。何故なら「男性である」というのは自らは
選べない属性であり、自ら選択出来ない属性によって、電車という公共交通機関の
車両に乗せないとしたら、それは人権侵害になるからだ。)
駅員の強制排除によって私は怪我をした。
ズボンのベルトも切れてしまった。
それ以上に、精神的なショックが大きく、私は、あれから十数年経った今でも、
その時のショックを引きずりながら生きているのである。
(電車に貼られた「女性専用車両」のステッカーを見るとあの時の怒りと悲しみが
フラッシュバックする。)
私が女性専用車両に乗ろうとした行為は暴力行為ではない。
私を強制排除し、怪我をさせ、大きな精神的ショックを与えた駅員たちの行為が
暴力行為である。
星野氏の言説は、私を含む女性専用車両に抗議乗車する男性に対する侮辱である。
一経験者としていうが、男性が敢えて女性専用車両に乗るというのは、
大変に勇気のいる行動なのである。
本当の男性学なら、むしろその勇気を賞賛するべきではないか。

ローザ・パークスというアメリカの公民権運動を語る上で欠かせない女性がいる(故人)。
彼女は、アメリカの黒人女性で1950年代にアメリカの公共バスに於ける白人優先に
抗議し、白人に席を譲ることを拒否して逮捕された。
彼女が白人に席を譲らなかったことは暴力行為ではない。
彼女を逮捕した警官達の行為が暴力行為である。
もし、黒人学と自称する人たちが彼女の行為を「不快な暴力行為」と決めつけたら、
多くの人はこう考えるだろう。
「黒人学を詐称する白人優越主義なんじゃないの?」と。
同じ批判を受けなければならないのが、日本の男性学である。

上に掲げた引用文以降で星野氏が開陳している考え方は、以下のようなものだ。
男性が女性を抑圧して、現在の社会を造った。
(つまり、抑圧者が男性で、被抑圧者が女性)
しかし、男はしょうもない生き物なので、ひどい世の中しか作ることができず、
一部の男性が旨味を独占し、男でありながら、旨味を享受できない男達が出てきた。
男が女性専用車両に抗議乗車するという行為は、男でありながら、男の旨みに預かれ
ない男が被差別者である女性に対して行う、言わば八つ当たりである・・・
(但し、星野氏自身は「八つ当たり」という言葉そのものは使っていない)

ひどい決めつけである。
例えば、私は男でありながら男社会の旨味に預かれず、その八つ当たりの為に、
女性専用車両に乗車しようとしたのであろうか?
断固として違う。
私は、特に思春期以降、自分の欲しいものを全て女性に奪われるという経験を
してきた。
残った数少ないものが、電車である。
バブル期の趣味男性に対するオタク扱い(私の場合は鉄道オタク扱い)に
耐え難い思いをしながらも、私は電車を愛してきた。
(一方、そのバブル期に、私と同世代の女性達は、「蝶よ花よ」と持て囃されていた)
その電車の中に女性の特権的スペースができることに私は耐えられなかった
のである。

そして、もう一つ指摘したい。
星野氏の言説にそっくりのイデオロギーを私は知っている。
ラジカル・フェミニズムである。
「男が女性を抑圧し、ひどい社会を創った。そして、男でありながら、男社会の旨味に
預かれない男が、被差別者である女性に八つ当りをしている」というのは、
そっくりそのままラジカル・フェミニズムの論理である。
星野氏の記事は、日本で男性学と称している人達の正体がラジカル・フェミニズムで
あることの一つの証左である。
だから、いくら「男の生きづらさ」というフレーズを連呼していたとしても、彼らの言説が
男性の利益に働くことは決してない。

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2017年8月25日 (金)

日本の自称「男性学」はフェミニズムの傀儡である。

ジャーナリストの下村満子氏が、1980年代前半から90年代始め頃にかけて、
アメリカにおける男性運動についての本を書いている。
その下村氏の本の中で、私が1980年代末頃に図書館で出会い、
大きな影響を受けたのが、『アメリカの男たちはいま』(朝日新聞社、1982)である。
この本の中で、下村氏はアメリカに於いてメンズリブを主張する人たちを4つに
分類している。

--引用--
第一は、「離婚した父親たち」の運動。
第二は、フレッドに代表されるような「男の開放」を父親の問題に限定せず、
もっと根本的な「男の在り方」の問題までつきつめようとするグループ。
第三は、メール・フェミニスト(女性開放を支援する男)とよばれる人びとで、
「女性たちがいうとおり、男は長い間、女性の権利を抑えつけてきた。だから、
男性開放とは、そうした過去への贖罪として、女性運動を支援することにある」と
考えている男たち。
第四は、その反対で、「女は家庭に帰れ。男は権威と力を取り戻せ!」と叫ぶ
男権主義者たち、である。
--引用終わり--

「アメリカの男たちはいま」は、この4つのうちの一(離婚した父親の権利運動)と
二(「男の開放」を「男の在り方」の問題まで突き詰めるグループ)に焦点を絞る。
(加えて、急増するアメリカの男性同性愛者事情についても、かなりのページを
割いている)
四(保守的男権主義者)については、批判的に少し触れているが、
三の「メール・フェミニスト」については、全く触れていない。
恐らく著者の下村満子は、「アメリカの男性運動をテーマにした本」の中で
「メール・フェミニスト」に触れる意味はないと考えたのであろう。
(フェミニストの一流派としてなら、考察する意味を見出すかもしれないが)

では、1990年代中頃から日本において「メンズリブ」とか「男性学」と自称し、
活動している伊藤公雄を始めとする人達は、上の分類では、どれに該当するのであろうか。
これが明確に3の「メール・フェミニスト」なのである。
下村氏が「男性運動」として扱うには値しないと考えた(と推測される)メール・
フェミニストが日本では大手を振っているのである。
彼らは「男の生きづらさ」などという、いかにも男性に対して理解ありげな言葉を使う。
しかし、きちんと読めば「男は被害者だから生きづらい」のではなく、
「男は加害者だから生きづらい」いう意味であることに気付くだろう。
(「加害者扱いされているが実は被害者である」とかそういうニュアンスではない)
「加害者として反省し、フェミニズムの言うことを聞けば「男の生きづらさ」から
開放されます」というその内容は、私に言わせれば「ふざけている」としか言いようがないものだ。
日本における「男性学」ほど男性をバカにした言説はないであろう。
男性を侮辱する言説が「男性学」と自称し、まかり通っていることがとても腹立たしい。

しかし、男性であることに悩んでいる人が、図書館や書店に行って見つける本は、
彼らの本である確率が非常に高いのが実情である。
彼らの本を読むと、どことなく、新興宗教の入信セミナー的な「嘘っぽい
アットホーム感」が漂っている。
「男性である」ということで悩んでいる人が、それらのエセ男性学(フェミニズムの
傀儡男性学)に「入信」してしまうことのないよう祈るばかりだ。

2016年1月18日 (月)

メイル・フェミニズム

1980年代終わり頃、私は、やっと私の考えに沿う本を見つけた。
『アメリカの男たちはいま』下村満子、朝日新聞社、1982
『脱男性の時代』渡辺恒夫、勁草書房、1986
である。
それまで、世界がよってたかって、自分を否定しようとしていると
感じていた私にとって、それは大きな驚き、そして喜びだった。
1991年には、アメリカの男性団体NCFMの本の抄訳版である
『正しいオトコのやり方』 下村満子訳、学陽書房、1991
が出版され、私は「やっと、いい方向の風が吹き始めた」と思った。

そして、90年代中頃から日本に登場してきたのが「男性学」「メンズリブ」と自称する
一連の本であった。
当初、私は、当然期待した。
しかしやがて、それは、失望へ、怒りへと変わっていった。
自称「男性学」「メンズリブ」の本を読んでも、ちっとも、心に響かない。
それどころか、不愉快な違和感が湧いてくるのである。
その不愉快さはフェミニズムの本を読んだ時のそれにそっくりだった。
そう、自称「男性学」「メンズリブ」とは、実は、フェミニズムの一派だったのである。
「男性よ、女性に対する加害者であることをやめよう、そうすれば男性は開放される」
というような内容で、男性を加害者、女性を被害者と位置づけている。
男性=加害者、女性=被害者と位置づけるのは、例え「メンズリブ」と自称していても、
フェミニズムの一種と考えるのが妥当である。
(この手のフェミニズムをメイル・フェミニズムという。)

その後、フェミニストと論争した時、そのうちの一人のフェミニストが私にこう言った。
「私は、伊藤公雄(メイル・フェミニズム本の著者)を読んでいるので、
あなたを理解できると思います」
はぁぁぁ?伊藤公雄を読んで私を理解できるわけ無いではないか。
恐らく、彼女は、さぞ楽しい気分で伊藤公雄の「メンズリブ本」を読めたことだろう。
当然である。
実際には、それは「フェミニズム本」なのだから。

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    男性同性愛者、Nikkohさんのブログです。マスキュリズムについての記事が大変参考になります。「手弱男」として、弱者男性の問題についても関心をお持ちです。
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